ジャパネットたかたcm ソング
ジャパネットたかたcm ソング 井戸端
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ジャパネットたかた cm ソング Wikipedia:井戸端 - Wikipediaとは? |
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Wikipedia:井戸端/subj/項目で説明している事象自体の名称が変更された場合に改名提案しなくて良いのか Wikipedia:井戸端/subj/英語版に載っている外国語新聞記事の原文を日本語版に掲載できるか Wikipedia:井戸端/subj/ウィキペディアに書かれた記事を、公式発表で事実無根と主張された場合の取扱 Wikipedia:井戸端/subj/info-ja に寄せられたとしてノートページに公開されたメールの名誉毀損の可能性 Wikipedia:井戸端/subj/テレビ番組でアンサイクロペディアの内容がウィキペディアの内容として紹介された Wikipedia:井戸端/subj/井戸端への投稿を最初からサブページ化しておく提案(井戸端運営改革その1) GFDL 1.3 がリリースされ、ウィキペディア日本語版のコンテンツをCC-BY-SA 3.0に切り替えることが可能になり、財団のほうでは切り替えの実現を見込んだ提案を行う予定のようです。 これによれば、ウィキペディア日本語版の外部でGFDLのもとで公表され、2008年11月1日以降にGFDLの条件にしたがってウィキペディア日本語版に持ち込まれたものについては、CC-BY-SA 3.0 への切り替えにおいて障害となりえます。ただし、ウィキペディア日本語版と同時に、あるいはほぼ同時期に切り替えが行われる wiki サイト(他のウィキメディア財団のプロジェクトを含む)は、例外として扱える余地があります。 換言すれば、私たちは、移入元のサイトが同様に切り替えを計画しているのではなければ、ウィキメディア財団以外のソースからGFDLのコンテンツを移入することを停止しなくてはなりません。 ウィキペディア日本語版では、ウィキメディア財団のプロジェクト以外のGFDLのもとのテキストを移入する方法が確立されていませんから、実際には(ほとんど?)行われていないものと考えていますが、一時的に、ウィキメディア財団のプロジェクト以外のGFDLのもとのテキストについて移入することを禁止すべきであると考えます。 さて、もう一つ問題があり、それはGFDL以外で公開されたテキストを、ウィキペディアに投稿する際に改めてGFDLに合意して投稿された、いわゆる「自著作物の持ち込み」の扱いです。これについては、ウィキペディアに移入する際に改めてGFDLに合意したことにより、いわば二回目の“originally publish”をされたのであって、2008年11月1日以降の投稿であっても問題なく切り替えられる、という解釈も可能でしょう。他方、外部で一度“originally publish”されたのであるから、2008年11月1日以降の投稿は切り替えの障害となるという解釈も可能であると思います。 難しいところですが、これについてどう解釈するか、どう対応するかについての目処が立つまでは、やはり一時的に「自著作物の持ち込み」を禁止するべきではないかと思います(おそくとも、2009年8月には解除されるでしょう)。 以下の条件のもと、ウィキメディア財団のプロジェクト以外において公表されたテキストのウィキペディア日本語版への投稿を、別の合意によって解除するときまで、禁止する。 この「最初に公表された」とは、ウィキメディア財団のプロジェクト以外において先に公表されたもので、新たな許諾によってウィキメディア財団のプロジェクトに投稿したものを含まない。 なお、テキスト以外の画像ファイルなどについても、検討の余地がありますが、それらはおそらくGFDLのものも受け入れる運用が継続するだろうことと、切り替えぎりぎりまでGFDLのファイルの受け入れを続けていても、切り替え時の混乱は限定的だろうことから、禁止するまでもないのではないかと、私は考えています。 (追記)話し合いによって認識が変わりましたが、その認識が変わった部分も含めて、残しておきます。ただ、提案は明示的に撤回します。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2008年11月8日 (土) 09:55 (UTC) ざっくりとしか読んでないんですが、ええと、1.3を含む「1.2以上の版」に著作権者が同意してれば問題ないんで、自著作物の持ち込みは問題を生じないと思う。1.3リリース後に、明示的に1.3以外を選択した外部のGFDL素材は受け入れることができない、ってことじゃないのかな。--Ks aka 98 2008年11月6日 (木) 10:32 (UTC) GFDL 1.3 と FAQ が完全には整合していない (FAQ がちょっとばかりミスリーディングな) 気がしますが、結局のところ、CC-BY-SA への移行には GFDL 1.1 または 1.2 限定の外部素材は GFDL 1.3 と整合しないので、そもそも含まれていてはいけない 外部素材のうち、GFDL 1.3 を含むライセンス (概ね「以上の版」つき GFDL) のものについては、2008年11月1日以降持ち込まれていてはいけない ということです。従って、2008年11月1日以降禁止すべき自著作物に該当するのは、外部で GFDL ライセンスされたもののみです。それ以外については GFDL 1.3 適合とできるなら問題ないので、一般に「自著作物の持ち込み」を禁止してしまうのは GFDL 1.3 Art. 11 の意図とは異なります。GFDL 以外で外部公表されている素材なら「自著作物の持ち込み」には全く問題ありません。画像ファイルなどについては、IP 的にテキストと同一サーバとみなすべき実装になっているので、同様に2008年11月1日以降は外部 GFDL 素材持込禁止にする必要があります。逆に、各言語版いずれも同一 IP であることを理由に単一サーバとみなせるので、他言語版ウィキペディアからの翻訳は GFDL 1.3 Art. 11 に言う外部持込にはあたりません。新規案件には当分意見を述べないつもりでしたが、さすがにこれは例外… --Jms 2008年11月6日 (木) 18:13 (UTC) GFDLの草案が公開されたのが1999年、1.0を飛ばして正式リリースが1.1で2000年3月の筈ですが、この点で「Version 1.1 or any later」の記述があったならばほぼ問題は無いような気がします。 1.1 の文書を読んだ記憶が無い(気がついたら既に1.2になっていた)のですが実際のところどうなんでしょう?--KAMUI 2008年11月6日 (木) 21:38 (UTC) 「多人数コラボレーション・サイト」(Massive Multiauthor Collaboration Site。MMC site)は、著作権によって保護される作品を発行し、誰でもそれらの作品を編集できる顕著な機能を提供するWWWサーバーを意味する。誰であっても編集できる公開された wiki は、そのようなサーバーの例である。そのサイトに含まれる「多人数コラボレーション」(Massive Multiauthor Collaboration。MMC)とは、MMC siteによってそのように発行される著作権によって保護される作品をの集合をいう。 「CC-BY-SA」とは、事業の本部をカルフォルニア州サンフランシスコにおく非営利団体、Creative Commons Corporationが発行するクリエイティブ・コモンズ 表示-継承 3.0 ライセンスと、同様に同団体から将来発行されるそのライセンスのコピーレフトのバージョンを意味する。 「組み入れ」とは、他のドキュメントの一部として、ドキュメントの全部または一部の発行または再発行をすることを意味する。 MMCが本ライセンスのもとでライセンスされており、かつ当該MMC以外のどこかで本ライセンスのもとで最初に発行され、その後にその全部あるいは一部が当該MMCに組み入れられた全ての作品が、(1)カバーテキストと変更不可部分〔のいずれも〕を含まず、かつ(2)2008年11月1日より前にその組み入れられている場合、そのMMCは「再ライセンスを許されている」。 当該MMCが再ライセンスを許されている条件で、MMC Site の運営者は、2009年8月1日より前の任意の時に、そのサイトに含まれるMMCを同一サイトにおいてCC-BY-SAのもとで再発行することができる。 Jmsさんの「画像ファイルなどについては、IP 的にテキストと同一サーバとみなすべき実装になっているので」というご指摘は、MMCが各サイトに一つなのか、それともウィキペディアでいえばそれぞれの項目などが一つ一つMMCなのかという点に関わるように思います。もし、MMCが各サイトに一つであれば、画像も同時にCC-BY-SAに再ライセンスしなくてはならないということになり、Jmsさんのご指摘のように2008年11月1日以降の画像受け入れはできない or 制限をつけざるをえない、ということになりそうです。 しかし、それぞれの項目など、そして個々の画像(or 画像ページにある一連の画像のシリーズ)などが、個別に一つ一つMMCなのであれば、それぞれのMMCごとに再ライセンスの可否を検討すればよい、ということになって、画像については切り替えをしないという選択もありそうに思います。“provided the MMC is eligible for relicensing”という規定の仕方からみて、もし一つの MMC site に一つしかMMCがないのであればこのように持って回った制限をつけずに、「MMC site is eligible for relicensing」を定義すればよいので、こちらの解釈がとれそうに思いますが、いかがでしょうか。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2008年11月7日 (金) 00:27 (UTC) ウィキメディア財団にコンテンツが寄贈されたWikipedia:ダウムグローバル百科事典(GFDLでリリースされている)からの持込はどうなるのでしょうか。--hyolee2/H.L.LEE 2008年11月7日 (金) 01:04 (UTC) コンテンツとサイトを混同してしまいました。ごめんなさい。コンテンツごとのライセンスであり、各コンテンツの (同一サイトにある) 構成要素がそれぞれ条件を満たしているなら CC-BY-SA 移行可能ですから、条件を満たさない画像は使わない様にすることで、その画像を使わなくした版からは CC-BY-SA に移行できるのだと思います。その場合、過去の版は条件を満たさない画像を構成要素としているので、移行できないと考えるのでしょう。それはそれでややこしい事になりそうですが…。 Wikipedia:ダウムグローバル百科事典から持ち込んだコンテンツは、CC-BY-SA には移行できないのではないかと思います。但し、元ライセンサーが CC-BY-SA で再ライセンスすれば、そちらは使えることにはなるでしょう。--Jms 2008年11月7日 (金) 08:57 (UTC) あー分かってきた気がする。自分の著作物は、まあ問題ないとしても、受け入れダメだねえ。ライセンスを互換可能にするということじゃなくて、既にMMCに取り込んじゃった分は無理やりCC移行を可能にしてしまうってことなのか。1.3リリース後は、著作者/著作権者の許諾なく移行させちゃうような事態を避けるための構成。 画像は、数は少ないだろうし、受け入れないとしてしまえばいいと思う。11/1以降に外部GFDLから持ち込まれたということがわかるカテゴリか何かで、まとめられるなら、運用としてはいけるような気もしますが、そこまでやるメリットもあまりないだろうし。 問題はダウムですねえ。詳細がよくわからないので、日本語版であれこれ話しててもしょうがないですが、財団か韓国語版の誰かが交渉してもらえるのがいいと思います。「ウィキメディア財団にコンテンツが寄贈された」という報道の指す法的な内容がわからないし。著作権の譲渡なら財団がどうとでもできるけど、単にGFDLで公開することでウィキペディアに取り込むことを可能にしたということなら、タイミングが悪かったんだろうけど、移入できない状態になってしまっている。CC-BY-SA3.0 への移行についての許諾をとるか、GFDLとCC-BY-SA 3.0 のデュアルライセンスにしてもらうか。--Ks aka 98 2008年11月7日 (金) 09:17 (UTC) 些事ですが、GFDL 1.3 はすでにリリースされています。リリースにより有効となった、来年 7 月末期限の移行附則があるということです。Wikipedia:著作権を緊急に修正する必要があるかどうか眺めていますが、CC-BY-SA に移行するのかどうかを個別記事についてどうやって決めるのかというところで思考停止しています。--Jms 2008年11月7日 (金) 09:49 (UTC) 著作権の方針は、緊急に修整する必要はないはずです。移行される可能性が生じているということについて、Helpが必要かもしれませんし、外部GFDL素材の受け入れをしないような呼びかけはあったほうがよさそうですが。CC-BY-SA に移行すると決まったら方針を考えないといけないけれど。 CC-BY-SA に移行するのかどうかは「MMC Site の運営者」が決める、ここでは財団ということになるでしょうから、まあ、どっかで意見募集があるかもしれないけど、ここで考えてもしょうがない。--Ks aka 98 2008年11月7日 (金) 10:45 (UTC) Wikipedia:ダウムグローバル百科事典のライセンスはGFDL1.2になっています。(それも韓国語版ウィキペディアから転載されています。)GFDL 1.3 の話を韓国語版ウィキペディアを持ち出したら、ウィキペディアはGFDL1.2以上で配布するのでGFDL 1.3もそのまま適用するのだそうです。--hyolee2/H.L.LEE 2008年11月8日 (土) 00:47 (UTC) 原則: GFDL 1.3で提供されてるウィキペディア上のコンテンツは、原則として、2009年8月1日より前に、CC-BY-SAで再ライセンスすることができる 再ライセンスのときにGFDL 1.3に従うものであればよいので、「GFDL 1.2か、それ以降に従う」という利用許諾であれば問題ない GFDL 1.2以前に限定された利用許諾(GFDL 1.1限定や、GFDL 1.2限定など)の内容をウィキペディアのコンテンツに組み入れていた場合、それがウィキペディアに投稿・アップロードされた時期に関わらず(過去であっても、将来であっても)、そのウィキペディアのコンテンツをCC-BY-SAで再ライセンスすることができない 制限: GFDLのもとで最初に発行され、その後、2008年11月1日以降にその全部あるいは一部がウィキペディアのコンテンツに組み入れられていた場合、たとえ組み入れられた内容がGFDL 1.3や「GFDL 1.2か、それ以降に従う」という利用許諾で提供されていても、そのウィキペディアのコンテンツをCC-BY-SAに再ライセンスすることはできない 制限の例外: GFDLのもとで最初に発行され、その後、2008年11月1日以降にその全部あるいは一部がウィキペディアのコンテンツに組み入れられていた場合でも、もしその持ち込みもとがCC-BY-SAで再ライセンスすることができ、うまくタイミングを合わせてそちらもCC-BY-SAで再ライセンスするのならば、それが組み入れられたウィキペディアのコンテンツをそのままCC-BY-SAで再ライセンスする余地がある(Erik Mollerのメッセージはこのような前提にたっているように思うが、個人的には疑問) ダウムグローバル百科事典からの持込については、私は韓国語・朝鮮語が分からないのであまりはっきりした状況が分かりませんが、一般論として、そのウィキペディアへの持込が2008年11月1日以降に行われたならば、2の制限にひっかかるので、ウィキペディアでの再ライセンスの障害となりえます。また、Hyolee2さんの報告された「GFDL 1.3 の話を韓国語版ウィキペディアを持ち出したら、ウィキペディアはGFDL1.2以上で配布するのでGFDL 1.3もそのまま適用するのだそうです」というのは一般論としては正しいと思いますが、ダウムグローバル百科事典からの持ち込みとの関係では、もしダウムグローバル百科事典がGFDL 1.2限定でライセンスしているのであれば、ウィキペディア側で勝手に1.3に引き上げることはできず、ウィキペディアへの持込の時期に関わらず、ウィキペディアでのCC-BY-SAへの再ライセンスの障害となるはずだと思います。 ただ、Erik Moller(ウィキメディア財団副事務長)は、持ち込みもとのサイトが CC-BY-SA での再ライセンスを計画していれば問題ないと考えているようなので(前記の2.1 制限の例外を参照)、その点をどう考えるかが難しいところです。 私は、少なくとも、ウィキメディア財団とダウムが話し合いを持って、ダウムグローバル百科事典のCC-BY-SAへの再ライセンス計画を確認し、ダウムグローバル百科事典のCC-BY-SAでの再ライセンスのタイミングがウィキペディアのCC-BY-SAでの再ライセンスの障害とならないタイミングで行われることが確認できるまでは、非常に残念ですが、ダウムグローバル百科事典からの持込は禁止しておいたほうがよいのではないかと思います。ただ、その禁止はデメリットが大きすぎるということであれば、ダウムグローバル百科事典が CC-BY-SA での再ライセンスを計画しているという発表があったのちという条件で、「2008年11月1日以降にダウムグローバル百科事典から持ち込まれた内容を含むコンテンツ」などのカテゴリに集めておくなどの措置を講じれば、持ち込みを許してもよいかもしれません。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2008年11月8日 (土) 09:55 (UTC) 残念なことに、寄贈発表のタイミングが11月1日以降であったため、財団が受け入れを正式に承認するまでは、翻訳を停止しておく必要があるでしょう。Relicensing のための投票がいつ行われるか知りませんが、おそらくは来年にはいってからでしょうし、グローバル百科の扱いをどうするかは、その投票が終わってからでないと財団も決めかねるのではないでしょうか。 というわけで誠に残念ですが、Template:グローバル百科を使うのは(=グローバルのコンテンツを韓国語版から翻訳するのは)、ダウム・グローバル百科事典からの持ち込みを財団が「正式に」承認するまでお待ちいただいた方がいいと思います。でないと、ダメとなったとき、せっかくの翻訳が無駄になり、問題のある版を特定して削除する必要が出てきてしまうかもしれないからです。そういう悲劇的な事態に至らないように、先ほどテンプレートに注意書きを貼ってきました。ご確認ください。--miya 2008年11月12日 (水) 16:23 (UTC) グローバル百科から直接翻訳するケースのみならず、グローバル百科から持ち込まれたWP韓国語版の記事が翻訳もだめだとすれば困りますね。そうこうしているうちにWP韓国語版にグローバル百科から持ち込まれた記事は2008年11月12日 (水) 23:24 (UTC)の時点で1500件(韓国語版記事数の1.5%程度)を超えたことを言っておきます。管理者も一緒になってグローバル百科から韓国語WPに持ち込んでいるようです。--hyolee2/H.L.LEE 2008年11月12日 (水) 23:24 (UTC)2008年11月13日 (木) 02:25 (UTC)(追加) 続きがあればWikipedia‐ノート:ダウムグローバル百科事典で議論しましょう。ドリームコリアの件もありますので。(大韓民国政府が作ったウィキ政策百科。政府や地域の広報が中心)ドリームコリアの著作権政策(GFDLバージョンの明記なし)--hyolee2/H.L.LEE 2008年11月12日 (水) 23:42 (UTC) えーと、では、反対する意見はみあたらないようですので、ひとまず外部GFDL文書は日本語版には受け入れないこととしましょう。日本語版に著作権者の許諾なく外部GFDL文書が持ち込まれる可能性は低いですし、どの段階で削除するかは、引き続き検討する。当面はダウムグローバル百科事典の扱いが問題になるので、以後は、Wikipedia:ダウムグローバル百科事典のノートで。いちおHelp:GFDL1.3のリリースについててのを作ってみたので、情報収集・交換や踏み込んだライセンス自体の話などはそっちで、としましょうか。--Ks aka 98 2008年11月13日 (木) 16:52 (UTC) ウィキペディアは現時点ではGFDL1.2以上ですから、持ち込んだ時点で削除する必要はないのですが、財団が(いったんGFDL1.3に移行する必要がありますが)CC-BY-SAへの移行を選択した場合、ライセンス上、11月1日以前に持ち込まれていなければ、CC-BY-SAに移行することはできません。--Ks aka 98 2008年11月14日 (金) 05:42 (UTC) その問題でしたね。ありがとうございます:) ダウムグローバルプロジェクト菅家者にも知らせました。--Klutzy 2008年11月15日 (土) 05:13 (UTC) 消息が遅かったんです。ダウム関係者から"ダウムグローバルのライセンスはWikipediaの著作権政策と同じ(寄贈の意味)で、WPがCCLを使う時にはダウムグローバルもCCLに変更する"の答弁を聞きました(ko:の関連ノートページ)。--Klutzy 2008年11月19日 (水) 06:47 (UTC) 冀察政務委員会において、[3]という様なやや読むのに難がある漢字について修正が行われたところ、それをほぼ差し戻すという編集が緩やかな編集合戦の形で行われ([4][5][6][7]など)、 当該ノートで話し合いがもたれました(現在ももたれています)。結果、「Wikipedia:表記ガイドに問題となった漢字(聯絡、依り、看做される、など)に関する直接的な制限がないのだから、その漢字を使うのは個人の「自由」である」という主張がされています。一方で、「そんなことはない」という反論がされています(乱暴な要約になっています。すみません)。難読(と思われる)漢字を巡って同様の議論が過去にもされているのではないかとも思ったのですが、見つけることが出来ませんでした。「使用可能であるが難読(と思われる)漢字の使用をどこまで許容するのか」ということについて(当該ページは既にコメント依頼にも出されているのですが、)もう少し広く皆さんの意見を伺えればと思っています。個々の主観が入ることで、難しい問題だとは思うのですが、宜しくお願いします。... Kanoe 2008年11月6日 (木) 14:23 (UTC) ウィキペディアが「自由な百科事典」を標榜しているのは、「だれもが知識を享受できる自由を実現しようと努力する」という意味でであって、必然性もないのにわざわざ読みにくい表記を使うような「編集の自由」を言っているのではないとおもいます。 Wikipedia:表記ガイド#仮名書きに列挙されている用字以外なら使ってもよいという主張はナンセンスです。ガイドラインを法律かなにかと間違えているのではないでしょうか。 Wikipedia:表記ガイド#参考文献には、簡単に手に入る用字用語の参考書が複数挙げられています。こういったものを参考にして執筆することが求められているのであって (たいして高くもないのだから、みなんどれか一冊は買って手もとに置くといいとおもう)、ガイドラインに書いてあることを一字一句まもりそれ以外は無視せよなどとはだれも言ってません。そんな主張はガイドラインの否定です。 --Hatukanezumi 2008年11月6日 (木) 16:02 (UTC) (コメント)Wikipedia:表記ガイドは考慮すべきガイドラインなので強制力は無いというのは妥当と考えます(強制力がないので、順守しなくてもガイドラインを否定したことにはならない)。また「難読である・なし」は主観的要素が大なのでそれで議論しても結論は出ないと考える。総論で判断するのではなく「聯絡」、「依り」、「看做される」などの語を置換した用語と文意を比較したとき優先して使う客観的且つ積極的な理由が有りか無しかで判断するしかないと考える。つまり「版を戻すからには、Wikipediaコミュニティに納得のゆく積極的な理由を提示してください」ということです(投稿ボタンを押す時に他人の編集を許可したはずですから)。「文意がかわる」とか「専門的な意味が変わる」とかならまだしも、「考慮すべきガイドラインに従え(つまり強制)」とか「私の表現の自由を侵すものだ(他人の表現の自由の否定)」とかはいずれもコミュニティの第三者にも納得のゆく積極的な理由ではないとかんがえます。--あら金 2008年11月7日 (金) 02:50 (UTC) まい進という表記をWikipedia:表記ガイドの交ぜ書きに基づき邁進(まいしん)へと編輯したところ、難読問題と同様の問題があるとされたのでこちらに記します。邁進という言葉が難読であるとするならば、これらは振仮名をすることにより解決可能ではないかと思う次第です。同様に1ヶ国などのヶをWikipedia:表記ガイドに拠り箇へと編輯したところ、難解な表記への編集を理由として差戻されてしまいました。難読であるというのは個人的な感覚から離れ得ず一律に基準を設けることは難しいことだと思いますので、難読であると感じたならばそれに振仮名をするよう誘導する為の何らかの表示を貼付けるなどをして徒に編輯合戦に入らないよう配慮する必要があるのではと思います。--廿粁 2008年11月15日 (土) 02:06 (UTC) (コメント)日本語では、漢字にする方が読みやすいという場合もあるので、漢字を避けることすなわち読みやすいと判断することは危険だと思います。で、記事を書く人は用字においても参考文献やその分野の慣習に従っているのが普通だと思いますので、字面だけに基づいてそれを書き換えたりすることは、本来すべきではないことのように思います。(その分野の中でも少数派の用字であると判断できるような場合を除いて)--Sugitaro 2008年11月16日 (日) 06:06 (UTC) 自分としてはカテゴリにまとめた上で、Category:水木しげるオリジナルの妖怪と同じくCategory:フィクションの妖怪に含めたほうが良いと考えますが、いかがでしょうか。とはいえ、2001/09/22 妖怪情報マガジン?妖怪王1にあるように、彼が創作した妖怪が実際の妖怪と伝承された例もあり微妙な点を残しているとは言えます。鳥山石燕の作品にある妖怪のうち、研究者から創作であると指摘されたものをカテゴリに含み、実際の伝承に取り込まれたものについてもカテゴリに含んだ上で、後代に取り込まれた旨を書くのはどうでしょうか。--波定 2008年11月10日 (月) 01:25 (UTC) たとえば水木しげるのぬりかべが近代以前に伝承されていたものから採られたのかどうかについては諸説あります (ゲゲゲの鬼太郎の妖怪ハウスがピーター・ブリューゲル (だったとおもう) の絵から構図を採ったことが判明しているなど、水木の作品には単純に創作とも、伝承やほかの作家からの借用とも判定しがたいものがたくさん登場します)。水木でさえそうなのですから、近代以前の鳥山の作品などでは、伝承か創作かを決定するのはかなり困難なのではないでしょうか。 そういうわけでどちらかというと、妖怪のカテゴリわけでもフィクションかそうでないかの区別を廃したほうがよいのではないか (妖怪はみんなフィクションなのですし) とおもいます。Category:鳥山石燕の妖怪やCategory:水木しげるの妖怪を、Category:妖怪のサブカテゴリとしてつくるくらいでいいのではないでしょうか (ひとつの記事を複数のカテゴリに登録することもできるのですし)。 --Hatukanezumi 2008年11月14日 (金) 13:35 (UTC) ご存知かもしれませんが、Category‐ノート:フィクションの神で「フィクションの」が何を指すかについて話し合ってます。デザインや絵を借用して、新しく設定を与えられたものは、使用元とは独立したキャラクターとみていいと思います。--波定 2008年11月19日 (水) 23:57 (UTC) 文学作品の全体的なあらすじの記述の是非についてコミュニティの意見を求めたいと思い、このトピックを投稿させて頂きました。 議論のきっかけは、IP122.26.95.13 氏の行った記事坊っちゃんのあらすじの大幅な削除と、私の行った差し戻しです。 [8] [9] 上の会話ページでも述べていますが、私の意見の主旨は、簡潔にまとめられた作品のあらすじ紹介は文学作品の記事には必要な物であり、そういった情報を求めてくる読者に対して、ウィキペディアは適切な量のあらすじを提供すべきである、というものです。 なお、私も、だらだらと何十行にもわたって作品の内容を書いた冗長なあらすじや、ほとんど筋書きと無関係な些事をいちいち取り上げてるあらすじや、推理小説の記事で事件の真相だけをそのまま書いているような、「ネタバレのためのネタバレ」を擁護するつもりはありません。 しかしながら、『坊っちゃん』のような有名な文学作品の記事には、この程度のあらすじはあっても構わないし、むしろ必要であると私は思います。また、仮に『坊っちゃん』で行われたような大幅なあらすじの削除を全ての文学作品の記事で認めてしまうと、ウィキペディアの文学作品に関連する記事の多くが、その情報価値を大きく失ってしまうのではないかと思います。--Kasuga 2008年11月12日 (水) 16:31 (UTC) 作品との初見の楽しみを奪われたくないのだったら、百科事典や解説本などの当該項目を見るべきじゃないのです。当該IPさんの削除におれは同意しませんし、もしWikipediaにどこまで書いていいかについての議論をやろうということならばアカウントを取得して議論主体の同一性を保障した上でやるべきでしょう。 とりあえず結論としては、当該IPユーザさんの主張は無視・否定して良いものと思います。現状のWikipediaにおける文学作品などの記述を全否定するような必要は出てきていないものと考えます(ただ、だからって野放図なだらだらと長いだけの筋紹介などを是認するものではありません、と最後にもう一度書いておきます)。--Nekosuki600 2008年11月12日 (水) 16:42 (UTC) 個人的には、小説本編を読んでみたいと思えるような記事が理想なので、自分で記事を書く場合、基本的にネタばれはしません。記事全体の構成のなかで各節にどれぐらいボリュームを持たせるかというバランスの問題もあるので、一概にはいえないのですが、あらすじを書いてしまうと作品そのものを読む楽しみや意味が失われる場合があると思います。とくに短編や中編など尺の短いものについては、プロットそのものが作品の生命線であることも多いので、内容の書きすぎには注意が必要ではないかと思います。ものによっては、設定や時代背景などにとどめて「あらすじ」は書かないという配慮も必要でしょう。長編であっても、展開がわかった方がいいかどうかは作品の性質ともかかわってくるでしょう。私が過去に投稿した『ダルタニャン物語』をごらんいただければ、と思います(こんなこと書くと、やたら詳しいあらすじが加筆されそうでコワイですが)。 そういう立場からすると、現坊つちやんの「あらすじ」は詳しすぎると感じます。とはいえ、連続冒険小説ではないので「坊ちゃんの運命やいかに!」も支持しません。結末まで書くな、ということではなく、単にストーリーを追うのが記事の役目ではないように思うからです。例えば、この記事でも「作品解説」の節で物語のラストがかなりネタばれしているわけですが、これは作品の説明上必要な記述で、むしろ避けて通ってはいけないだろうと思います。で、手を入れるなら「あらすじ」や登場人物のようなところばかりでなく、作品の位置づけ・評価や影響、掘り下げを、ウィキペディアの方針に則ってやってもらいたい、というのが希望ですね。残念ながら、この解説も現状ではだれのものなのか、なにを参考にして書いたのかわかりません。--みっち 2008年11月13日 (木) 11:31 (UTC) 私も、今の記事坊っちゃんのあらすじは三分の二から半分ぐらいの文章量に縮められると思います。少なくとも、今のあらすじにある「(厳密にはイナゴ)」とかの記述はあらすじには不必要な些事だと感じました。あらすじというのは、原作を読んだ人間であれば誰でも気軽に加筆できるため、「あれがない、これがない」でどんどん肥大化していく傾向がありますが、簡にして要を得ている事も、また大切であると思います(ただ、それはネタバレを認めない事とは別問題ですが)。--Kasuga 2008年11月13日 (木) 11:50 (UTC) こんばんは。個人的には百科事典で作品記事を閲覧する際に、読む(見る)前の紹介サイト目的で利用することは無いので、梗概については英語版のPlot程度のものは期待したいのが正直なところです。現坊つちやんでいえば、私は適切な量に感じます。記述内容はもっと精査できそうですが、「冗長」や「ネタバレ」を理由とした削除であれば少々首をかしげます。ただ、ネタバレを嫌う方、昨今氾濫している購入(視聴)を促す宣伝的な冒頭だけを記したものこそが梗概であると考える閲覧者の方も多いと思いますので、例えば作品の冒頭だけを記したあらすじ節と、作品の結末までを記した英語版のPlot的な節を分け、キネマ旬報の作品データベースのように、Plot節にはネタバレがありますと冒頭に記載するという手もあるのではと思いました。だらだらと長すぎる梗概は私も問題だと思いますが、日本語版に限定していえば長すぎる梗概よりもむしろ短すぎて作品理解の助けになっていない梗概の方が多いように感じます。--Giftlists 2008年11月13日 (木) 12:58 (UTC) 「小説本編を読んでみたいと思えるような記事」なんて駄目ですよ。ウィキペディアは広告する場所ではありませんので、「購入(視聴)を促す宣伝的な」内容の記事は歓迎されません。--ヘコー 2008年11月13日 (木) 13:50 (UTC) いまの『坊っちゃん』のあらすじは詳しすぎることはないと思います。量的にも適切だと思います。例えが映画の記事になってしまいますが、英語版の映画の秀逸な記事では、このぐらいの文章量であらすじが書かれています。むしろ少ない方かもしれません。--Afaz 2008年11月13日 (木) 14:56 (UTC) WPは「百科事典」であって「未読者のための紹介書」の類いではないのですから、そもそも「ネタバレかどうか」という視点が不要です。紙製の百科事典を見れば、解説に必要であれば結末まで書かれているのは普通です(念のためですが、不必要に詳しく書く事を肯定しているわけではもちろんありません)。そうした点から考え坊つちやんについては現状で問題はないと思います。 私ならネタバレが嫌ならそもそもインターネットでは調べません。--マクガイア 2008年11月15日 (土) 07:13 (UTC) 一応、上のご意見に付け加えさせて頂きたいのですが、「ネタバレかどうか」という視点が不要というのは、やや語弊があるように思われます。必要であれば結末まで書かれているのは普通ではありますが、その対象となるもの(この場合はくだんの文学作品)の作品価値を失わせるようなことはすべきではありません。要するに推理小説の記事だったら、それがどのような密室構造であったのか、それをどのように推理していくのか、文体、構成はどのような特徴があるのか、といったことは記述する必要はあっても、トリックの詳細や(江戸川乱歩のシリーズもののように最初から明らかであるものは別として)真犯人の特定までを明記することで明らかに作品価値を失わせる危惧があります。しばしば著作権侵害云々という話がでてくるウィキペディアですが、それらは記事として転載することで、もとの作品自体の価値を損なわせる危惧がある故と心得ます。そうであるならば、“それ”を記述することで解説の範疇にとどまれるか、それとも作品の価値を奪うことになるかを考えることで、おのずと相当であるか否かの判断がつくのではないかと思います。ウィキペディア━━というよりも百科事典━━として「ネタバレ如何」という概念とは、かようなことではないでしょうか。--???.???.???.??? 2008年11月15日 (土) 09:50 (UTC) ネタバレして困るような作品は百科事典に載せるに値しない、もしくは百科事典に掲載するには時期尚早であるということだろう。浦島太郎が竜宮城へ行った後にどういう運命になったのかを百科事典に載せて憤る人はいないであろうし、載せなければウラシマ効果について記述が困難になるのであるから。昨日発表されてまだ世間の評価を十分に受けていないような小説を百科事典に載せるべきかを考えることが必要だ。--220.159.3.5 2008年11月15日 (土) 12:03 (UTC) 話の内容を書くのに、例えば浦島太郎であれば『歴史上・文献に基づく解釈』の節にある結末が老や死ではなく肉体が地上から消え去るという神仙的な戸解譚になっているとか『横浜市神奈川区に伝わる話』とか。 こういう比較や関心を引くための形を伴って話を語る分には、私はネタバレだろうが構わないと思います。 そのもの本体の説明。つまり概要のような位置づけのみに、詳細を書くから問題が生じているのだと思いますが。 個人尺度を言わせてもらうと、15秒で分かるぐらいが私には丁度いいんです。 坊っちゃんに限定して言えば冒頭の作者の松山での教師体験をもとに、江戸っ子気質の教師が正義感に駆られて活躍するさまを描くと「作品解説」の節によって、十分あらすじとして機能しているので「あらすじの節」を、ごっそり削除しちゃっていいんじゃないかと思いますが(というか内容重複してませんか?)。--秋月 智絵沙(Chiether) 2008年11月18日 (火) 03:29 (UTC) それはどうでしょうか? 作者の松山での教師体験をもとに、江戸っ子気質の教師が正義感に駆られて活躍するさまを描くというのは、どう考えても「あらすじ」ではなく「作品概要」あるいは「背景説明」だと思いますし、作品が扱っている主題を説明する事と作品の筋の展開を具体的に述べる事は、全く別物だと思います。--Kasuga 2008年11月18日 (火) 10:23 (UTC) Kasugaさんのご意見に同感です。何故日本語版ではこうも作品記事でのストーリー説明がタブー視されているのか、参加して日が浅いせいか正直理解しかねています。過去に何かもめた経緯でもあるのでしょうか。--Giftlists 2008年11月18日 (火) 14:04 (UTC) (To:Kasuga氏)定義的な観点であらすじ=作品概要/背景説明と申しているわけではなく、現状の坊っちゃんの記事の状態では、坊っちゃんという作品を知るに、特に作品概要の節が作中の内容を適度にピックアップしつつ纏められているがために、あらすじ節を削除しちゃっても私個人としては違和感がない。という事です。 作品概要が例えばあらすじ部との重複が少ない、製作的な話が主である。などであれば差別化ができていますし多分今でも構成の仕方次第で差別化が図れそうな気がします。というか今の坊っちゃんの形の方が少数ではないでしょうか。--秋月 智絵沙(Chiether) 2008年11月18日 (火) 17:43 (UTC) (To:Gift氏)作品価値へのダメージや無意味化に対するボーダラインを引きにくいのであれば二極化したほうが分かりやすい構図になるからではないでしょうか。というか全員がそれぞれ「俺は、ここにラインを引くぜ」と意見を集めたところで合意に至りにくいですし。合意が取れるとしても二極化の結果を望むわけでもなく。こうした個々に任せられている状況なのでしょう。 あとは、その「あらすじ」自体が「執筆者の感性だけ」であることと。Wikipediaが誰でも編集可能であるが故に、百科事典の質とは影響の低いところでチマチマした編集が積み重ねられるとしたら、それも歪な気がします。--秋月 智絵沙(Chiether) 2008年11月18日 (火) 17:43 (UTC) (インデント戻して、個人的なこと)ぶっちゃけます。対象作品の価値に傷がつかなければ表面上の問題ないわけです。もっと言ってしまえば著作権の切れてる投稿者以外が書いたあらすじを持ち込めば幸福になれるかもしれません。EzDuzIt服用してでも幸福を維持しましょう。幸福は義務です。 そういえばメディア化しているドイツ語版とかは、今の日本語版の状況(というか日本メディアを相手にしている日本語版の状況)よりも問題と改めて向き合ったというか。少しなりとも考慮したのではないかと勝手に思うわけですが。気楽だったのか慎重に慎重を重ねていたのか。はたまたドイツらしく意見を陳情するのに、3D6を握り締めて、7個全て同じ目を出せと言われるぐらい過熱していたのか。お国事情も気になりますが。そのあたり詳しい方いらっしゃいますかね? --秋月 智絵沙(Chiether) 2008年11月18日 (火) 17:43 (UTC) 概説が百科事典としての本文であればあらすじは参考資料のような物であり、概説の中に全てを入れれば全体像が掴みにくくなるものでも、あらすじを別に設ける事によって作品に対する理解を深めるには役に立っていると私は思います。視点や役割が違えば、ある程度内容が重複するのは仕方ない事ではないでしょうか。またあらすじとは基本的に要約であり、国語の要約問題の解答が(国語の苦手な人は別として)大体同じような物になる事を考えれば、ある程度の履歴の積み重ねによって、問題のない形に落ち着く様に思います。 百科事典に載せる程の作品であれば、たとえ結末が分かった所で作品価値が失われる等という事はないのではないでしょうか。たとえそれが推理小説であったとしても、結末を知ってしまった人ががっかりしてその人にとっての価値が無くなるだけの事であり、作品そのものの価値とは根本的に関わりのない問題です。またこの手の議論になると商品価値が無くなるとの主張をされる方もいらっしゃいますが、『いきなり最終回』の様な本が発行されている事から考えましても、何も問題がないのではないかと私は思います。少しきつい言い方をしますが、結末を知りたくないのに百科事典を調べるような勘違いをしている人達へ配慮するために記事の充実を犠牲にする必要は全くないのではないでしょうか。--マクガイア 2008年11月19日 (水) 10:59 (UTC) (インデント戻し)こんにちは。こうした議論でよく「百科事典なのだから○○は不要」という言い回しを耳にします。今回の例である「百科事典なのだから結末までのあらすじは不要」という主張もその類型でしょうか。ですがお恥ずかしいことに私は普段は百科事典を読む機会が殆どないため、「百科事典なのだから」と言われてもいまひとつピンとこないのが正直なところでした。ですので今回、市販の百科事典では実際どうなっているのかなと興味をもち、久しぶりに近所の図書館へ足を運んでみました。大項目主義のブリタニカなどの事典では、作品単体の記事はない(作家の項目に包括されている)ので、創作作品を一項目として扱っている事典に目を通してみました。『坊つちやん』が独立項目として存在していたのは、『グランド現代百科事典』(学研)と『日本大百科全書』(小学館)の2つ。どちらもあらすじは存在し、そのどちらも結末までの記載がありました。記事全体の中であらすじが占める分量としては、目分量ですが学研は記事全体の半分、小学館は3/7程度でした。蛇足ですが、先にちらっと話題が出ていたバッタのエピソードについては、小学館のあらすじでは「いなご」と表記してありました。主人公がバッタと勘違いしていても実際のところはいなごなのですから、これは小学館の真似ではないですが、いなごと書いたほうがすっきりするのではないかと思いました。……脱線しましたが、私が目にした市販の百科事典に倣うならば「百科事典なのだから結末までのあらすじは不要」という論は当てはまらないような気がいたしました。--Giftlists 2008年11月23日 (日) 08:12 (UTC) ネタバレ自体がきたないスラングで、意味不明な日本語だと思います。マトモな百科事典では本来は使えないコトバだと思いますね。見るたびになんだと思います。IPでやるのも批判回避でしょう。--T34-76 2008年11月30日 (日) 13:53 (UTC) たわいない質問ですが、あるIPユーザーがテレビ番組の記事を中心に急速に「番組概要」などの見出しに変更されています(履歴)。個人的には「番組概要」ではなく「概要」という名の見出しにすればいいじゃないかなと思うのですが、いかがでしょうか。--影虎 2008年11月13日 (木) 08:28 (UTC) 概要でいいと思います。同じようなものが複数あると、それだけで紛らわしいし、わかりづらいです。わざわざサーバーに負担をかけてまでやる必要性はないでしょうから、説明しても続けるようなら、頻度によっては短期ブロックで警告かな? --124.108.239.168 2008年11月14日 (金) 05:13 (UTC) そもそも概要節そのものが要らない例もけっこうあるように思いました。あまり長い記事でなければ、「概要」を設けないほうが読みやすいでしょう。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)も参考にしていただきたく。--Bellcricket 2008年11月14日 (金) 12:20 (UTC) 124.108.239.168さん、Bellcricketさん、ご意見ありがとうございます。概要節自体ない記事も結構あるんだな…。それらを参考に、これからの編集活動に活かすよう頑張ります。--影虎 2008年11月16日 (日) 05:37 (UTC) ここに質問するのは初めてなので、変なことを質問していたらごめんなさい。Wikipedia:基本方針とガイドラインの基本的な方針に書いてある5つの方針は五本の柱ではないのですか?五本の柱のリンク先を見ていると、書いてある方針が異なっているのですが・・・。のくたーん 2008年11月13日 (木) 09:33 (UTC) 各ページに記載があるように「基本方針とガイドライン」の基礎となるのが「五本の柱」です。 言い換えればウィキペディアが「百科事典」であり「中立的な観点」であり「誰でも編集可能」であり「行動規範があるもの」であり「ルールを変えることも可能」であるためには、「偏見を避ける」「独自の研究を載せない」「著作権を侵害しない」「百科事典を創ろうとする」「他参加者に敬意を払う」といった行動を基本方針として心がける必要がある。ということです。 百科事典=百科事典を創ろうとする、中立的な観点=偏見を避ける+独自研究を載せない、誰でも編集可能=著作権(ライセンス)侵害しない、行動規範=他参加者に敬意を払う。 それぞれと密接な関係にあります。 最後の「ルールを変えることもできる(ルールすべてを無視しなさい)」だけは、少し特殊ですがルールを変更するためには、参加者全員に敬意を払って、慎重に事を運ばなくてはならないということです(新しい運用体制を導入するのに、本当に辛抱強く議論を重ねられているものだと歓心することもありました)。 私が創り上げた柱でも基本方針でもないので私なりの理解で他の方は他の考えがあるかもしれません。--秋月 智絵沙(Chiether) 2008年11月13日 (木) 14:49 (UTC) 五本の柱は、ウィキペディアの原則であり、理想・理念なのでは。そして、その理想・理念を実現するためにはいろいろな決まりや方針が必要になってきます。それが基本的な方針となっているのだと思います。--飛鳥 2008年11月14日 (金) 00:04 (UTC) のくたーんさんはじめまして。のくたーんさんが言いたかったのは『Wikipedia:基本方針とガイドラインの「基本的な方針」の節、節内導入部が、さらにその節内に続く「基本方針」(数も5つあります)を「五本の柱は以下の5つです」と説明しているようにも読めること』を気にされた、ということではないかと思います。よく読めば節内導入部の最後に「(五本の柱を)併せて読んで」と結んでいるので、「基本的な方針」が「五本の柱」そのものを指していないことはわかるのですが。 とはいえ、リンクより五本の柱に飛ぶと、「ウィキペディアの基本原則」と書かれているので、「基本方針」と似た文言のために混乱してしまったのかも知れません。ついでに言うと、投稿の際の事柄確認にて「基本原則について五本の柱も確認」を促されることも、そう思われた一因かも知れません。(「…五本の柱を」ではなく、「…五本の柱も」なんですよね。これも一字違いの意味違いでしょうか)「五本の柱」(原則)と基本方針との関係は、秋月さん、飛鳥さんの解説の通りです。 ウィキペディアのよき参加者として、またウィキペディアを題材とした卒論作成に向けてがんばってくださいね。--Tako8 2008年11月14日 (金) 01:00 (UTC) 秋月 智絵沙(Chiether)さん、飛鳥さん、Tako8さん、素早い回答ありがとうございます!!あと質問の仕方がどへたでごめんなさい。私が読んだ本で『Wikipedia:基本方針とガイドラインの「基本的な方針」の節に書いてある5つの方針そのものを五本の柱と紹介しているような本(いい本なんですが・・・)があったので、混乱して質問した次第です。ひょっとしたら私以外にも勘違いしている人が多いのかもしれませんね・・・。 卒論は鬼(先生)にまた書き直しを命じられなければいいが。(余計ですね)--のくたーん 2008年11月14日 (金) 04:03 (UTC) 本の名前を直接言うのは気が引けるので避けますが、ウィキペディアの現状についてとても真面目に取り上げた書籍です。ウィキペディアについて専門に取り上げた本は限られるので、これで分かる人には分かると思いますが・・・。--のくたーん 2008年11月15日 (土) 03:09 (UTC) 井戸端の議論とはいえ、出典を明らかにしないのはWikipediaっぽくありませんなぁ。という戯言はさておき。『ウィキペディアで何が起こっているのか 変わり始めるソーシャルメディア信仰』山本まさき、古田雄介著、九天社、2008年のp.19に該当部分がありますね。この本はすぐに絶版され一部改訂された上でオーム社から出版しなおされていますので、そちらではどうなっているかは知りません。ただ、私、一介のWikipedianとして言わせてもらうと問題の多い本だったと思います。--おーた 2008年11月15日 (土) 13:54 (UTC) おーたさんが紹介された本ですが、オーム社刊2008年9月1日 第一版第一刷のものも、該当ページは改訂されず、5本の柱を「5つの基本方針」の内容で紹介したままです。P.20では「基本方針とガイドライン」のWebページのコピーを表示はしているのですが。もし、のくたーんさんが参考にされた本が『ウィキペディアで何が起こっているのか(後略)』ならば、混乱するのも無理からぬことですね。 利用者には説明すればすみますが、ことは基本方針ですから、誤読を招く表現を放置するのはもちろん、誤読が出版され世に広まることはウィキプロジェクトとしてあまり好ましいことではないかと。 表向きにはこれまででだれも指摘・行動していないのですから、あえて現状のまま内向きにも外向きにも何もしませんか? ほかにも意見は出そうですが、少なくとも井戸端で続ける話ではなさそうです。(もっとも、リソースの問題もありますし、気が引けるとはまさにその通りですね。でももしかしたら、出版後どなたかが出版社に連絡されているかもしれませんね。)--Tako8 2008年11月16日 (日) 08:11 (UTC) 外部の間違いにウィキペディアが合わせることはないと思います。取材を受けたときにやりとりしていますから、ぼくのほうから著者に伝えておくのがよいのかな。--Ks aka 98 2008年11月16日 (日) 17:30 (UTC) Ks aka 98さんこんにちは。取材対応の際はご苦労様でした。再度取材を受けられた内容、オーム社版にて拝読しております。 ご提案いただきました件、旧知のKs aka 98さんからお話いただけますと、相手も話が早いかと思いますので、対応いただけますことを当方は期待いたします。 なお、5本の柱を「5つの基本方針」の内容で紹介ているのは、P19だけでなく、他にも図表として掲載されております。(今手元に本がないので後ほど追記しますが、ご確認いただけるとありがたいです)追記 P25でした。 せっかくですのでもう少しだけお付き合いのほどを。Ks aka 98さんがいわれますとおり、「外部の間違いにウィキペディアが合わせることはない」の、「合わせる」の意味が「外部の間違い内容を正とする」であればもちろん同意します。「外部が誤読しないようにウィキプロジェクトにて対応する」という意味でしたらば、消極的に同意です。「誤読を予防する意味で、もともとの意味を損なわず手直しを行いますか?」という提案だからです。 『…できるだけ早く把握してください。五本の柱では、…』--Wikipedia:基本方針とガイドライン#基本的な方針より一部引用 の部分を、「五本の柱」の頭で段落わけし、分けた文章を「他の参加者に敬意を払う」の説明文の後ろ(次行にインデント上げて)移動するというものです。 ゆえに、リソースの問題はありますし、ウィキプロジェクトとしての優先度も踏まえると、方針は現状のままとなりうることも理解しております。--Tako8 2008年11月17日 (月) 00:51 (UTC) おーたさんの言う通りです。ごめんなさい。卒論で取り上げていながら分からなかった自分が恥ずかしいです。 ということで出典を明らかにしますと、皆さんが推測した通り『ウィキペディアで何が起こっているのか 変わり始めるソーシャルメディア信仰』山本まさき、古田雄介著、九天社版で間違いありません。 連絡を入れようと考えましたが、Ks aka 98さんが連絡したほうが確かによさそうなので、連絡をしてくださるならこの件はお任せしようと思います。よろしくお願いします。--のくたーん 2008年11月17日 (月) 06:38 (UTC) じゃ、連絡しておきます。あと、誤解がないように微調整する分にはよいと思います。いったんノートで提案だけしてもらって、かな。さっきの一文目、ぼくがちょっと誤読してました。すみません>Tako8さん。--Ks aka 98 2008年11月17日 (月) 07:09 (UTC) Wikipedia‐ノート:基本方針とガイドラインにて、基本的な方針について表現の微調整提案として提案いたしました。方針に対しての提案は初めてなので、やや異質な感じになっていますが(汗)、ご審議のほどよろしくお願いたします。 Ks aka 98さん、出版社への連絡対応、ありがとうございます。アドバイスに従い、提案してみました。 磯田知章氏の投稿履歴を見てふと思ったのですが最近彼は登場人物一覧の編集で役名と声優ないし俳優を区切る記号を「:」から「-」に変える編集を中心に活動されているようですがこの編集は愚生としては正直必要ない作業に思います。 そこで彼のノートページにどうしてそういう編集をしているのかと聞いてもし、数日以内に回答がない場合はその時まででも最新状態の記事をundoを行うつもりでしたが管理者権限を持たぬ愚生がこのような行動を取るのは変だと思い依頼を出そうと思ったのですが、どこへ依頼を出せばいいのか皆目見当が付かずここに書くことを決意いたしました。 管理者権限がなくてもそれらの行動を取ることはできます。ただし、「:」を「-」に変えるだけの編集をするべきではないと同様、それを差し戻すだけの編集もするべきではないと思います。なお、当該ユーザーからの返答がない場合はコメントを依頼してはどうでしょう。West 2008年11月14日 (金) 13:34 (UTC) まずは会話ページでの当該ユーザーとの対話をお勧めします。返答がない場合や2人の対話では解決できそうもない場合はWest氏の言う通りコメント依頼を提出すると良いでしょう。コメント依頼の方法はこちらを参照してください。--沖矢昴 2008年11月14日 (金) 13:46 (UTC) (前述お二方とほぼ同様の内容になりますが)リバートは単なる編集の一種に過ぎませんので既に述べられていますが、ページが保護されていなければ誰でも行うことはできます。それが Wikipedia の利点でもあるのですから。ただ、リバートは過去の版に戻すという操作なのでその編集に問題があったときのみに限定すべきです(やり過ぎると編集合戦を引き起こしかねないという懸念もあります)。ただ、自分が気に入らない書式だからといって内容的にそこまで問題のあるものでなければあまり推奨できません。より適切と思われる形式から書式を破壊するような内容に修正する人もいますので、この辺りは編集合戦になってしまったらどちらの方がいいかちゃんとノートで合意をとるべきでしょう。何はともあれ、コメント依頼に提出の上で話し合って納得のいく方法を見つけるのが一番いいですね(該当者が話し合いに参加しない場合は状況によっては対話拒否としてブロックされることもあります)。 --Mzm5zbC3 2008年11月14日 (金) 14:43 (UTC) 区切り記号の選択については、プロジェクトでWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト アニメ/登場人物の書き方という議論があり、スタイルとして採用もされていますので、参考にどうぞ。--Y-taro 2008年11月14日 (金) 18:18 (UTC) 登場人物の書き方はWP:DRAMA方式とWP:ANIME方式があり、Wikipedia全体のスタイルとしては統一されていません。アニメなのでWP:ANIME方式に変更しているのでしょうが、WP:DRAMA方式に慣れている人には違和感があるかもしれません。--Afaz 2008年11月15日 (土) 03:37 (UTC) 議論の際に{{stub}}を貼られているのでスタブ記事として残っています。他の方の発言なので下手に編集も出来ません。こういった場合はどうしたら良いのでしょうか。ご意見をお待ちしております。--遡雨祈胡 2008年11月15日 (土) 04:56 (UTC) 発言の意味を損ねない形で編集するのも一手だと思いますが、他のノートページに{{stub}}を貼った場合でも問題が起こるので今回のような場合はテンプレートを改変すべきです。 Template:Stubを編集し、記事名前空間と指定されたプロジェクトページ以外から呼び出された場合はそのページをCategory:スタブに入れないようにしておきました。--Marine-Blue [ 会話 履歴 電信 ] 2008年11月15日 (土) 07:10 (UTC) 迅速な対応をして頂き誠に有難うございました。--遡雨祈胡 2008年11月16日 (日) 04:47 (UTC) Template:ActorActress の生年月日の表示がおかしいです。どのようにおかしいかは渡辺謙などを見ていただければ分かります。ソースとにらめっこしたのですが、私には直す技量がありませんでした(涙)。どなたか修正していただけないでしょうか。--Sillago 2008年11月16日 (日) 21:44 (UTC) とある利用者が1年間のブロック期間を終え、活動再開しています(汗)。このユーザーはブロック中に多重アカウントで無期限ブロックをくらっているのですが、wikipedia的に問題はないのでしょうか。--219.99.102.24 2008年11月16日 (日) 21:57 (UTC) 初めて書き込みをさせていただきます。 前後の文章を無視して、メモ書きのような「ここが足りない」的な文章が、本文に書き込まれている場合があります。整えたければ誰かがやれということなのでしょう。 他人の尻拭いは嫌ですが、不揃いな文章は気持ちが悪いので、手を入れたりもしています。 しかし、専門的な分野など調べが付かず、手直しした文章に責任が持てないこともあります。 こういう場合、書き込んだ人のページに「文章を整えてください」と注意を書くべきなのでしょうか。 ケンカになると困るのですが。 --水戸 2008年11月16日 (日) 23:02 (UTC) 申し訳ありませんが、ここと、ここの項目を手直ししたと書いてしまうと、先に書き込みをした方のアカウントが分かってしまいます。当然、訂正をした私が、その方々の書き込み方を非難していることも分かってしまいます。 例えば(こういう事例はありませんが)、『赤壁の戦い』の項目の、ある節の最後に、唐突に「○○もこの場に立ち会った」と書き加えられていたら、とても気になってしまいます。資料に当たって事実か否かを調べ、しかるべき位置に○○氏の名前を移動させたくなります。 でも、三国志ほど閲覧者のいない項目で、例えば天文学の書き込みなどは、私の知識ではとても責任を負えません。 前に書いた文章が言葉足らずだったので、改めて書きますが、「この文章を直したいけど、手が出ない」という場合、書き込んだ本人に注意する以外の方法はないものでしょうか。 例えば(例えばかりですみません)、天文学なら天文学で、「この人に頼めば、ササッと直してくれる」という達人が判る方法があったら、とても助かります。 達人の見つけ方(手に負えない項目の直し方)をご存知の方、どうかご教授ください。--水戸 2008年11月17日 (月) 11:10 (UTC) Wikipedia:修正依頼 とかユーザーボックスとか、その項目へリンクしている利用者を「リンク元」から探してみるとかでしょうか。ササッと直してくれる人に簡単にたどり着けるかというと、まあ‥‥‥ By 健ちゃん 2008年11月17日 (月) 12:09 (UTC) 水戸さん、達人を見つけるのにどれだけ有効かはわかりませんが、ウィキペディアンのサブページの「Wikipedia:ウィキペディアン/分野別」にはたくさんのウィキペディアン(利用者)がそれぞれ自分の関心のある分野に名前を掲載していますので、御参考までに御紹介しておきます。--モトカル(会話) 2008年11月17日 (月) 13:46 (UTC) 「修正依頼」は、「自分で直しなさい」の項目に該当すると端から諦めてしまっていました。「ウィキペディアン/分野別」という項目には、全く気づいてもいませんでした。初心者にも程があります。本当にすみませんでした。 笑われるとは思いますが、ウィキペディアン目指して頑張ります!ありがとうございました。--水戸 2008年11月17日 (月) 14:48 (UTC) 記事EeePCのノートで人を国粋主義者だと侮辱したYatobi、およびそいつが自分を棚に上げて書いたIPユーザーの利用者ページの初期化を戻したChatama、自らの権利を守るために戦ったIP利用者の発言をアク禁によって封じた管理者の全員に厳正な処分を。こいつらはウィキケットの「善意にとる」「個人攻撃をしない」「個人攻撃の除去」「新規参加者を苛めない」「安易に荒らしと呼ばない」「荒らしを侮辱しない」「議論が白熱しても冷静に」「腕ずくで解決しようとしない」の8項目に違反している。 ?以上の署名の無いコメントは、220.215.129.204(会話・履歴)さんによるものです。 もしかしてあなたはIP:219.110.129.253(会話 / 履歴 / ログ / whois)さんのブロック逃れですか?だとしたらなお拙いですが。まあ、ノート:Eee PCでの小生の仮定に基づいた可能性を示唆する発言が自分のことを批判しているように感じられたとしたら…なんでそういう解釈が出来るのか悩ましくも思いますが、その辺りはあなたのキャパシティや程度に対するデリカシー不足だったことは謝りますけど、だからといってあなたのこのような発言や行動を看過するほど寛大にはなれません…哀れむけど(爆言)。(言い過ぎたので表現の自主規制)--夜飛(話/歴) 2008年11月17日 (月) 11:35 (UTC) 先に暴言を吐いて人を侮辱しておきながら、反論されれば一方的にウィキケットを押し付けるその二重基準は何とかできないのかね。まあここで暴言を意図して吐いたと明記しているから、こいつも処分されるだろ。されなければおかしい。 ブロック逃れも酷い話だね。対話に応じているものをブロックして発言を封じておいてから暴言を吐ける、その神経がすごいよ。IP移動で即かわせるものを、IPブロック回避を拙いとか言われても、それはこっちの台詞だし。 それにしても、デリカシーなんて古い言葉使いますね。いま風に言えば空気読めない病気とかだろうけど。まあデリカシーって単語自体は最近自分も敢えて使ったばかりなので奇妙なシンクロニシティを感じるよ。いやwikiとは全く関係のない所で使ったんですがね。 ともあれ、まず国粋主義呼ばわりについて真摯に詫びてもらいましょうか。仮定に基づいた可能性の示唆とか言い逃れが効くなら、仮定に基づいた可能性の示唆としてやはりあなたは頭がおかしいか精神疾患を疑った方がいいんじゃないかという発言も不問に伏せる筈だしね。ま、ともあれ先にやったお前から先に謝罪なり処分なりを受けろ、ということ。対話のテーブルにつくのはその後で。--2008年11月17日 (月) 11:52 IP:220.215.129.191(会話 / 履歴 / ログ / whois) それといまさら暴言を自主規制しても遅いから。二度目だぜアンタ。登録ユーザーで新人に向かって二度も暴言を吐くったら、もう言い逃れは無理なレベルだろ…--2008年11月17日 (月) 11:57 IP:220.215.129.191(会話 / 履歴 / ログ / whois) てーかさ。当該PCのノート見てきたけど、他人の発言の間に割り込んでコメントをつけるとか、なんか基本的に「どうすれば文字で意思疎通ができるのか」みたいなレベルから説明をしないとだめっぽいんだよね。現時点では、「アンタが悪い」としか言いようがないんすよ。 新人なんだったら新人らしく、まずはあたりさわりのない項目から編集をして慣れるとか、手順踏んだらどうだろうか。おれだってそのくらいの手間はかけたぜ。--Nekosuki600 2008年11月17日 (月) 12:00 (UTC) こんにちは。Category:琉球の漢文史料をウォッチしているのですが、Category‐ノート:琉球の漢文史料がある利用者ページのサブページに移動されてしまいました。移動理由が、「このページが削除されるかもしれないから」ということなのですが、そもそも、削除されてもノートの内容は残るはずですし、それ以前に、記事の内容を利用者ページへと移動する行為自体がおかしいのではないかと思い、Wikipedia内を検索してみたんですが、探し方が悪いのか見つかりませんでした。ノートページを利用者サブページに移動することは許されているということなのでしょうか??--tail_furry 2008年11月18日 (火) 03:38 (UTC) 普通は転記に留めるべきでしょう。もし移動する場合には、事前に通常の改名提案に倣った合意形成が必要だと思います。投稿者に無断で移動されたのならば異議を唱える権利があります。 特に本件の場合、Category‐ノート:琉球の漢文史料が利用者:Yohan (China)/Category‐ノート:琉球の漢文史料へ移動された後にノートがコピペで復元されているので、おそらく GFDL 上の問題があります。一応書き込み毎に各人の署名は付いていますが、履歴と突合せれば偽署名状態なので。一度移動依頼によってノートの履歴を復元(移動の撤回)したあと、要約欄による履歴継承を伴って、利用者サブページへ転記し直してもらうのが良いと思います。移動を戻さずにサブページからノートページへ履歴継承して転記し直し→特定版削除、でも GFDL 的にはOKでしょうが、元来の議論場所であったノートページが履歴を持つべきであろうと思いますので。- NEON 2008年11月18日 (火) 05:01 (UTC) Category‐ノート:琉球の漢文史料 は現状で即時削除可能です。外国語話者のかたに「履歴を継承して転記して」と頼むのは難しいので、即時削除、移動を差し戻し後にどなたでも日本語版での転記に慣れているユーザーが代行として 利用者:Yohan (China)/Category‐ノート:琉球の漢文史料 へ Category‐ノート:琉球の漢文史料 から履歴継承しながら転記することで、Yohan さんにご不満は生じないと思います。--Su-no-G 2008年11月18日 (火) 05:09 (UTC) そうですね。Su-no-G氏が sd タグを貼ってくださったようなので、当事者の方々に差支えがなければ(sd 執行後に)私が移動と転記を行いますがいかがでしょう。- NEON 2008年11月18日 (火) 05:39 (UTC) 仕事のためお返事が遅れました。対処していただきどうもありがとうございました。--tail_furry 2008年11月18日 (火) 09:32 (UTC) 既存の記事をリダイレクト化する場合、統合依頼をする必要はありませんか? --私が田中の中の田中です 2008年11月18日 (火) 08:24 (UTC) 見出しのタイトルではこういってますが、実質的にはテレビ番組に関しての質問といった方がいいでしょうか。 たわいない質問ですが、あるIPユーザーが、テレビ番組を中心に急激に導入部の冒頭部分に『』をつけています(履歴))。前回私が井戸端で質問した時に、Bellcricketさんが参考にと教えてくれたWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)(履歴)を読んで見ました。一応、例としても『』が上げられているようなので問題はないかなとは思ったのですが、テレビ番組のタイトル名に『』は、付けた方がいいのでしょうか。--影虎 2008年11月18日 (火) 09:52 (UTC) Wikipedia:スタイルマニュアル#著作物名およびWikipedia:表記ガイド#著作物名の方を参照する限りではTV番組名に付けるようになってますね。ただ、Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすの観点で言えばそれのみの変更で版を重ねるべきではない・それのみの変更を大量の記事で連続的に行う必要性は薄いと思います。なにかの編集のついでに全てを付けた状態に変更することについては問題はないと思います。--凪海(Nami) (会話 / 投稿記録) 2008年11月18日 (火) 18:45 (UTC) 今回、UTC について把握していない利用者の勘違いにより問題がおきました。時刻表示自体の問題ではないとはいえ、誤解を招くような表示方法を続けることはあまり望ましくないかと思います。したがいまして、時刻表示を UTC から JST に変更することを提案します。また、この件について過去に議論などがありましたら教えてください。 ?以上の署名の無いコメントは、Kurz(会話・履歴)さんが 2008年11月19日 (水) 08:02 (UTC) に投稿したものです(影虎による附記)。 オプション>日付と時刻>タイムゾーン・時差に09:00記入でご自分で見える時刻表記が全てJSTになります。サーバーのUTC時刻とJST時刻との差はタイムゾーン内に表示されます。ガジェットのインタフェース変更ガジェットで「個人用ツールバーにキャッシュ破棄リンク付きの UTC の時計を表示する」にチェックを入れることにより、右上に常時UTC時刻が表示されるようになり(Windows環境であるならば)タスクバー右下にJST時刻も表示されている筈ですし世界標準時で表示されているサーバー時刻をわざわざ日本国内でしか通用しないローカル時刻であるJSTにするような面倒かつ無意味な変更は必要なく、個人がオプション設定を変更するだけで済むことであると考えます。--凪海(Nami) (会話 / 投稿記録) 2008年11月19日 (水) 08:31 (UTC) それは登録ユーザーのみの機能で、IPユーザーやただの閲覧者には機能しませんので、今回のような件には使えません。日本国内でしか通用しないのは確かですが、ここはウィキペディア日本語版ですので、日本を重視しても問題ないだろうと思います。なお、今ドイツ語版を確認しましたが、あちらではどうも CET(中央ヨーロッパ時間)を利用しているようです。Kurz 2008年11月19日 (水) 08:50 (UTC) 「問題」が何の誤解に対する問題なのか提示されておられませんので「今回のような件」というのがまず何を指しておられるのか、そしてどのような重大な誤解の発生によってサーバー側の時刻表示設定をJSTにしなければならないのか、という点が少々理解出来かねます。登録ユーザーであれば上記の方法を、IPユーザーであればUTCとJSTの違いについて簡単に説明して差し上げるだけで問題ないと思いますが。ただの閲覧者には会話ページにて知らせて差し上げることは出来かねますけれども、閲覧者に誤解が発生しシステムを変更しなければならない重大な問題というのがそこにあるとする論拠をまず提示して頂かないと話がしづらいな、と思っております。--凪海(Nami) (会話 / 投稿記録) 2008年11月19日 (水) 09:01 (UTC) ああ、ニュースをご存知なかったのですね、こちらがリンクを示すべきでした、すいません。[10] このような事例がありましたので、提案しています。--Kurz 2008年11月19日 (水) 09:06 (UTC) 海外版の記事を日本語版に追加翻訳、または、日本語版の記事を海外版に追加翻訳する際はコメント欄にいつの版を翻訳したのか記述しないとGDFL違反となることがあるので、そのときUTCでなく各国ごとの時間帯表示だと混乱を招くと思いますが。--ぽち 2008年11月19日 (水) 09:11 (UTC) その場合には要約欄のコメントに (UTC)ないし(JST)を付加させるという方法になるかと思います。Kurz 2008年11月19日 (水) 09:31 (UTC) 「今回」「この件」などについては、知らない方もいらっしゃるでしょうから簡単に申し上げますと、履歴ページの時刻 (UTC) を JST と勘違いした毎日新聞の記者が、事件が報道される以前の書き込み、すなわち犯行を示唆する書き込みと勘違いして報道してしまった事件のことです。詳細はGoogleの検索結果で各自お調べください。 で、この提案についてですが、毎日新聞の過失に配慮するようなタイミングであることは、私も少しばかり不愉快(?)ですし、おそらく同様に感じる方も少なからずいらっしゃることだと思います。しかし、履歴や署名、分割・統合・翻訳などの際の要約欄、投票などの期限など、これらのUTC表示が日本語版の利用者全員に(それを大きいと見るか些細なものと見るかは別として)負担になっていることは自明だと考えます。特に非ログインユーザ、新規登録利用者への負担は大きいことでしょうし、この提案を読んで「何を今更、かえって混乱を招く」「たかが9を足し引きする程度」と感じるベテランユーザでも、計算には1秒あるいは数秒、数十秒かかるでしょうし、後で不安になったり再度確認したりすることもあるかと思います。この提案には問題点も少なくないのですが、議論の余地はあると考えます。 とりあえず、一つ説明しておきますと、「日本語版であって日本版ではない」という理由は、あまり意味を持ちません。ある程度の規模のウィキペディア(の言語版)では、UTC以外の時間帯を履歴・署名に採用しているところが少なからずあり(参考)、「日本版ではない」という方針に反するものではない(少なくとも、世界中のウィキペディアンの大半からは支持されうる考え方である)と理解できますし、そもそも現在でもメインページの日付ではJSTが採用されており、その反論とは矛盾しています。--氷鷺 2008年11月19日 (水) 09:21 (UTC) デフォルトはそれぞれの言語版で違い得るでしょうし、同一言語版であってもログインユーザの個々の設定がどうか、という問題もあるので、履歴表示にタイムゾーン情報を含める様に MediaWiki を修正する、というのが技術的には正解でしょう。なお、MediaWiki のコードを調べずに書いていますので、すでに実装されているかもしれません。翻訳関連ではWikipedia‐ノート:翻訳のガイドライン#タイムゾーン関係でに議論があります。--Jms 2008年11月19日 (水) 10:09 (UTC) とりあえず各ページの履歴と「最近更新したページ」の冒頭部分でオプション未設定ではタイムゾーンが UTC であると明示してみました。「利用者の投稿記録」はどうしよう‥‥‥ By 健ちゃん 2008年11月19日 (水) 10:23 (UTC) 見た感じ、定期的に話題に上っているようです。システム変更は先送りされ、JSTへの変更は賛同者が多いようですが、合意形成にまでは至っていないようです。2.は投票しかかっていますが途中で切れており、この後どうなったかわかりません。--Kurz 2008年11月19日 (水) 12:37 (UTC) これに関する話題は定期的に(というわけではないですが結構よく)出てくる話題です。韓国語版 Wikipedia でも KST(時刻設定は JST と同一の UTC+9)になっており、実は結構サーバの基準時間は柔軟に設定されているようなので日本語版においても UTC にこだわる必要性はないと思います。今回は本当に投票まで持っていって実際に変更してもらうことを目標に動きませんか。 --Mzm5zbC3 2008年11月19日 (水) 16:25 (UTC) (競合しましたがそのまま)2.の議論を引っ張っていた (?) Widehawkです。2.の議論は確かに「途中で切れて」いて、ここでぷっつり議論が終わっています。後は投票の様式を決めて、投票に入るだけなんです。この際、履歴・署名などすべてひっくるめてどうするか議論し、投票に移れればすっきりして良いと思うのですが……、なかなか(自分も含めて)投票を積極的に進めてくださる方が現れなかったんですよね…。この話は何度も話題に上っている割には先に進まないので、結構重要に思われていないのかな、とも思ってしまいます。--Widehawk 2008年11月19日 (水) 17:35 (UTC) 私は反対ですね。慣れの問題も大きいですが、やはり UTC は「世界の協定」ですから、それなりに使い勝手が良いです。 私はドイツ語版で CET が使われているのは知りませんでしたが、もし何かあってドイツ語版を翻訳していたとしたら UTC と勘違いして「? (UTC) を翻訳」と履歴に書いて、履歴継承のミスとして削除依頼に出されて削除されているでしょう。何が言いたいかというと、時間を変更するということは履歴継承が非常に面倒になるということです。ドイツ語版やハングル版がどうなのか知りませんが、あまり翻訳の履歴継承の時刻を気にしていないのではないでしょうか。フェアユースの英語版や、履歴を全く気にしない中国語版は言うまでもありません。UTCをJSTに変えるのであれば、履歴継承に今以上に柔軟性を持たせてからにして下さい。でないと確実に無意味に削除される記事が増えます。そもそもウィキペディア自体がGFDLに完全に準拠しているわけではなく「ウィキペディア風に解釈している」だけですから、日本語版での固い規則を緩めるのは可能です(とはいえこのような提案をするのは何故か大抵長期荒らしのソックパペットなので、中々議論に発展しません。それに今の私には長期の議論に参加する余力がありません)。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2008年11月19日 (水) 22:50 (UTC) 他の言語版から来られた方の利便も考えデフォルトはUTCがいいと思います。Wikipediaがアカウントを持つことを推奨しているのであれば、アピールポイントの1つにもなるでしょう。毎日新聞の嘘記事については毎日新聞社の問題で、そこにWikipediaがあわせる形になるのはよろしくないと思います。時間も読めないような人がいてもいいのですが、そういう人が新聞の記事を書いていることがおかしいわけで、毎日新聞社の建物の掃除等の仕事にまわすなど、毎日新聞社側でいくらでも対策はできることでしょう。一々利用者を名指しして特定されるとか捜査本部が調べているなどというような脅迫まがいのことを全国報道されてはWikipediaを書く人が減ってしまいます。捜査本部の方で、こういうことがあって調べてみたらどうだったという発表があったことならともかく。Wikipediaに対する卑劣な攻撃といってもいいくらいの事件と思います。毎日新聞の夕刊に載せられたおわびも、謝罪とはとてもいえないようなものでした。JSTに変えたいのだとしても、このタイミングで(毎日新聞の記者程度の方でも分かるように)変更論議に入るのは好ましくないと考えます。--Loosebrief 2008年11月19日 (水) 23:55 (UTC) 初心者が差し出がましいのですが、私が最初に書き込みをした時も、なぜ時間がズレるのか不思議に思いました。調べて(UTC) だと分かってからも、なぜ日本時間で表記しないのだろうと思っていました。(国粋主義者ではありませんが) 個人的には日本時間に直しましたが、資料として『ウィキペディア』を閲覧するだけの頃は、書き込み時間のズレには全く気づいていませんでした。 一般の閲覧者(書き込みをしないユーザー)を対象にアンケートを取ったら、書き込み時間など見ていない(時間のズレなど知らない)人が大半だと思います。 せめて(UTC)ではなく(UTC:世界標準時)と表記していただけると、戸惑う閲覧者も減りますし、それでこそ万人が使用できる百科事典だと思います。 でなければ、小学校で「(UTC)と書いてあったら世界標準時のことですから、9時間足しなさい」と教えるべきです。--水戸 2008年11月20日 (木) 00:44 (UTC) UTCという文字列の意味が分からなければ、デフォルトで左の方にある検索の所にUTCと入れれば済むことでしょう。目の前に調べる道具があるのに分からないというのは別の所に問題があるように思います。小学校を基準にするのならば記事のほとんどがひらがなで書かれなければならなくなります。Wikipediaの目指す百科事典は『こどもだいひゃっか』ではないでしょう。--Loosebrief 2008年11月20日 (木) 01:03 (UTC) 社会 (教科)#社会科の学習内容で見ると小学校では身の回りから日本国内、中学校で世界というように広がっていくようです。自分の記憶を辿ってみても中学校1年生のあたりで地図の種類や子午線、標準時などを習ったと思います。つまり義務教育内で教えられています。毎日新聞の記者を含めて9時間足すとういことを分かっていない人は、このあたりで学習に躓いてそのまま放置したのではないかと推測されます。--Loosebrief 2008年11月20日 (木) 01:42 (UTC) (インデント戻し) 全くのナンセンスな話題と議論です。日本語版は日本人のためでもなく、日本語を解し、読み書きする世界中の者の物です。毎日の記者のチョンボから出た話題ですが、チョンボに合わせる必要は全く有りません。Wikipediaは日本のものではない事が知らしめられて幸いと思うべし。そもそもこんな変更をJSTの世界に住む者だけで決められないと考えるべきでしょう。地球一廻り24時間の時間帯があり、それぞれ勝手のに自分達の時刻に合わせたら、何故UTCを基準としているかの根本の問題が派生します。--Namazu-tron 2008年11月20日 (木) 01:19 (UTC) そのうえ、ネパール標準時(UTC+5:45)やオーストラリア中西部標準時(UTC+8:45)など、UTCとの時差が30分より細かい標準時も存在します。そのうえ夏時間が施行されている地域もあり、1955年までボンベイでUTC+4:51という時刻まで採用されていたのです。それぞれ勝手に自分達の時刻に合わせたら、今以上に変換が大変になります。--迷子の雄猫 2008年11月20日 (木) 02:23 (UTC) (1)翻訳に不便なのは、申し訳ありませんが翻訳者の負担になろうかと思います。翻訳に伴う負担と、それ以外の利用者の負担について考えるに後者の方が利用例が多いでしょうから。(2)UTCを周知すればいいとの意見については、最近は利用者が増えその辺を解さない利用者も増えています。あまり暗黙の了解というか、一定の知識を前提とした方法は望ましくないかと思います。また、日本語版においてはほぼ日本限定の言語であるという事情から、日本時間を採用する合理性はあります。(3)ウィキペディアは世界に合わせるべきかという意見ですが、これは答えの出ない問題で、ウィキペディア日本語版の方針によるとしか言えません。上で上げられているように、他言語版では現地時間を採用している例もありますし。Wikipedia:日本中心にならないようにというのがありますが、これは日本と世界の記事を同等に記述するようにとの内容で、JSTかUTCかどちらか一方を選択しなければならない状況では関係が薄いです。(4)結局のところは、UTCにもJSTにもどちらにも一定の根拠と合理性がありまして、どちらが正しいというものでもありません。最終的にはウィキペディア日本語版の方針によるのでしょう。もしこういった件について方針がなければ、投票によって決するということになろうかと思います。--Kurz 2008年11月20日 (木) 01:48 (UTC) 根本的な問題を見落としていると思います。例えば記事を見るだけの人にとって大事なのは内容であり、更新時間がJSTかUTCかといったことは記事を読む立場に何の影響も与えないように思います。どういう編集が行われてきたかという履歴的視点でもJSTかどうかは何の意味もありません。翻訳に伴う負担に対峙するものが何なのかということを考えるときに、一般の全ての利用者を対峙させるのは著しく合理性を欠く比較になると思います。更新時間がJSTかUTCかという事が意味を持つ利用者の全体に限って考えるべきと思います。更新時間がUTCであることで負担が生じる利用例が多いということであれば、どういう利用例でどういう負担になるのかということを並べるべきと思います。今回の毎日新聞のような利用例については、記事の内容や発展とは全く無関係なイレギュラーな利用例だと認識しています。--Loosebrief 2008年11月20日 (木) 03:09 (UTC) 非常になぁなぁな折衷案ですが、UTCとJSTの両方を併記する仕様には変えられないものでしょうかね。海外の報道機関サイトでは自国・自地域の時刻とUTCとを併記しているところを見掛けますが、ああいった具合にです。普段、アルジャジーラのウェブサイトを見ていてメッカ時刻(=局のあるカタール時刻と同じ)とUTC、ヒジュラ暦と西暦を揃えて並べてあるのを見ていて、そのように思いました。--???.???.???.??? 2008年11月20日 (木) 02:40 (UTC) Wikipedia:翻訳のガイドラインでは、翻訳の際の翻訳元記事への日時記入については触れられていません(翻訳先に翻訳元の翻訳した版の日時を記入するのみ)ので、日本語版のタイムゾーンが変更されても、他言語版から日本語版への翻訳に特に問題/変更はないのでは?逆の場合はそうはいかないのでしょうが、氷鷺さんご提示の利用者:氷鷺/各言語版の標準時を見るにお互い様と言ったところでしょうし、他言語版は「あまり翻訳の履歴継承の時刻を気にしていないのではない」かというラッキースター・キッドさんの仰ることにも一理あると思います。 私も毎日新聞の件に合わせたように変更するというのには思うところはありますが、他言語版でもそれぞれの標準時を採用しているようなので「日本版ではなく日本語版である/各国版ではなく各国語版である」といったこともこの件に関してはそれほど問題ではないのでしょうし、いちいち時間の計算をしなくて良いというのはメリットとして決して小さくないと考えます。--Tanas 2008年11月20日 (木) 07:09 (UTC) つまるところ「いちいち時間の計算を」するときというのは、どういう立場の人が何をするときなんでしょうか?--Loosebrief 2008年11月20日 (木) 10:15 (UTC) LuckyStar Kidさんの発言に関連してですが、特別:Newpagesで1万件(約1ヶ月分)からドイツ語版・フランス語版からの翻訳記事を確認してみたところ、"UTC" と書かれたものが6記事ありましたが、全て間違いでした。投稿者は、登録利用者4名とIPユーザ1名で、うち1つは CET と知っていたようですが、プラスマイナスを逆に計算していました。なお、正しく "CET" と記入している記事も、1つだけありました。このような、現在の……「UTC志向」とでも呼べば良いのでしょうか、「要約欄はUTCに」「UTCは世界標準」といった風潮や誤解は(仮に現状維持にしても)どうにかすべきではないかと思います。 ところで質問なのですが、毎日新聞の件を根拠に反対される方は、半年後、あるいは一年後ならば検討を考えても良いとお考えなのでしょうか? この提案は昔から何度も出ていますし、決着がつかなければまた繰り返されるでしょう。私としては、今回の提案を期にはっきりさせられたら良いな、と考えております。また、賛否が決するには時間がかかりますし、(仮にJST化が決定した場合には)さらに調整や告知などに時間がかかり、「なんとか新聞」の件など忘れた頃になるのではないでしょうか? その辺も踏まえて、反対するのであれば、別の根拠を提示していただけるとありがたいです。--氷鷺 2008年11月20日 (木) 11:25 (UTC) この件に関してはきっかけが毎日新聞の件であったとしても元々以前からたまに話題に上り、議論になっていたことです。今回の問題はあくまで毎日新聞側の問題であるのでこれだけを理由に変更するのは逆に反対です。ぼくが今一番気にしているのは署名の時間帯です。本来はこの時間帯は閲覧者の設定時間帯に合わせて自動的に変更されて表示されるべきなんじゃないかと思うのですが、開発者に問いあわせた限りではどうやら難しいらしい(以前に効いてもらったときの返答による)です。 Wikipedia や Wikimedia プロジェクト全体でローカル時間帯の適用禁止というような方針があるならまだしも、実際に採用している言語版があったり変更された(変更が認められた)言語版もある以上、決してナンセンスとは思いません。特に初心者にはこのデフォルトの時間帯が JST でないことを理解するのに時間がかかり無駄に暗黙の了解となっていてややこしく覚えることが多い点でデメリットがあると考えられます。勿論、 JST に変更知ることにより今まで問題なく利用していた人などが少々不便になったりするデメリットもありますが、いきなり変更するのではなく十分に周知徹底を行い、いつ頃変更しますというようなことを数ヶ月レベルでお知らせしておけば問題は少ないんじゃないでしょうか。分割や特定版削除などの大部分で UTC であることを前提にしている感がありますが要は版が特定できれば時間帯はなんでもいいはずで、その為ぼくがやるときは JST を基準に(ちゃんと JST と書いた上で)行っています。 --Mzm5zbC3 2008年11月20日 (木) 11:34 (UTC) 標準時や世界の時間の相互地図見れば、大国日本では時差を気にすることはないが、自国でも時差のある米国、EUなどなどに住んだり、商売を考えれば時差を常に考えるのが当たり前。時差を意識しない狭い了見の日本人的話題と言いたい。毎日の記者も更新履歴を見たから8時間前の事だと言えたのであって、せいぜい履歴の最初の記述「凡例:(最新版)= 最新版との比較、(前の版)= 直前の版との比較、M = 細部の編集、日時はオプションで未設定ならUTC 」の最後を「未設定ならUTCまたは協定世界時」とハイパーリンクに修正する程度の措置でしょう。翻訳者に関して言えば、JSTとUTCの時差を意識しないなら翻訳なんぞ止めた方がいいでしょう。せめてWikipedia内では時差のある世界に編集者や履歴を見る自分が居るのだと常に意識して貰いたいものです。日本人のグローバル化したものの見方への一歩でしょう。--Namazu-tron 2008年11月20日 (木) 11:48 (UTC) 上位14言語のうち9言語が UTC 以外を採用していることを知っての発言なのでしょうか。なんか、どこから指摘すればいいのか迷いますが、とりあえずもう一つ。UTCを使うだけでグローバル化した視野が持てたと錯覚できるなんて、いいですね。 個人的には、毎日新聞の件は「議論を延期する理由」にしかなり得ないと考えているので、混乱なく JST に移行できるかどうか、という点だけが問題だと考えています。履歴ページや投票期間などへの対応は柔軟かつ簡単に可能ですが、システム的な対応が難しい署名時刻への対応が最大の問題でしょうね。テンプレートを使用すれば、ある時期を境に切り替えたり、一時的に併記させたり、簡単な告知文を組み込むことなどは可能ですが、そのテンプレートを、いかに使いやすく設計し、(編集画面などに)配置するか、というところはかなり難しいと思います。補助的なものとしては、期間による過去ログ化や、botによる書き換え、なども検討可能な案だと思います。--氷鷺 2008年11月20日 (木) 12:01 (UTC) Wikipedia:日本中心にならないようになどを根拠に JAWP は「日本語版」であり、「日本版ではない」と主張する人がいますが今回の件は「日本中心にならないように」は関係ないんじゃないかなと思います(勿論、世界的な記事を書くなら当然、日本中心にならないように気をつけるのは当然だと思っています)。 UTC 以外の標準時を使用している言語版が存在しないとかならさすがに「日本語版だけ特別に」とはいえませんがある以上は切り替えを否定する材料はないわけです。そして、 UTC を使用することがグローバル化に繋がるかというとそうとは限りません。世界的に基準となる時間帯の定義が必要な点で UTC が選ばれただけで UTC が世界標準であるわけではありません(基準であり標準ではありません)。 --Mzm5zbC3 2008年11月20日 (木) 12:17 (UTC) 当方としては、もっと実際的な利用場面の話として、UTC よりも JST を標準採用することを提案します。例えば、ネット上には各新聞社の報道記事がひしめいていますが、日本国内の新聞社は通常 JST を採用しています。報道記事では報道時刻が重要な意味を持ちますが、これを世界標準にすべきだといって UTC へ変更することはあり得ないと思われます。一方、ウィキペディアはネット上の百科事典ですから、調べもののためにこれを併せて利用する一般の方は多いでしょう。9時間のプラス/マイナスが必要ということが自明であっても、一般ユーザーは馴染めないのではないでしょうか。 JST に統一する方が自然な成り行きだと考えます。Green 2008年11月20日 (木) 12:24 (UTC) ウィキペディアが、或いはインターネットが世界に通じ、世界に向けたメディアであるからUTCが相当である、という意見には一定の意味はあると思います。ただ、そうした主張をする方が忘れている事は、日本語版である以上、主となる対象は日本語話者である、という点でしょう。日本語話者の少なくとも殆ど全てに近い割合が、日常的に日本時刻を利用しているでしょうし、UTCよりもJSTの方が一般に利便性が高いと感じていると思われます。結局、ローカル時刻を採用している言語版では、それと比較したときにUTCを使うメリットが小さいと判断されたものではないかと憶測します。 英語版がUTCを採用するのは、英語がイギリスの言語だから、というよりも世界各国で公用語になっているのみならず、恐らく最もウィキペディア利用者が多いであろうアメリカに限っても複数の時制が存在する故に、それが最も利便性が良いという理由があるでしょう。…ならばスペイン語版は、というような突っ込みはせぬように。実際、各言語版がどういった合意形成に基づいているか等というのは知りませんし、それこそ日本語版の関与する話でもありません。要は、日本語版利用者が何を以て利便性の良し悪しと成すか、です。 その上で、「日本語版利用者、という観点にあたって、UTCがJSTと比較して、よりメリットがある」とする意見は今のところ出ていないように感じています。「UTCの意味なんぞ調べれば判るだろう」という意見は、裏を返せば「調べなければ判らん奴も少なくないだろう」という事にならないでしょうか。 念の為。UTCをJSTに切り替えるべきだという意見を私は持っておりません。しかし、JSTよりもUTCであるべき、より大きなメリットを見出していません。--???.???.???.??? 2008年11月20日 (木) 12:46 (UTC) まだ UTC がウィキペディア標準だと誤解されている方がいらっしゃるようですので、一応こちらにも一部転記しておきます。--氷鷺 2008年11月20日 (木) 12:27 (UTC) (追記・訂正)スペイン語版は2008年の春に、CET/CESTからUTCに戻されていました。5月に調査した際に、何らかのミスがあったようです。お詫びし訂正いたします。また、表のうちCETおよびEET採用言語版の全てと、ヘブライ語版で夏時間の併用を確認しましたので、追記いたしました。--氷鷺 2008年11月26日 (水) 12:33 (UTC) 私も「日本時間」でいいと思います。第二・第三の毎日新聞を生まないためにも(笑)。--経済準学士 2008年11月20日 (木) 12:34 (UTC) これはただの感想ですが、中南米でも話されているスペイン語版がCETを採用しているのが意外といえば意外ですね。yhr 2008年11月20日 (木) 12:49 (UTC) 一つ確認したいのですが、仮に切り替えたとして、切り替えの前後で履歴ページの表示はどのようになるのでしょうか。ユーザー設定でJSTに切り替えたときの挙動から推測するに、過去の履歴を含めてすべてがJSTに切り替わるのではないかと思うのですが、もしそうだとするとすでに記入されているノートページでの署名日時と違うということになって、ちょっと面倒だなぁとおもうのです。具体的に何が面倒なのかはもう忘れてしまったのですが、ノートページの署名と履歴欄の日時が違うのが意外と不便だったためユーザ設定を使用するのをあきらめたという経験が有るので、ちょっと気になりました。yhr 2008年11月20日 (木) 12:42 (UTC) 個人的には毎日新聞社のうっかりやさんのためにそこまでしなくても……という気持ちは拭えないのですが、それ以前の問題として現在行われている記事の分割や統合などの手続きはUTCの時刻で行われている訳で、もしも変更を行うとしたら今後において時刻の表記を伴う手順の問題をどうするのかの合意を得て、必要があれば規則の改定などを行わなければ、「要約欄に書かれた時刻が誤っており、履歴がきちんと継承されていないので削除依頼」なんて奇妙な事態が発生しないかという危惧があります。--水野白楓 2008年11月20日 (木) 13:00 (UTC) もし、 JST に切り換えることになったら基本的には分割などの部分で UTC 基準にしている部分は真っ先に改訂すべき事項になるでしょう。一方で、過去の版の履歴は修正できないのでその部分は仕方ないと思います。そこで、方針としては JST を推奨するが、他の時間帯も(時間帯の明記と共に)使用可能というルールと過去の版においては UTC 基準の場合があることを記述しておけば問題はないと思います(明記忘れなどによる問題が別にありますが)。その辺りの改訂は投票をした上で切り換えることが決定した後で十分に話し合って修正すればいい話です(切り換えるかどうかさえ決まっていない状態で改訂しても却下されたら意味がなくなりかねないので)。ただ、本来なら今回とは別件にこれらの時間帯は JST を含め他の時間帯での記述も可能とするようにしたいところです。慣れてしまえば、 JST だろうと UTC だろうとそんなに大きくは変。ただ日本語版を利用している大半の人の時間帯は基本的に JST になります。勿論、日本国外からアクセスしてきたり編集している人も多少はいると思いますが日常的にそのようにしている人は全体として10%いるかどうか程度ではないかと感じます。そうなると90%前後程度の人の不便性と比較した上で、 JST にできるならなるべくして欲しいというのが本音です。まあ、 JST でなければいやだというわけでもなく、前述のように慣れてしまえばそんなに問題はないという点で納得はできますので。他には(日本語話者の) Wikipedia 初心者やそもそも Wikipedia を利用したことのない人たちにとっては UTC はあまりにもなじみが薄すぎるという点で UTC 基準は初心者に優しくないです(新規参加者を苛めないでください)。 --Mzm5zbC3 2008年11月20日 (木) 13:26 (UTC) 繰り返しになりますが、不便だ不便だということを繰り返すだけでは意味がないのでどういう時に不便なのかということをはっきりさせてください。記事を読む人にはJSTかUTCかという違いはどうでもよく、変更履歴を調べる人にとっても差分が重要でJSTかどうかには何の意味も無いと思います。--Loosebrief 2008年11月20日 (木) 14:09 (UTC) Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいについても新規の編集者の間違いをあまり責めずに、優しく導くようにということが書かれているだけで新規参加者のためにルールを合わせろという意味ではありません。--Loosebrief 2008年11月20日 (木) 14:13 (UTC) 別に他人を説得しようとは思わんのですが、切り替え後の履歴ページの表示についてわかる方がいたら教えてほしいのです。個人的には、切り替え前の履歴は現状のままUTC表示とし、切り替え後の履歴からJST表示となるというのが一番良いと思っているので、そのような対応が技術的に可能ならば選択肢に入れてほしいと思うのです。このような対応が可能ならば、過去の翻訳や統合における要約欄の記述も、そのままで特に混乱なく継承することが出来ると思います。yhr 2008年11月20日 (木) 15:15 (UTC) 履歴の時間帯に関しては一様ですので、サーバ(正確には MediaWiki?)側の設定を変更すればすべて一緒に変更されます。履歴の一部だけ以前のままというのは恐らくはそういう実装はされていないはずなので不可能だと思います(システムの不快深い部分までは理解していないし、そういう実装ができないとも断言はできないですが実装しているとか今後実装される可能性は恐らくないです)。この点で、 UTC から JST に変更した場合の現状で思いつく一番のデメリットはここです。ただ、これに関しては仕方ない部分もあり、またちゃんと UTC 表記がされているなら問題は少ないかと思います(たまに明記していない場合もありますがまあ多分分かると思います)。で、上記の問題以外は基本的に思いつく大きなデメリットはないと感じます(勿論、今まで UTC でやってきてそれに慣れているユーザーにとっては再度覚え直しなので最初の内はちょっとだけ不便をかけますが)。 --Mzm5zbC3 2008年11月20日 (木) 15:53 (UTC) あと、「新規参加者を苛めないでください」を提示したのはミスです。確かに少々議論が違っていましたね。申し訳ないです。ぼくとしては、現状維持でもそこまで困ってはいないが変更できるなら変更したいという立場なので投票が実施されたら賛成の方に投票するつもりですが、この件について反対している人たちはそれこそ何に対して反対しているのでしょうか(「記事を読む人にはJSTかUTCかという違いはどうでもよく、変更履歴を調べる人にとっても差分が重要でJSTかどうかには何の意味も無い」としてどうでもいいなら逆に JST への切り替えへの反対の根拠にはならないですし)。当初は混乱するけど、ちゃんとした周知徹底によって確立されれば逆に時間帯は何でもいいのは当然なので現状の UTC ありきではなくしたいという気持ちがあります。 --Mzm5zbC3 2008年11月20日 (木) 15:53 (UTC) 毎日新聞のケースは履歴ページのタイムゾーンが何であるかが表示されないということに直接的原因があるのであって、デフォルトのタイムゾーンが何であるべきかという事とリンクさせて議論すべきではないと思います。履歴ページに「日時はオプションで未設定ならUTC」という表現が追加されましたが、実際に表示されているタイムゾーンが何であるかまではわかりません。MediaWikiの解説を読むと適当な変数を利用すれば履歴表示に使われているタイムゾーンが何であるかを示せるのではないかと期待します。できれば差分などの表示でもタイムゾーンが表示されれば便利でしょう。--Jms 2008年11月20日 (木) 16:13 (UTC) おそらく、日常的に日本語版を見るユーザーの多くは、99% 日本在住の日本人でしょう。そのうち 8割がたは、初心者といっても良いユーザーだと思います。大多数の、そして初心者の視点で考えれば、明らかにJSTのほうが親切と言えるでしょう。--アイバー 2008年11月20日 (木) 16:41 (UTC) 何度もいっているようにぼくは今回の毎日新聞の件とは切り離して考えています。それだけを理由に切り換えようとしているなら反対意見に廻ります。そうではなく、例えこの話が出たきっかけがそうであろうとも、一番目に見える部分で大きなウェイトを占めているのが署名の時間帯でこれに対する質問が多かったりするのと個人的にも気になる部分があります。 --Mzm5zbC3 2008年11月20日 (木) 18:27 (UTC) みたいな感じにするはずです(現時点での JAWP に適用されているバージョン 1.14alpha (r43634) での確認はしていないので値が違っているかも知れませんけど)。各 MediaWiki の設定時間帯は署名(--~~~~)したときに表示される時間帯と一致します。この署名時間帯はオプションでの設定での変更はできない部分です。履歴などの時間帯はオプションで変更できますが、設定されている時間帯が UTC からどの程度ずれているのかの表示がないというのは確かに分かりづらい部分はありますね。一応、「UTC: 2008/12/1 01:11」/「LocalTime: 2008/12/1 01:11」の差分で UTC とその MediaWiki に設定されている時間帯(オプションの設定ではない)とがどの程度差があるかは分かります(オプションでは UTC からいくつ +- するかだけの指定で JST などの特定の標準時の名前を指定できません)。現在 MediaWiki に設定されている時間帯がなんなのかを表示する変数ってないのかな。 --Mzm5zbC3 2008年11月20日 (木) 18:27 (UTC) 私も変更には非常に消極的な立場です(明確に『反対!』とは言いませんが)。 まず、「UTCがウィキペディア標準である」との意見については、 私はそれを強く決定付ける根拠なり事例を示すことが出来ません。 が、氷鷺さんの表を見ていただいても分かるとおり、UTC以外のタイムゾーンを使っているウィキペディアがあるのと同時に、 UTCを使っているウィキペディアが圧倒的に多いことも確かです。これをもって、「標準である」とは言えませんが、しかし他言語版、特にjawpが非常に密接に(一方的に)連携しているenwpとの連携を考えた時、やはりUTCで動いていた方が非常に都合がよいと思います。また、MediaWiki、つまり「ウィキペディア用に作られたシステム」が{{CURRENTDAY}}系のマジックワードを全てUTCに設定しいるのは何のためかということを考えても、UTCを他のタイムゾーンと同等に扱うことはできないと思います(※{{LOCALDAY}}系を使えばUTC以外にすることもできます)。さらに、これは個人的な経験ですが、以前何かの時にドイツ語版から翻訳しようと思ってコピーしたとき、要約欄にUTCと記述してしまい、後で他の人に指摘されてSDしてもらったことがあります。この件は完全に私の確認ミスなのは確かですが、「なんでUTCじゃないんだ・・・」とも心の奥では思いました。 もしjawpでJSTを採用する場合、確かに言われるように「利用者の多くにとって」自分の標準時と一致しますので誤解もなくスムーズな運用が可能かも知れません。しかし一方で、他言語版の方(ja-Nではない⊃日本語があまり得意でない方)にもJSTを強要することになり、その方々の苦労は、我々日本語を自由に扱える人がjawpでUTCを使う苦労よりはるかに大きいと考えます。 それと、先ほどドイツ語版でde-1なりにこの件について調べたのですが、UTCを使わざるを得ない状況なのか、はたまたUTCを使うべきと強情な人がいるのか分かりませんが、どうも一部ではCETとUTCが混在している部分がいくつか見受けられました(c.f. dewpでの"utc"検索結果)。 もし仮にJSTに変更する場合であっても、変更する前に(変更の投票をする前に)「JSTにした場合どのような部分で問題が起こりどう解決したらよいか、手間はどれぐらいなのか」をきちんと十分に調べてコミュニティに提示しなければ、変更後にタイムゾーンが混在して余計ややこしいことになるように思います。あと、これ以降は私の思いの話ですが、JSTにしてしまうと「jawpは日本と言う地域を対象としたもの」という事実をある種肯定してしまうような気がします。事実上はそうなってるのかもしれませんが、しかしenwpなどに時々出入りしてjawpと違って時間帯に関係なくたくさんの人が活動しているのを見ると、少しうらやましいなぁ・・・と思いますし、enwpのように時間帯にとらわれず活動がなされるような状況というのが本来のあるべき姿なのだろうなぁとも思います。これはみなさんも共通認識にあることだと思いますが、「○○言語版」が「○○語を話す世界中の全ての人」を平等に対象としているものです。 この理念を考えると、JSTにして日本国に住んでいる(あるいはJSTと同じくUTC+9のタイムゾーンの人たち)を特別扱いすることには違和感を感じますし、それをしてしまうことは非常に残念な気がします。すごく主観的な意見かもしれませんが、UTCを使うことは、jawpあるいはウィキペディアというものが「言語の隔たりなく地球上の人を対象とするプロジェクトだ」ということを身近に認識できる材料として非常に重要な役割を担っているとも思います(この辺りの思いが、WP:JPOVを推された方たちの思いでもあったのではないかとも思います・・・)。--青子守歌(会話/履歴) 2008年11月21日 (金) 06:33 (UTC) 「enwpとの連携」ということですが、英語が国際的な通用語として用いられているという事実はあるものの、jaWPがenWPと関係が深いわけではないでしょう。ウィキメディア財団が米国に事務所を置いていることも、英語の使用が多くなる一因でしょう。どの言語版でも英語によるコミュニケーションが重視されることにかわりはありませんが、にもかかわらずenWPとちがう時間帯を選択しているところもあるわけです。 {{CURRENTDAY}}などのマジックワードがUTCであるのは、それがシステムの内部時間 (UTC) を表示する機能であるから、という以上の理由はないでしょう。{{LOCALDAY}}系統のマジックワードも用意されているわけですから、UTCが利用者に適した時刻表示だとは言えません。 議論の履歴などを保管するページにUTCを使うという習慣があるようです。これはもしかすると、データベースダンプなどから生成しているためにシステムの内部時間 (UTC) のまま出力しているのかもしれません。上記の検索結果にでるものは大半がこれです。 deWPがいつからCET/CESTを採用したのかはわかりませんでしたが、2006年1月にheWPの管理者が時間帯の変更手続きについて質問していることから、これ以前にすでに採用していたと見られます。 署名では、ごく初期のころからCET/CESTを使っている例が見られます。 オプションのヘルプの2004年11月の加筆[11][12]でドイツの時間帯に言及していることから、だいたいこのとき以降によく使われるようになったと推測できます。 ただしこの加筆にあるように、利用者オプションでは夏時間のはじまりや終わりの際に自動的に変更されないという問題があります。そのため、システムのデフォルト設定を変えることになったのでしょう (システムの設定では、夏時間も含めた時間帯の設定ができます)。 以上からわたしの受けた印象は、deWPでは「CETとUTCが混在している」のではなく、基本的にはCET/CESTが採用されているというものです。 さらに、以下のような例とくらべれば、日本語ブロジェクトで日本の時間帯を採用することは利便の点から支持できます。 enWPが時間帯をUTCとしているのは、使われている地域が非常に広範なので特定の時間帯に設定できないという事情があるからともおもわれます。これはロシア語圏のように多数の時間帯をもつ言語のプロジェクトと同様でしょう。 いっぽうでスペイン語、ポルトガル語、フランス語のように、旧宗主国の時間帯を採用している言語もあり、それ以外の地域の無視できない人口を無視していることになっています。 今更なんですが、JSTの切り替えには明確に反対します。毎日新聞社の件は毎日新聞社の社内で対処してもらえば良いだけの話で、ポカをやらかした一記者に合わせる必要は全く無いものと考えます - まさか、毎日新聞社の社長以下社員全員、誰一人としてUTCを解する者がいないというわけではないでしょう。「UTCは初心者に優しくない」という意見もありますが、初心者かどうかということと、UTCを解することの間に関係性があるとは、私には到底思えません。当たり前のことですが、UTCはWikipediaのためだけに存在するものではありません。むしろ、UTCを解する解さないはWikipediaで初心者か否かということではなく、いかに常日頃から日本国外のことも考えて生活しているか否か、という部分に関わってくるものと思われます - 私自身はというと、中学生の頃から自室の壁にグリニッジ経線を中心とした世界地図を貼り、毎日眺めてましたので、かれこれ3年前、初心者時代からUTCには全く違和感は感じませんでした。それどころか、今は仕事上JSTだけで動くわけにはいかず、シンガポール標準時(UTC+8)やアメリカ東部標準時(UTC-5)/夏時間(UTC-4)も意識しながら進めなければならない立場なので、JST中心、ないしJSTオンリーという考え方のほうがよっぽど違和感があるくらいです。UTCに慣れ親しんでいない人(Wikipedia初心者とは限らない)にも配慮する必要があるというなら、メインページなどの目に付くところに、下記のような注意書きでも付しておくほうがよっぽど親切というものでしょう。 注意: 日本語版ウィキペディアにおける「履歴」ページ、および署名の時刻表示は協定世界時 (UTC) で示されています。日本標準時 (JST) に換算するには、UTCで示されている時刻に9時間を足してください。 勿論、上記のような注意書きがあっても読まない人はいますが、それはもはや、我々の責任範囲外であるかと存じます。Yassie 2008年11月22日 (土) 03:03 (UTC) 初心者などには、とても良いことだと思います。賛成します。--ウィキペディアン 2008年11月29日 (土) 08:07 (UTC) (賛成)この注意書きを「履歴」ページなど関係するページの冒頭に置く。メインページに置くのはこの際敢えて是認とします。技術問題、サマータイム制、日本版でないなど、多くの懸念への解決策です。現状維持で、しかも、内外の編集者に告知も不要です。賛否で決める案件とも思えず、議論も先が見えない長期化。まず、これで走り出したら良い。こうした議論や審議中も間違える人は現れるでしょう。--Namazu-tron 2008年11月29日 (土) 09:34 (UTC) Mzm5zbC3さん。不便だということを繰り返されたのですから、どういう場面で不便だということを明記していただけませんでしょうか?困る場面が隠されたままです。それと「何度もいっているようにぼくは今回の毎日新聞の件とは切り離して考えています。」とのことですが、本当にそう思うなら半年後とか1年後とかほとぼりがさめた頃まで待とうとは思いませんか?--Loosebrief 2008年11月20日 (木) 22:48 (UTC) 具体的な理由も示されませんが、繰り返し言いますが履歴の冒頭を「未設定ならUTCまたは協定世界時」とハイパーリンクに修正する程度の措置でしょう。53万余の記事も中学生以上でなければ理解できないものばかりです。日本に偏らないと言いながら、少数を無視して、JST化は全く反対です。読者にはUTC,JSTいずれも関係なく、履歴に関心を示し、見るものには協定世界時を補えば十分です。Wikepediaの世界はUTCやGlobal的だと暗示することの価値は有りと見ます。いくつかの言語が現地時間帯は判りましたが、初心者だってそんなものだと理解はするでしょう。JSTへの変更理由が薄弱です。他言語リンクすらあるWikipediaを日本にいる者の都合だけで、読者も含めて多数決的変更は日本に偏らずの基本理念の遺失です。ニュース速報ではないに違反するから編集で不都合が出るのでしょう。(尚、UTC、JSTの併記は不可ですか。)--Namazu-tron 2008年11月20日 (木) 23:09 (UTC) いや、なにも南琉球諸島時間のようなまったく使われていない時間帯にしようと言っているわけではないのですから。より多くのひとにとって自然な時間帯を選択できるのなら、そのほうがよいとおもいます。ちなみに、南極大陸では各国の基地ごとに本国の時間帯を用いるようです。 実際、編集する記事の時間が自分の時計とずれているのには、ときどき混乱しますね。9時間も時差があるとしばしば日付までもがずれるので、いったいいつの編集かが自分でもすぐにわからなかったりします。他言語版の記事を翻訳しているような場合、翻訳元の時間帯がちがうのはともかくとして翻訳先でも時間を換算しなければならないため、翻訳後に翻訳元が更新されたのかどうかをたしかめるのにも余計な思考が必要になります。 --Hatukanezumi 2008年11月20日 (木) 23:49 (UTC) UTC派でもJST派でもない自分には、理由を示していないのはお互い様に見えます。UTC、もしくはJSTで「なければならない事由」「そうである方がより利便性ある側面」、これに付いて述べるべきです。 「UTCがMediaWiki的にデフォルトだから」…事情説明にはなりますが、デフォルトを変えてならない、そうであるべき根拠にはなっていません。 「UTCが国際的だから」…理由になりますが、日本語という極めて限定された国語の版が国際的であるべき明確な事由が更に必要です。 「今までUTCであるから履歴継承的問題がある」…履歴関連の問題が解決できるか否かの議論や検討も行うべきでしょう。少なくとも過去に履歴の引継方法が変更された事は存在します。それが混乱であるか否か云々はまた次の話。 「新聞記者が間違えたから」…一記者の失敗を殊更問題にする必要はありません。しかし、そうした誤りが少なくないという側面も留意すべき案件。しばしば井戸端で質問してきる人がいることと、それに回答する手間は大したことがないにしても、同じ質問が頻繁に繰り返される事自体が生産的とまでは到底言えまい。 これまでUTCであった履歴自体は継承方法の変更でできないことは無いと思っています。その具体的方法等に付いては別途、並行して議論する必要がありますが、くだんの検討自体が「UTCを改める」という前提を持つ為に当該議論の枠内だけで話し合っていてもぐだぐだになるだけですから、新規にページを起こして行う方がベターでしょう。(まぁしかし何だろう、元から時計が狂っていることさえあるのに、過去にスタンプされた“UTC”にそこまで強力な説得性があるのだろうか…?) 上で「どういう場面で不便だ」と質問されている方がおられますが、少なくとも日常生活に於いてJSTのほうが利便性を持っていると私は思っています。それがUTCである今を覆すほどの大きな意味を持つかどうかに付いては述べませんが、質問されているご当人にあたっては「UTC(若しくはJST)のほうが普段、利便的である」「他方が不便である」と感じておられるのでしょうか。さもなければ「であるべき事由」は、そのだけ失われます。もう一つ、「ほとぼりがさめた頃」…それっていつでしょう。繰り返しになりますが、この手の話が井戸端から消えた試しはありません。1年後に検討しようとする案件を、現時点で避ける明確な理由がありません。今の時点ではオーバーテクロノジーだから技術的に無理だ、というような話ならば別ですがね。 日本で日本語学習する人の非日本語母国人の数と海外での日本語学習者合わせて約300万人です。Wikipediaは彼らの母国語と日本語で記事があり、良い自習教材と思いたい。JSTにこだわりUTCを無視するのは薄情ですね。世界に発信するとの心意気で日本語版と英語版を編集してますがね。また、統計には出ない、日本の内外を問わず日本語が達者な外国人も今日(きょうび)珍しく有りませんね。--Namazu-tron 2008年11月21日 (金) 03:23 (UTC) 私に対して向けられているものならば、JSTへの拘りも、UTCへの無視もしておりません。もう一度、上の文を読み直して頂きたい。また、海外の、若しくは日本在住の日本語以外の話者が、日本語学習教材としてウィキペディアを利用するのは勝手ですが、それが主眼に据え置くべき案件とも思えません。第一、かような方達がタイムスタンプを確認するケースがそんなに頻繁にあるとも思えません。(無視して構わないと迄、言うつもりはありません、念の為) ぶっちゃけ、他国の人間が教材目的で使うならば、それこそ日本時刻くらい調べてくれて構わないでしょう。上でアルジャジーラの例を出しましたが、自身、くだんのサイトをアラビア語学習に使っています。もし、くだんのサイトがグリニッジ標準時や西暦を併記していなければ手前で調べようとするのではないかと思います。そうでなくとも辞書片手に調べている訳ですからね。…くどいようですが、UTCなど無くても宜しい、と言っている訳ではありません。 日本語学習者への利便性を考慮するというご意見がありましたが、日本語学習者の立場で、実際にどう感じているかという意見に興味があります。個人的にはUTC→JSTにすることにより日本語学習者が不便に思うのかやや疑問を感じています。というのは、日本語のリソースは何もウィキペディアだけではなく、大手新聞のサイトなど多々あり、JST表記は少なくないですよね。例えばニューヨークに住む日本語学習者は、現状でESTとUTCとJSTの3つの標準時を意識していて、ウィキペディアがUTCだとしてもJSTだとしても、結局JSTを考慮する必要が生じるのではないかと。そういう意味では、むしろ「日本語の大手報道サイトなど、多くの日本語リソースが採用しているJSTのほうが都合が良い」という考えも出てきませんでしょうか。これは何も「他がそうだから合わせたほうが良い」という意見ではなく、日本語学習者への利便性を考慮するのであれば、実際の学習者の具体的な利用シーンが提示されない限り、UTCが必ずしも利便性が高いとは言えないのではないか、また、JSTにすることが必ずしも薄情とは言えないのではないか、ということです。Abchance 2008年11月22日 (土) 03:08 (UTC) 非ログイン者用の表記には時刻の後ろに「(協定世界時)」などと明記してあれば混乱が起きなかったと思うのですが。これなら、ログインユーザーには影響を受けませんよね? 追加で、ログイン者用にオプションの選択肢を増やしてほしいのですが、これはまた別の機会にでも。 --ひゃくまんこのしあわせ 2008年11月21日 (金) 04:15 (UTC) UTC を軽く見ているという事ではないです。基本的にはどの時間帯も公平であると思います。だからこそ、逆に JST への切り替えを否定するのは JST を軽く見ているように思えてしまいます。ローカライズというのは言語だけを翻訳するのではなく、時間帯の対応も必要なのではないかと思います。決して、 JST に切り換えるべきとかそういうことではなく JST に切り換えたいな〜という要望・願望に似ているかも知れません。他言語版での UTC 以外の標準時採用に関する言及でも「他言語版で UTC 以外の時間帯を採用しているから日本語版も JST を採用すべき」というようなことはだれもいっていないと思います。あくまで、事例があるから変更すること自体は可能であるということです(事例がないのに日本語版だけ特別に JST にしてくれという要求なら難しいことは当然ですので)。あと、今すぐに切り換えたいともいっていません。この話は例えば投票するという事になったらば、それから投票へ向けてウィキペディアン全員へのお知らせなどが必要になりますし、準備に時間もかかるので実際に投票が開始されるのは1, 2ヶ月くらいは後になると思います。そこからまた十分に投票期間を設けて、(仮に)賛成多数で可決したらば今度はルールなどの修正が必要になってきますので、これまた周知徹底とルールの修正などをしてまた、それからになるでしょうからどうしても早くても数ヶ月はかかるでしょう。それまで、ちゃんとした問題点などの洗い出しをしたいところです。あくまで、可決することを前提に離しましたが否決されたらば今回は諦めるしかないでしょう。ただし、いずれまた同様の議論は出ると思います。 --Mzm5zbC3 2008年11月21日 (金) 11:45 (UTC) 一般読者にとって、履歴は重要でないという意見がありますが、記事内容を確認する上で、非常に重要です。誰でも書き込める反面、単なるいたずら書きや故意に事実に反した書き込みもあります。最新版の内容を検証する際、履歴の一部として表示される時刻も重要となってきます。さらに、ウェブサイト上の日本語ページの大半は、JST を採用しているのですから、ウィキペディア日本語版が UTC 採用だと不特定多数の方にとっては混乱を招くだけのように思えます。第一、日常生活で UTC を使うのは、特殊な場面に限られます。一般の日本人が腕時計を UTC に合わせて使わないのが、その一例です。--Green 2008年11月21日 (金) 12:14 (UTC) いろいろ、 UTC から JST に変更する場合におけるメリットとデメリットについて意見が出ていますのでまとめたいところです。順番などは個人的に思いついただけ順不同で書き並べます。また、他にあったり間違っている部分などは自由に修正してください(個人的には賛成寄りなので実態よりもメリット側に偏って不公平になっていると思います)。 --Mzm5zbC3 2008年11月21日 (金) 11:45 (UTC) jaWPでは普段の生活時間がJSTである利用者が多いため、IP 利用者や初心者などはもちろん、手慣れたログインユーザであっても、時間帯が JST で表示された方が混乱がなく分かりやすい (デメリット: ただし、対象者は日本および同じ標準時を採用している地域(韓国など)に住んでいる人に限定され、それ以外の地域からアクセスしている人に不便をかける) (ただし現在でも「ウィキペディアではUTC」という誤解のために、CETの時刻に (UTC) と誤記入してしまうようなミスが少なからず見られる) 他言語版を見ても UTC 以外の標準時を採用している言語版 WP がある以上、全体として使用することは否定されていない (注記: あくまで、否定されていないという例示だけであり、これだけを見て JAWP も切り換えるべきとはいえない) JST に切り換える場合、一部の現行ルール変更をする必要性がありそれによって支障が出る可能性もあるがそれは実際にやってみなければ分からない 切り替えにどの程度の時間がかかるか不明だが、(仮にスムーズに進められたとして)1ヵ月後くらいに移行できるならば、毎日新聞の件との関連を容易に連想させてしまう。 かなりこじつけ的なところも多く、意外と思ったよりもデメリットが大きいことも改めて分かりました。ぼくとしては署名の時間帯が変更できるなら実際の所デフォルトは UTC でも構わないという考えなんですけど、現状ではできませんし UTC 表記だといつの発言なのかすぐに分からないというのが困るときがあります(計算すればいい話ですが毎回するのも面倒ですし)。 --Mzm5zbC3 2008年11月21日 (金) 11:45 (UTC)メリットの対象にログインユーザを加筆 --Hatukanezumi 2008年11月22日 (土) 01:04 (UTC) 「あちらを立てればこちらが立たず」で、利点欠点は双方そんなには変わらないんですよ。もし現状不便がないというなら変えても不便はなく、現状が不便があるというなら変えるともう一方が不便を感じる、ただそれだけの話です。・・・あれですかねぇ、毎日新聞の件をきっかけに時間表示を変えたりすると、まるで毎日新聞側でなくウィキペディアが表示に意を払っていなかったと非を認めたみたいに見えかねないので、それを危惧している方がいらっしゃっるのかもしれませんね。それなら、確かにほとぼりが冷めるまで待ったほうがいいのかもしれません、提案しておいてなんですが。今回の議論は、今までの議論に比べれば論点も多く出たことですし、また提案をする場合にはよい参考資料となるでしょう。個人的には残念な結論になりますが。--Kurz 2008年11月21日 (金) 11:57 (UTC) メリット・デメリットの所を少し修正してみました。--氷鷺 2008年11月21日 (金) 12:21 (UTC) 上でも書きましたが、ほとぼりが冷めるとはどういう状態を指し、それは「毎日新聞云々」という話と「ウィキペディア井戸端等で話題がたびだひ起こる」という話とにどのような事実的違いがあるのでしょうか。くだんの新聞の誤報を殊更取り立てる理由はありませんが、殊更避ける理由もまた同等に無いのではないかと感じています。 もうひとつは、過去に同様の議論が展開され消滅しており、今回もまた議論消滅したとして。勘違いして頂きたくないのは、それは「UTCを改める、という事を先送りした」というだけであり「UTCの採用を合意形成した」という意味には全くなっていないという点です。即ち、現在のUTCの使用(採用ではない)には、少なくともJAWPとしての合意は存在していないのです。無論、JSTの合意形成も存在しません。 何が言いたいのかと言えば、それほどたびたび話題に上がり、更にUTCを改めるべきか否かという話も巻き起こるのであれば、合意形成くらいしておいたらどうだ、という事です。繰り返しますが「先送りするという合意形成」は「UTC採用の合意形成」の意味を全く持ちません。--???.???.???.??? 2008年11月21日 (金) 12:37 (UTC) 全くおっしゃるとおりです。ただ、提案者がそのような気持ちになろうとも、議論が終わるわけでもありませんので、気にせず話を続けてください。--Kurz 2008年11月21日 (金) 13:01 (UTC) デメリットに一つ追加しました。元情報が「おそらく」なので変更するなら事前の検証が必要だと思いますが、はてどうしたものか。--Jms 2008年11月22日 (土) 13:53 (UTC) 脇道です。もしかして一部に誤解があるんじゃないかとおもうんで、一応書いときます。おひまなら読んでね。 「標準時」と呼ばれるものは、日本標準時のようにいくつもあります。協定世界時も、その無数の標準時のひとつでしかないのですよね。ただし協定世界時がほかの標準時と異なるのは、特定の地域に関連付けられていないという点です。広い地域にわたって時刻情報を一致させなければいけないとか、どの地域の時刻を利用すればよいかあらかじめわからないといった場合には、協定世界時を用いると便利です。 しかし、「協定世界時を用いると便利」というのは、実はシステムの都合です。人間は人間の都合にあった時系を用いてシステムを利用できるにこしたことはありません。したがってソフトウェアの国際化では、言語や数字の書式などが選択できるようにするとともに、時系も選択できるように配慮されてきました。MediaWikiも、国際化される過程で時間帯の選択を可能にしてきたのです。つまり、MediaWikiのデフォルトの時間帯がUTCであるのは、「最初はそれしか選択できなかったから」という以上の理由はありません (なお、MediaWikiでもそうですが、国際化されたソフトウェアでは、利用者が用いる時間帯を変更しても、内部のデータ処理では時間帯に依存しない時刻形式が使われます。利用者の利便とデータの時刻情報の互換性が両立するように配慮されているのです)。 あと念のため。協定世界時の「協定」というのは、「ほかの標準時よりも優先的に使うべきだというとりきめがあった」という意味ではありません。地球の自転速度変化による変動を補正するためにうるう秒を挿入するべきかどうかを、協定で決めている (変動は一定ではないので、協定として決めるしかない) という意味にすぎません。 多くの方が議論に参加してくださっていますが、通常の話し合いによる合意形成は難しいのではないかと思います。そこで、まず一度投票で、今後の方向を決めては如何でしょうか? 賛成(とりあえず仕様についての議論へ) - JST移行の詳細・方法についての議論に移り、その間は賛成/反対といった根本的な意見は控えてもらう。JST移行の準備が整った上で、賛成か反対かで再度投票を行い最終的に決定する。 延期(早めの移行には反対) - 今回の提案は時期が悪いとして、数ヶ月から一年といった長期的な視野でじっくり議論を続行する。これも、最終的な判断は2回目の投票で決定する。 終了(今回の提案を終了) - 再度の提案は阻まないが、今回の提案については終了とし、しばらくこの議論を控える。 反対(このような議論を終結させる) - 日本語版のコミュニティとして正式に JST の採用を否決し、同様の提案は無効とする。なお、この反対票は、メインページなどの既に JST が採用している場所の処遇とは無関係とする。(現状維持という意見と、(もしあれば)全てUTCで統一すべきという意見の双方を含む) 投票権はWP:RfAに準ずるもので、選挙期間は、最終的な決定ではないので、一週間で良いかと思います。もっとも、上のはあくまで一意見に過ぎませんので、まずは投票という手法の是非について意見をお願いします。--氷鷺 2008年11月21日 (金) 12:51 (UTC) まだ議論が出尽くしたという感じではないですし、方向とはいえ投票という手法をとるにははやいんじゃないでしょうか。 By 健ちゃん 2008年11月21日 (金) 13:21 (UTC) 賛否を取るのは早計とおもいます。一方、英文版にen:Wikipedia:Japan-related topics notice boardと言う日本および日本に関連したトピック(話題)のお知らせページがあります。賛否を取る場合は日本語での参加を基本とし、コメントや意見は日本語で行うこと、日本語が上手く書けない人は単にYES/NO/abstain(棄権)またはUTC/JST/を表明すること、これらを表明した上に必要なら簡潔なコメントを英文で付け加えるの条件で、賛否に参加しても良いとのお知らせをした方が良いと思います。当方からそれを実行します。理由は当方の書き込みから察しがつくと思いますが、JSTの時間帯に住む者だけの日本語版でないからです。英語しか出来ませんので英語版にしかお知らせする能力は有りません。他の言語版にも必要なら英語版を介して行えるでしょう。--Namazu-tron 2008年11月21日 (金) 23:50 (UTC) 追伸:特定の記事の問題ではなく、システムの問題です。余り条件を勝手に論者だけで付けるのは私物化です。少なくとも英文版に居る連中はベテランに属します。この種の案件の選挙は公平が基本です。繰り返しますが特定の記事の問題ではありません。(編集の方針でもありません、読者、履歴までの閲覧者、編集者、新人から玄人までまで全て関わる案件です。)この件は議論の余地は無いでしょう。投票期間の制限は有っても資格を設けるのは事、海外の者に設けるのは賛成しません。閉じた議論や手法をさけましょう。必要なら、Userになってから何ヶ月かを要するとして、本人の利用者ページの履歴で判ります。そんなに投票数は多いと思っていませんよ。必要なら管理者にブロック歴を聞いて無効票扱いも出来るでしょう。技術的な詳細手法は日本語英語ともに出来ませんが、それ以外なら何でもやりとりできます。条件付けて貰ってもいいですよ。--Namazu-tron 2008年11月22日 (土) 03:23 (UTC) 追伸その2:日本語版のWikipedia:お知らせでの告知は当然としますが、英語は国際的にも最も多くの人が使う言語です。JST時間帯の国でパラオのアンガウル州を除けば、公用語と国語に日本語を採用するのは日本だけで、しかも日本の義務教育では英語を外国語として学んでいます。従い英語版にお知らせを絞るのは、当方が出来る出来ないではなく、投票の進行を見たり書いたりと何らか英語が係わるとして、係わらずとも英語版への告知だけで妥当と考えます。勿論その他のメジャーな言語に堪能な方が、労して、その言語版へも告知し、前述の様に英語による賛否をして頂くなら五箇条の御誓文じゃないが、「万機公論に決すべし」として望ましい姿勢と考えます。繰り返しますが賛否参加者数は全く予測出来ませんが告知やお知らせはして賛否を募ることをして置くべき案件でしょう。--Namazu-tron 2008年11月22日 (土) 12:14 (UTC) 斜体文字部加筆--Namazu-tron 2008年11月22日 (土) 12:26 (UTC) ちょっと待った。Namazu-tronさんの意見は、日本語が母語ではない、若しくは日本語版がメインでは無い方に対するフォローですよね。本案件はウィキペディア初心者や、執筆編集を行わない利用者へのフォローという事も含めたものである為、その意見には筋が通っているとは思いますが、…そうであるならば、本案件の投票にあたっての投票権は、編集回数やアカウントの取得には制限を設けない、という事で宜しいのでしょうか。さもなければ、Namazu-tronさんの意見には賛同しかねます。--???.???.???.??? 2008年11月22日 (土) 01:25 (UTC) 編集回数やアカウントの取得には制限を設けない、という投票に意味があるのでしょうか?当該投票者の母語版での編集回数やアカウントの取得が一定条件を満たしていれば投票可能というなら理解できますが。--迷子の雄猫 2008年11月22日 (土) 02:44 (UTC) 日本語版に於いて編集回数云々というならぱ判ります。ただ、この場合は何も他の言語版に告知する必要はなくなると考えます。正直「英語版にしかお知らせする能力は有りません」という時点で、英語版を事実上特別扱いをしている事になりかねません。英語版中心にする根拠があるならば別ですが。さもなければ全ての言語版に告知すべきでしょう。それが出来ないからばメタに話を持っていきましょう。でも、それってJAWPの時制をどうするか、という話レベルで行うべきものでしょうか。私には違う気がしてなりません。--???.???.???.??? 2008年11月22日 (土) 03:40 (UTC) 投票は、どのようなものであれ最後の最後までやるべきではない、と私は考えています。なので現時点では投票すべきではないと思います。「投票しかない」という意見が多ければまた話は別でしょうけれど(昔、Template:SpoilerH騒動のときは、私は投票に難色を示していましたが「投票しかない」という多数意見に押し切られました)。 まずは井戸端から、どこか腰を落ち着けて議論できる場所に移動すべきではないでしょうか。但し、私自身は今議論するという行為そのものがあまり宜しくないと思っているので、正式な議論の場を決めたら、3ヶ月くらい寝かせて(寝た子に触らないで)おいてほしいと思っています。例の変態新聞の熱も覚めやらぬうちに何か決めたり投票したりしても、禍根を残すだけです。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2008年11月22日 (土) 02:54 (UTC) 新聞如何の件に付いては上で書きました。後で起こすものを先送りする事と、先送りせぬ事と、何が違うのでしょう。もし仮に井戸端で書いた何者かが、実は中の人は新聞記者だった、という事と何が違うのでしょうか。事実的には何も違わないように感じます。ついでに、余計な事のようですが変態新聞という言葉は暴言にあたらないのでしょうかね。 どうにも筋の通らない話をされる方が目立ちます。井戸端から別所に移動、という件に付いては同意。井戸端ページがいたずらに長くなる事は余り好ましいとは言えないので、井戸端ページにはリンクを作った上でプロジェクトを立てた方が望ましいです。(念の為、そのプロジェクト自体は、少なくとも現時点に於いては「UTCを改める」という意味を待ちません) ???.???.???.???氏の仰ることは分かります。しかし、本当は感情論を抜きにして話し合えれば良いのでしょうけれど、人間である以上そうはいきませんからね。たとえ頭では分かっていて事実的には何も変わらなくても、多くの人の心の奥底に禍根を残すくらいなら、私は進んで先送りすることを選びます。それに、感情論でも等しく1票を得られるのであれば、むしろ先送りする方が、改訂を望む人にとっても得なのではないでしょうか。 変態新聞に関しては……私自身は名指しで「○○が変態新聞だ」と言っているわけではないので、問題ないのではないかと。実際に、根拠の無い変態記事書いた新聞ですしね。どことは言いませんが。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2008年11月22日 (土) 11:48 (UTC) JSTに改める方が良い、とされる方も、UTC採用に到った経緯と合意があれば、「JSTに改められない」という意味は必ずしも持ちませんが根拠にはなります。そうした意味でも議論を行う事には意味がありますし、それ自体が検証や検討を推し進める根拠となります。 ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQさんの個人的な感情論などというものは、JAWP全体に於いては余り説得性を持ちませんし、「改訂を望む人にとっても得」等という話は「改訂を望む人」にとっては大きなお世話…というよりも、その事実如何はともかく、少なくとも現時点ではラッキースター・キッドさんの頭の中にある予想に過ぎません。それはウィキペディアンとしてベテランである貴方ならば、私よりもご承知の筈では? 「変態新聞の熱も覚めやらぬうちに何か決めたり投票したりは避けるべき」という合意が既にあるならば貴方の意見には説得性があるでしょう。そうであるならば、こことは違う、また別所でそうした議論をされる事をお勧めします。変態新聞の定義をすれば、よもや、当UTC如何の議論内にあたっても無視はできますまい。定義をする以上、どことは言いません、等とは言えなくなりますが。3ヶ月くらい寝かせた頃、寝た子に触らぬように、その議論を開始されれば宜しいでしょう。--???.???.???.??? 2008年11月23日 (日) 02:19 (UTC) どのような合理的な説明や理由を示そうとも、何の根拠も無い感情論が勝ってしまうことがある。このことに関しては、私などよりも???.???.???.???氏の方が余程よくご存知でしょう。 それ故、例の事件の報道が人々の記憶の底にしまわれ、基本的には思い出されなくなるまで、もう少しだけ待ってください。おそらく年内には記憶の彼方に行ってしまうでしょうから、せめて2009年1月1日0時0分(JST……別にUTCでも良いですが)までは。そうなれば議論に対して理不尽な感情論をぶつけられることはないはず。少なくとも、感情論が噴出するのを懸念しながら議論をするというようなストレスはなくなります。 とにかく私は、私なりにこの議論を円滑に穏便に進めたいと思っているのですよ。尊敬するウィキペディアンである???.???.???.???氏と言い争うのは本位ではないのですが、今議論しないとウィキペディアが潰れるというわけでもなし、急いで話し合わなくてもよいものを何故まだ火が燻っている中でする必要があるのか、その点は考慮していただきたいと思います。 繰り返しますが、議論をするなと言っているのではありません。少し待ってほしいだけです。急がば回れで、念には念をで大回りをしてほしいのです。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2008年11月24日 (月) 02:14 (UTC) 仮にプロジェクトを立てるとすれば、上記のような流れになると思われます。このうち、1-1.と1-2.については並行して行う必要があります。この2項目の議論の結果を2-1.で取り併せて検討し、この段階でUTCを「採用」するか、それとも他の実装に変更(UTCとJSTの併記等を含む)かを検討します。 ドラフトの形成後、2-2.で投票を行うかどうかを更に検討します。推し進めるのであれば2-3.で投票の方法等に付いて話し合います。 3.は実際に告知を行い、投票に入る段階です。これにより、JAWPとしての正式な合意形成が成立します。 最後に4.として、合意形成に基づく正式運用となります。現状の仕様で何も変更しないで存続という事が正式合意となれば、現状の侭となります。 もし採決で変更となった場合、いきなり変更するのでなく、混乱を避けるため、数週間の充分な周知期間を取ってから変更するのが望ましい。あと他のWikiプロジェクトの日本語版との整合も必要だと思う。--ぽち 2008年11月22日 (土) 09:05 (UTC) それは当然大前提で話は進められています(とぼく個人は思っています)。 JAWP 全体に関わることなので相当数の周知徹底が必要になるでしょう。 --Mzm5zbC3 2008年11月22日 (土) 14:58 (UTC) どちらかと言えば 賛成派ではありますが、システム上大きな影響をもたらす案件だと思いますので、半年くらいの大きな期間で議論〜採決したほうが良いかもしれません。--アイバー 2008年11月22日 (土) 17:29 (UTC) 上記、いずれもご尤もですし、私もそう思っています。しかし、それは「ここ」で議題にする話ではありません。くだんのプロジェクトを立ち上げた後に然るべき段階で行う話題です。--???.???.???.??? 2008年11月23日 (日) 02:01 (UTC) いや、それ(十分な周知期間を置くこと)が確認できないと、プロジェクト立ち上げさえも容認できない、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。「いきなり変更」という可能性を示唆するような発言は……まぁ確かに、現段階で決定できる話ではないのですが…。とりあえず、JST化賛成派の一人としての個人的な意見は、私も同じです。決して急いで決めたり、施行して良いような問題ではありません。--氷鷺 2008年11月23日 (日) 09:45 (UTC) 仰る事は判ります。ただ、確認も何も、誰がそれを宣言するのでしょう。誰がそれを宣言できるのでしょう。仮に誰かが本案件の議長的役割を担ったとしても、その人物は議長に過ぎず、公約を宣言出来る立場ではありません。まして、井戸端(のサブページ)は、そのような話をする場所ですらありません。 どうにも井戸端サブページで話を続けているのは宜しくなさそうですので、早急に専用の議論ページを設けてしまった方がよさそうですね。さもなければ「確認出来ないと議論にさえ賛同できない」→「そのような確認はこの場で出せない(議論の中で執り行うべき案件)」という無限ループに陥ります。--???.???.???.??? 2008年11月23日 (日) 10:28 (UTC) プロジェクトに関わる雑多な議論は、「井戸端」でよく行われるものと思っていたのですが、そうではないのでしょうか。『まして、井戸端(のサブページ)は、そのような話をする場所ですらありません。』ということであれば、メインページに本件のお知らせを掲載して、専用のページへリンクを張るよう提案します。--Green 2008年11月23日 (日) 11:53 (UTC) ぽちさんも上でおっしゃっていますが、僕もそれは気になっていました。他のウィキメディアプロジェクトをざっと見て回りましたが、署名にはどこもUTCを使っています。から察するに、履歴ページにはそのような記述が無かったので分かりませんが、履歴などのデフォルトもUTCを使っているのではないでしょうか。とすると、他プロジェクトも足並みをそろえたほうが混乱が無いのではないでしょうか。そうすると、ここウィキペディア日本語版(以下JAWP)ではなくメタに議論を移動したほうが良いかもしれません。ちょうど議論を移動する話もあがっていることですし。ここJAWPで一元的に議論を行ってもいいかもしれませんが(メタに移すと議論に参加する人が減るかも)。 全プロジェクト日本語版にいえることなのでここに書きますが、やっぱりJSTであろうがUTCであろうが時刻表記する場合は必ずどの時間帯であるか示す必要があると思います。そうでないと日本国内からアクセスする方にも海外からアクセスする方にも不親切であると思います。履歴のように表記が多く並んでいる場合はいちいち書かずに上に書いておけばいいと思います。ただ、システム的にオプションから判断して表示を変えることは(つまり、今この時間帯で表示していますと表示する)不可能でしょうか? だとすれば「オプションで未設定ならば{日本時間 (JST) / 協定世界時 (UTC)}」(英語併記もしたほうがいいかも)と書くぐらいしかできませんが。このように表記したとしても、いちいち計算する手間などがあったりするので、利便性やシステム的な問題などを総合的に考えてどちらを採用するか決めるべきです。--Widehawk 2008年11月22日 (土) 21:27 (UTC) コメント Widehawkさんの発言の前半は、同一言語の異プロジェクト間で時差が生じることを問題にしているのかとおもいます。 たしかにプロジェクト横断的な議論が実現できるのならよいことですが、時間帯を変えたいかどうかや変えたときにどう運用するのかは各プロジェクトの性格によるので、統一した議論は難しいようにおもいます。たとえばjaWNでの例のように、jaWPとは違った視点からの議論がありえます。 また、他の言語で変更した例を見ても、言語版いっせいにではなく個別のプロジェクトで時間帯を変えていく場合が比較的多いです。bugzillaでの対処状況をまとめておきましたので参照ください。 --Hatukanezumi 2008年11月25日 (火) 11:02 (UTC) Widehawkさん2008年11月22日の「JSTであろうがUTCであろうが時刻表記する場合は必ずどの時間帯であるか示す必要がある」というご意見には賛成です。ページの変更履歴にはすでに「日時はオプションで未設定ならUTC」と付記されました。利用者の投稿記録にもおそらく付記可能ではないかと思います。それに加えて、各ページ最下部にある「最終更新」に時間帯を併記するようにできませんか。 たとえば「最終更新 2008年11月25日 (火) 00:59 (UTC)。」あるいは「最終更新 2008年11月25日 (火) 00:59 (JST)。」と。そうすれば、初めてウィキペディアを見たIPユーザでも他言語版のユーザでもどの時間帯による時刻なのか気づきます。仕様上、オプションで変更した時間帯は表示が難しければ「最終更新 2008年11月25日 (火) 00:59 (オプションで未設定ならUTC)。」あるいは「最終更新 2008年11月25日 (火) 00:59 (オプションで未設定ならJST)。」とするだけでも誤認の可能性を減じることができます。 今後の議論の結果でデフォルトの設定がJSTに変更になったとしても、毎日新聞UTC誤認で「ウィキペディアは日本時間表記ではないらしい」と知った一般の人が、今度はJSTをUTCと取り違える可能性が残るので、最終更新デフォルト表記に時間帯を併記するのが望ましいと考えます。--miya 2008年11月25日 (火) 02:54 (UTC) 私の考えとしては、協定世界時(UTC)と日本標準時(JST)を併記するのが一番良いと思います。例えば、「12:45(UTC=協定世界時),21:45(JST=日本標準時)」といった具合にです。そして、UTCやJSTにリンクを張っておけば分からない読者はリンク先で学ぶでしょう。--禁断の地エウレカ 2008年11月25日 (火) 04:22 (UTC) 日や月や年が跨っている場合は表記が長くなりそうですね。--経済準学士 2008年11月25日 (火) 04:24 (UTC) まあ、長くはなりますが、明確に両方書いておけば毎日新聞でも間違いないでしょう。--禁断の地エウレカ 2008年11月25日 (火) 04:43 (UTC) (インデント戻し)ページの下部ではなく、各行毎の協定世界時(UTC)と日本標準時(JST)を併記が最良でしょう。JSTにしたところで何故ノートの様にUTCで無いかの議論が将来でない保証は有りません。併記で長くなり日付けも2日に跨り長くはなりすが、併記は恒久的措置でしょう。9:00の加減の計算に加算の者が多いか、減算が多いかの問題ではありません。将来サマータイム制が採用されれば10:00時間の加減で更に混乱を来します。世界の日本語版として併記がベストです。併記は計算不要で誰にとっても間違いないし、便利です。この際、長くなる見苦しさではなく、長くして利便の向上です。--Namazu-tron 2008年11月25日 (火) 05:00 (UTC) 削除対処にともなう履歴再構築の際に要約欄の長さが足りなくなる可能性があるので、各行併記必須はこまります。再構築の際は UTC か JST どちらか一方とせざるをえない状況が発生しえます。--Jms 2008年11月25日 (火) 17:28 (UTC) サンドボックスでのプレビューをしないで要約欄を埋めてみました。全角100文字、半角190だか200文字入れられます。要約欄は編集者自身が書き込むもので、JSTかUTCが付け加えるなりすれば良いでしょう。今でもオプションで未定の者、設定の者両者居て、しかもそこまで区別して書き込んで居るのでしょうか。それとも、自動的に要約欄が書き込まれ、JSTかUTCの判別が出来ない事が起こるのでしょうか。当方には判りません。編集者が書き込むとすれば、たった3半角文字で足りないとの問題ではないと思います。これに関してはUTCの現状でも同じ問題を含んでいると理解します。違った理解なら教えてください。せっかく併記案も出ましたのでページの頭部や下部の1ケ所だけでは見落とし、毎日の記者的なミスは万人に対して防ぐ事はできません。--Namazu-tron 2008年11月26日 (水) 00:18 (UTC) 再構築した例で、要約欄に収まらなかったため書式を変更してなんとか納めた版があります。利用者名や転記元記事名がある程度の長さであったり、一つの版に複数あったりする場合、ただでさえ結構ギリギリだったりするので、同一時刻の複数のタイムゾーンでの併記を必須とするとどうしても収まらなくなってしまう可能性があります。履歴について版ごとの併記を必須とするのは困る、というのはそういうことです。--Jms 2008年11月26日 (水) 08:08 (UTC) コメント UTCやJST以外のタイムゾーンもありますし、併記すると冗長になりすぎてシンプルさに欠けるきらいがあります。ページ内のごく一部に採用するのは問題ありませんが、全面的には採用しづらいかと。あと、(+0900)のような表記もひとつの案として提示しておきます。--Kurz 2008年11月27日 (木) 03:39 (UTC) MediaWiki:Rcnote - ウォッチリスト(Betawikiの説明によれば特別:最近更新したページで使用されているはずだが…) 特別:投稿記録 のページというのは表示設定に適切なところがあるのでしょうか? By 健ちゃん 2008年11月25日 (火) 11:19 (UTC) コモンズでcommons:Image:Image13.jpgについて問い合わせがありました。画像名称を変更したいのだが、写っている人物が誰だかわからないので対応をお願いしたい、という旨の書き込みが私のノートページにありました。しかし私はこの人物が誰なのか知らないうえ、ウィキメディア・プロジェクト内ではどこにも使われていないようであるため、対応することができません。また、この画像は本当に問題ないのか(肖像権など)も、皆目分かりません。皆様からの助言を賜りたく存じます。なお、コメントなどはこちらで結構です。よろしくお願いします。LERK 2008年11月19日 (水) 13:46 (UTC) 日本語が読めなかったのかな?画像に書いてある通り金城安紀さんのようです。記事によると読みは「きんじょう やすのり」です。肖像権・著作権については不明なので、ライセンスタグが正当であるかはちょっとわかりません。 kyube 2008年11月19日 (水) 13:59 (UTC) 画像に書かれた文字から金城安紀民謡研究所というサイトが見つかりました。同じデータを元にしたであろう画像がサイトにありましたし、沖縄民謡の歌手で金城安紀という人物であろうかと思われます。問題はコモンズの画像にある文字が宣伝じゃないか?と言う点と、許可取ってコモンズに上げたのか?と言う点でしょうか。--KAMUI 2008年11月19日 (水) 14:02 (UTC) コモンズの画像は金城安紀民謡研究所のサイトにある画像より、写真の下部の範囲が広く、サイトからえたものでなく、関係者しか持ち得ない原版に文字を加えています。文字を加えるのは宣伝を意図し、しかも関係者しか成し得ないものです。つまり関係者による宣伝と見なせます。削除の対象でしょう。--Namazu-tron 2008年11月20日 (木) 00:57 (UTC) こんばんは。私には難しいことはよくわかりませんが。ファイル名もサイズも同じですし、ご紹介くださったサイトにある画像と全く同じに思えるのですが。--Giftlists 2008年11月21日 (金) 16:04 (UTC) ありがとうございます。気になる点は、この画像をアップロードした利用者の活動記録は、この画像を2007年4月にアップロードしただけ、となっていることです。質問を書き込んでも反応が無い可能性があります。このような場合はどうすればよいでしょうか?LERK 2008年11月21日 (金) 10:11 (UTC) そんなに画像を削除したいんですか?著作権の問題があるならまだしも、「宣伝、宣伝」って馬鹿のひとつ覚えみたいに。コモンズでは宣伝的要素があるからといって削除される方針はありませんよ。宣伝だと思うなら金城安紀に貼り付けなければいいだけすよ。--218.251.11.182 2008年11月22日 (土) 00:52 (UTC) Giftlistsさんが指摘しておられるように同じ画像が金城氏のサイトにあります。投稿者の履歴では件の画像のアップロードしか確認できません。もっとも会話ページを見ると Image14.jpg という画像もアップロードして削除されているようですが、それはさて置き。 件の画像が「誰」によって転載されたものかが確認できません。「宣伝」云々ではなく「著作権侵害」の可能性があると言うことです。--KAMUI 2008年11月22日 (土) 10:22 (UTC) ふと「金城安紀の履歴をチェックしてなかったなぁ」と気がついて今しがた確認してみたのですが、初版投稿者とコモンズへの画像投稿者のIDが同じでした。また、初版投稿者によって記事の2版目から掲載されている本人の略歴ですが金城安紀民謡研究所にあるものの丸写しです。掲示板を置いてるようなので、ちょっと問い合わせてみますかね・・・--KAMUI 2008年11月23日 (日) 10:44 (UTC) 掲示板で問い合わせをするという意味なら、掲示板はそういう目的で設置されているわけではないようですので、やめたほうがいいとおもいます (ちょっときつい言いかたですけど、掲示板の設置者や利用者にとってはそれは荒らしと同じです)。メールなどの、先方が問い合わせ窓口に指定しているルートで問い合わせをすべきです。 --Hatukanezumi 2008年11月23日 (日) 11:25 (UTC) まいったなぁ・・・ちょうど2ヶ月ばかり前にメーラーのinbox(数年分)を吹っ飛ばしたショックで、メール環境の再構築をせずに放置してあるんですわ(^_^;--KAMUI 2008年11月23日 (日) 11:40 (UTC) こんばんは。Deadstarさんもお待ちでしょうし、私でよろしければメールで問い合わせをしても構いませんが。「コモンズにサイトと同じ画像が投稿されていることをご存知かどうか」「ご存知であれば許諾していらっしゃるか」「許諾されているならばサイトにその旨の記述をお願いできないか」の3点の確認と「許諾されていないのであればこちらで削除すること」「削除・存続に関わらずファイル名を近々変更すること」についての確認でよろしいでしょうか。--Giftlists 2008年11月24日 (月) 11:25 (UTC) Giftlistsさんにはお手間をかけて申し訳ない。それらと略歴の転載についての確認、およびコモンズの画像が(宣伝と見なされて)ウィキペディアでは使えないかも知れない点についてもお願い出来ますでしょうか?--KAMUI 2008年11月24日 (月) 21:25 (UTC) ああ。かきみだしてしまったようで申し訳ない。あと、返答をここで報告するおつもりなら「返答についてウィキペディアの『井戸端』という公開の場で公表してもよろしいでしょうか」と許可を得ておいたほうがいいとおもいます。 --Hatukanezumi 2008年11月25日 (火) 13:16 (UTC) インデント戻します。Giftlistsさんの問い合わせから4日ばかり経ちましたので、送信から10日程度を目処にして反応が無ければ削除依頼に出します・・・と書こうと思ったのですが、金城安紀の記事において2008年11月26日 (水) 12:27の編集で IP 219.103.118.150 (ケーブルステーション福岡のユーザー)によって何やらコメントが付けられました。・・・が、これは書き込み者の本人確認が出来ないので、もちろんウィキペディア的に見れば「意味無し」なんですが(^_^;--KAMUI 2008年11月29日 (土) 15:24 (UTC) こんばんは。現在の状況を説明いたしますと、一度目のメールには金城先生から26日に返信をいただいており、画像などの転載については許可をされていらっしゃるとのことでした。ただメールでのやりとりでは証明が難しいため、サイトの方にその旨の記述をお願いできないかと再度のメールを同26日にお送りし、今は返事をお待ちしている状態です。 なお、KAMUIさんの指摘されている加筆については、おそらく金城先生が記述してくださったのだと思います。(私のメールの説明が拙く、サイトに記載してほしいとの依頼を誤解なさったのかもしれません)。なおサイトの掲示板がteacupですので、金城先生が(ケーブルステーション福岡のユーザー)でいらっしゃることは第三者にも確認できるかと思います。あまりお手を煩わせてもどうかと思いますので、もしもメールの返信をいただけなかった場合は、今回の加筆で証明……というわけにはWikipedia的には難しいものでしょうか。--Giftlists 2008年11月29日 (土) 16:09 (UTC) やはり、IPアドレスだけでは本人証明が出来ない時点でかなり難しいかと思います。ケーブルステーション福岡のユーザー数は解りませんが、理屈の上では「ユーザーの数だけ成りすましが出来る人がいる」という話になってしまう訳で・・・また、現時点でもう少しハッキリさせておかないとそれこそ何年かしてから削除依頼に出す人が出る可能性なんてのもあるでしょうし。--KAMUI 2008年11月30日 (日) 14:37 (UTC) 性犯罪と放火及び失火の罪の記事に韓流犯罪と言う用語が使用されていて、中立的な視点から外れているような気がしています。下記の様な記述なのですが 私自身"韓流犯罪"と言うのは初耳でして、しかも文章の流れから在日朝鮮人への誹謗のように読めます。このような記述は差し戻して構わないのでしょうか?また差し戻した場合は何か対処する必要があるでしょうか?非常に基本的な質問で申し訳ありませんがご教授のほどお願い致します。?以上の署名の無いコメントは、Badboy(会話・履歴)さんが 2008年11月21日 (金) 07:35 (UTC) に投稿したものです。 その用語が熟した日本語として定着しているならまだしも(一応googleでは6,000件弱のヒットがありましたが)、人口に膾炙している熟語ではなさそうです。Wikipedia:中立的な観点などに従い、単に「言われている」ではなく、「誰が」言っているかという出典と反対する側の意見とを併記するならば一応許容されうるとは思いますが、現状の文章では特定の集団を殊更誹謗するような表現となっていますので、差し戻して構わないと思います。今回は私が差し戻しておきました。--ろう(Law soma) D C 2008年11月21日 (金) 08:00 (UTC) 了解しました。今後は各観点に従い、また注意深く調べてみて対処します。ご回答及び差し戻し有難う御座いました。--Badboy 2008年11月21日 (金) 08:04 (UTC) Wikipedia:削除依頼/ゆっくりしていってね!!!?に参加していて思いました。現在、二次創作物たるAAなどの削除依頼においては、「模写かどうか」が重要視されるようです(例:Wikipedia:削除依頼/二次著作物と思われるAA)。逆に、模写でなく、記事として存在しているがAAが複数確認されています(ぞぬ、さいたま (アスキーアート)、マモノ)。この結果、模写でなければ上海アリス幻樂団の意思を無視して東方Projectの二次創作物を載せてかまわないという明らかに常識に反した解釈が可能です。ルールの変更が必要かもしれません。--6144 2008年11月21日 (金) 15:48 (UTC) 議論に目を通してみましたが、「基本的に模写でなければ著作権の問題は発生しません」などの発言をみるに、6144さんの著作権への理解にだいぶ問題があるように感じました。ウィキペディアにおける過去の削除依頼ばかりでなく、一度本などで勉強されることをおすすめします。--氷鷺 2008年11月21日 (金) 20:27 (UTC) 過去の削除依頼とかマモノとかを見るに、模写に類される、もしくはキャラクターの特徴をコピー&ペーストしているものでなければ粗筋か概略の類と判断されると思ったのですが、違ったのでしょうか…と考えると、常識的に考えて違うに決まっているわけなのですが…(笑)。--6144 2008年11月21日 (金) 22:35 (UTC)修正--6144 2008年11月21日 (金) 22:37 (UTC) 私の知る範囲では、その系統で存続となった記事はWikipedia:削除依頼/ちゅるやさんですかね(後に別件で削除されていますが)。後は自分の出した依頼ですがWikipedia:削除依頼/著作権侵害のおそれのあるAAがある(もしくは過去にあった)記事とか。この系統の記事の削除依頼は、日本語版ウィキペディアにおけるその時代時代の風潮で結構適当(二重の意味で「適当」)に対応されているようなので、過去の例を参考にせず、その場その場で議論して決めて下さい。 私個人の意見としては、特に誰が損するわけでもなし、目くじら立てて議論するような価値があるようには思えませんね。それに、ゆっくり霊夢が駄目ならゆっくりウィキペたんでも書いておけば済むだけの話。ウィキペディアらしくて良いんじゃないですか。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2008年11月22日 (土) 03:12 (UTC) 誰かが損をするかどうかで、ウィキペディア上の記載が可能か否かが決まるわけではないということくらい、ラッキースター・キッドさんならご存知だと思うのですが…。「ゆっくりウィキペたん」、面白いアイディアだと思いましたが、あのデフォルメの手法自体が、これまでにない独創的・創作的なものと考えられますので、その案も採用するのは難しいのではないでしょうか。--氷鷺 2008年11月22日 (土) 11:22 (UTC) 著作権法もよく分かっていない人たち(かつて議論に参加していた自分も含む。今も理解しているとはいえない)が、寄ってたかって「削除だ、いや存続だ」と言い合う不毛さに疲れてしまいましてね。明らかにそのままな転載以外は、誰かが損をする等でなければ削除しなくても別に良いのではないか、と思うようになりました。 どうせ今回の削除依頼も、長期化した上で最終的にはその場の雰囲気で存続なり削除なり決まるのでしょう。氷鷺氏、見ていて御覧なさい。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2008年11月22日 (土) 12:00 (UTC) 過去の判決の表現を使うなら、原著作物の「表現形式上の本質的特徴を直接感得しうる」というところで考えてくださいです。原著作物に依拠していたとしても、上記のとおり感得できないなら、二次的著作物ではなくて、原著作物の権利は及ばない。「デフォルメの手法」は保護されないと思います。--Ks aka 98 2008年11月24日 (月) 12:32 (UTC) AAの作成者がAAの元ネタの著作権を侵害している(可能性がある)場合と、ウィキペディアへの投稿者がAAの作成者の著作権を侵害している(可能性がある)場合(AAを項目中にコピペしている場合)があると思うのですが、後者の場合は問題ないと判断されているということでいいんでしたっけ。厳密に言えばあまりよろしくないと思うのですが。たとえ権利の侵害を訴える人が実際にはいないとしても、法的に問題があるとみなせる状態のものをおいておくのは好ましくないのではないでしょうか。要は、100円拾って交番に届ける人はいないけど、ウィキペディア的にネコババはしないようにする方向で、ということだと思います。ただ、仮に、あるAAのコピペが著作権の侵害であるとした場合、これも厳密にいうとそのAAが掲載されているサイトを外部リンクに挙げて形状の理解のために供することもできなくなるので、それでいいのかよくわからないです。 なおゆっくりについては、元のキャラクターと外見・行動などが大きく異なるので、それらの特徴は感ぜられず、Ks aka 98 さんご提示の基準に従えば二次的著作物ではないといえます。--Calvero 2008年11月25日 (火) 22:45 (UTC) AA自体の著作物性ということ、かな。ええと創作性の程度にも拠りますが、保護の対象となりうるものもあると思います。ただ、記事としての体裁がちゃんとしていれば、改変なく、明瞭に区分されていることだと思います。初出ではなくとも、とりあえずコピペ元のURLを出所としてもらえるのが好ましいかな。執筆する際は、そこに気をつけていただければ。個人的には、削除する必要まではないと思います。本文なしでAAのみ、なら削除でしょうけれど。--Ks aka 98 2008年11月26日 (水) 16:54 (UTC) 当該削除依頼者です。そういえば、過去にWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 2ちゃんねるで似たような議論があったのをさっき思い出しましたが、読み返してみると「版権もの(Calveroさん曰くの「前者」)は論外」的な流れでしたね。--Doripoke 2008年11月29日 (土) 20:25 (UTC) 以前私は中村仁美の項目の外部リンクにあったプロフィールへのリンクをフジテレビのトップページへのリンクに変えました。理由は、フジテレビがトップページ以外への直接リンクを禁止しているためです(在京キー局では日本テレビ、テレビ東京も直リン禁止)。 その編集の後日、S.S.Exp.Hashimotoさんから私宛にノートに同項目についてのメッセージがありました。そのメッセージには「直リンク禁止と言うのはWebの理念に反していますし、法的にも全く無視してかまわない概念です。ですので、閲覧者の手間を第一に考えた編集をお願いします。」とのことで、再びプロフィールへのリンクに戻されてしまいました。フジ、日テレ、テレ東制作の番組の項目も同じくそういった理由でトップページへのリンクなのに、トップページ以外の項目への直リンクを貼るはおかしいと思うんですが、どちらの言い分が正しいのでしょうか。--ノブック'93(My talk/Log) 2008年11月22日 (土) 03:51 (UTC) 直リンク禁止は相手側の希望に過ぎず、法的に規制されるものではありません。トップページから目的の項目が探し出せないホームページなどでは閲覧者の便宜に反しますし、極端な場合にはトップページの広告アフィリエートに誘導するのが目的のホームページの場合もあります。その様なことを考えると、ウィキペディアとしては利用者の便宜を考えて直リンクするのが正しいやり方と思います(法規制が無い限り)。--寂華 2008年11月22日 (土) 04:27 (UTC) この手の話題って時々出ますね。とりあえず、関連する議論へのリンクを張っておきます。--郁 2008年11月22日 (土) 05:55 (UTC) 直リン禁止のテレビ局のアナウンサーや制作番組の殆どがトップページへのリンクですので、1人のアナウンサーだけ直リンはいかがなものかと。--ノブック'93(My talk/Log) 2008年11月22日 (土) 08:38 (UTC) (2)「直リン禁止のテレビ局のアナウンサーや制作番組の殆どがトップページへのリンクですので、1人のアナウンサーだけ直リン」なのは、記事のフォーマットが不統一になるから望ましくない 寂華さんやS.S.Exp.Hashimotoさんがご指摘の通り、(1)ならば意味がありません。(2)であるなら、検討の余地はあります。しかし、リンク先サイトの構造が変わったり、アーカイブの概念が皆無でURLの使い捨てを平気でする日本のテレビ局の特定コンテンツにリンクを張っても仕方ないと言う意味で、またその意味に限り、トップページへのリンクとするべきかもしれません(くりかえし述べておきますが、これは直リンク禁止と言う主張には同意したものではありません)。--ikedat76 2008年11月22日 (土) 11:24 (UTC)2008-11-22 11:24:48 (UTC)版よりサブページ化--ikedat76 2008年11月22日 (土) 11:30 (UTC) モバイルとかでパソコンの性能が低かったり通信回線の速度が遅かったりする環境だと「必要のないいくつかのページを経由しないと本来見たいページに行けない」というのが結構つらかったりします。特に動画とかいろんなコンテンツが詰まった重いページにアクセスすると固まってしまってそこから先に進めないことがあるんですよね。こういう重いページがトップページやトップページから目的のページに行くまでの間にあると(しかもトップページへのリンクを求めるテレビ局とか企業のページにこういうのが結構多い)そこで固まってしまって目的のページに行けないということが結構あります。以前音が出なくなったけどそれ以外には特に支障がないパソコンを使っていたときに、「音が出るページ」(ほとんどの「動画のあるページ」がこれに含まれる)にアクセスするとかなりの確率でフリーズしていたので「直リンクすることに問題がないなら出来るだけ直リンクにしておいて欲しいなあ」と思っておりました。私の個人的な環境は現在では昔よりは多少は改善しましたが、こういう貧弱な(失礼)環境の利用者というのは今でもそれなりにいらっしゃるだろうし(「どれくらい?」と聞かれても困りますが)、配慮する必要があるのではないかと思うのですがいかがでしょうか。--211.124.132.117 2008年11月22日 (土) 14:23 (UTC) 勿論、直リンク禁止行為は Web というかインターネットというネットワークの理念や目指す方向性からいったらおかしな理論です(リンクされたくないならそもそもネット上に公開するなという言い分は尤もなのです)。一方で、相手側がこうして欲しくないという明らかな意思表示をしているにもかかわらず、それを無視する(その意思表示を見落としたとかならまだしも分かっていながら敢えて違反する行為を行う)ことは相手のいやがることをする嫌がらせ行為に値すると思います。個人的感想を言うなら基本的にフレームページなどは全体的なサイト構成が変わってしまう要因になるのでしないようにというのなら分かるのですがこういったニュースサイトとかプロフィールページに対してまで禁止する行為はあまり意味のあるものとは思えません。こういう事例を見ると(日本の)メディア業界の認識は未だに遅れていることがよく分かります。 --Mzm5zbC3 2008年11月22日 (土) 14:43 (UTC) 上記も心情的にはわかるのですが、それを言ってしまうと、「直リンク禁止はナンセンス」という一般的な常識があるにも関わらず、仮にもマスメディアであるテレビ局側が、直リンク禁止するのはおかしいように思います。直リンク程度で嫌がらせになるのであれば、嫌がっている取材対象者に集団でおしかけて取材攻勢をしかけるのは、どうなるんでしょう? どちらも法的に許されているんなら、なんら問題ないという判断ではないでしょうか? --アイバー 2008年11月22日 (土) 17:19 (UTC) Mzm5zbC3氏はメディア業界の直リンク禁止はおかしいと言われていると理解しましたが、私も同様に、メディア等の直リンク禁止表示はおかしく、嫌なら公開しなければ良いだけと思います。こういったことは、嫌がらせしたくないからと直リンク禁止に従順に従っていると、裁判所などでの判例がメディア側にどんどん有利になってきます。なので、法的規制が無い今のうちに、嫌がらせと思われようとしっかり直リンクを張り続けることが肝心と思います。--寂華 2008年11月22日 (土) 18:16 (UTC) まず、大前提として、「直リンク禁止は法的な拘束力のない相手側の希望に過ぎない」ということなんですよね。で、トップページへのリンクを希望している企業のサイトのトップページに何があるかというと、多くの場合「その企業が一番宣伝したい商品やサービスの情報またはそういった情報があるページへのリンク」が大きく載っている訳ですよね。ということは企業にとっては「トップページへのリンク希望=自社の商品を宣伝したい」ではないかとまで言ったら言い過ぎなんでしょうか。技術的に直リンクを出来なくする(少なくとも困難にする)方法はあるわけですからそういう対策も取らずにお願いだけするのもどうかなとは思います。と考えると、極論かもしれませんが、Wikipediaには、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説をする場所ではありませんの「広告する場所ではありません」という公式の方針がありますから、法的な義務のないところで商業的な理由によると思われる「企業のお願い」に配慮することは、企業に対する嫌がらせとかではなくこの公式の方針に反する行為になってしまうのではないかとまで思ってしまうのですが、そこまでいったら考えすぎでしょうか。--211.124.132.117 2008年11月22日 (土) 23:12 (UTC) ikedat76さんへのお返しが遅れました。私が問題にしたかったのは(2)の考えです。ちなみに、テレ東は「必ず別ウィンドウが立ち上がる形でリンクを張ってください。」という趣旨のようですね(出典)。--ノブック'93(My talk/Log) 2008年11月23日 (日) 03:40 (UTC) 他のところでも話題に上っていますが、公開されているURLにリンクを張ることは、インターネットの経緯を踏まえると問題ないと思います。検索した場合でも直URLが表示されます(表示されるから使っていいとはいえないかもしれませんが、コンテンツの使用とは全く性質が異なると思います)。そういったページであるならば、「直リンク禁止」に従う義務は無いと思います。現在ではフラッシュやスクリプト等の方法で直URLの現れないページもありますから、本当にリンクしてもらいたくなければそういった方法を取ることになるのかと思います。ただ、リンクを貼る場合のマナー(ネチケット)として、(個人のHP等)尊重されるべきではあると考えます。(企業であっても)公共性・信頼性が高いという評価の上で、ウィキペディアの出典として利用しており、不当なリンクとは思いません。法的根拠については調査中ですが、この件に詳しい方のコメントを望みます。(なお余談ですが、ノブックさんの示された例ですが、以前から気にはなっていました。「原側(誤字)原則として」とありますから、特例は認められるわけで、局に申し出て許可でも取ればよい、ということなのでしょうか。「必ず別ウィンドウ…」については、ウィキペディアから「target="_blank"」的に別窓を開けということなのか、理解できないです。(←思うにトップバナーを残せということか…、もしかして元のページの一部ではないことを明示させたいのかも))--Richard Pman 2008年11月24日 (月) 07:08 (UTC)(追記)--Richard Pman 2008年11月26日 (水) 03:08 (UTC) 私の意見を再度申します。直リンクは当該ホームページが断っていようと法的に問題ないのですから、個人ホームページであれ何であれ、積極的に直リンクする方がよいのです。直リンクして良いかどうかの許可を取るのがマナー的等言い出すのは百害あって一利無しです。許可を取るのがマナーとか言い出すと、将来の裁判例で不利になり、情報の自由を自ら阻害します。HP作成者は、直リンクされたくなければHPを公開しないか、直リンクできないHPにすれば良いのです。--寂華 2008年11月24日 (月) 10:48 (UTC) ここで話題になっていることにようやく気づいたのでw。社団法人著作権情報センターの見解だと全く問題ありませんし(尤も、この団体に加盟しているNHKがリンクはトップページ以外云々と書いているのは苦笑物ですが)、TV局側の言い分はWebの理念に逆行してるだけですからねぇ。 また、ノブックさんは1人だけと仰っていますが、以前CXの女子アナの一部の項目の外部リンクが頓珍漢な文章になっていた際に修正していますし、その他のアナウンサーや番組も気づき次第修正しています。--準特橋本(Talk/Contribs) 2008年11月25日 (火) 09:18 (UTC) 上記の外部リンクの文章を読みましたが、やはり直リンだけで著作権侵害になるのは…なんか変ですよね。私はNHK、TBS、テレビ朝日や地方局が直リンOKなら禁止の局もそうすればいいと思っています。別に法的な縛りもあまり無いんですし。--ノブック'93(My talk/Log) 2008年11月25日 (火) 10:06 (UTC) 法的には間違っていないからマナーなど無視してよい、相手が間違っていてこっちが正しいのだから問題ない、直リンの方が楽じゃないか、という意見もあるのでしょうが、私個人は大人としてこのような行動は控えます(直リンを断る方の立場もわかるし。まぁ個人のページなら直リンされてもそれほど困ることも少ないし、WP的にはデッドリンクの方がよっぽど困るんじゃないかと)。かといって積極的に訂正するかというとそんなこともしません。(汚い大人なので。。。)よっぽど醜いことをしない限りは子ども達のとった行動の後始末はしないんで、この辺は許容範囲としてみてみない振りをしてあげてもいいんじゃないかな、と思います。生暖かい目で見ていればいいんじゃないかね。--シャルル 2008年11月25日 (火) 10:20 (UTC) いや、そうではなくて、そもそも直リンク禁止すること自体が、ネット上でのマナーを損なっているんですよ。こうした間違いがまかり通ってしまうと、それが社会常識になりかねないのでは? というか、この議題の中でも、そうした兆候が表れているように思うのですが…。 「直リンク = 引用」と例えるなら、引用したいなら書籍のタイトルしか書くことを認めない。それ以上知りたいなら各ユーザーが最初から全部見て、自分で探さないと駄目…と言っているようなものです。そんな不便な引用は、ユーザー側にとってかなりの不便をもたらすように思うのですが、いかがでしょうか? --アイバー 2008年11月25日 (火) 21:30 (UTC) ですからマナーの問題ですよね。相手は自動車を土足禁止にしているDQNのようなものだけど、そんな車に乗るとき、土足で平気であがるか、靴を脱いでやるか、ってこと程度。実際にはフレームと直リンで構成したページでも作らない限り相手方からクレームがつくこともないでしょうが。WP的には、直リンできなければ不便な引用になるなら最初からそんなところにリンクするな、というだけの話だね。--シャルル 2008年11月25日 (火) 23:55 (UTC) シャルルさんの主旨は「私は直リンクしませんが・・」と言っているだけであって、別にマナーを押し付けているわけではないですから、それはそれで良いのかと。私は直リンク禁止の表示をするメディアの方が違反をしている(直リンクしないでくださいのお願い表示ならマナーと呼べますが)と思っていますが。--寂華 2008年11月26日 (水) 12:04 (UTC) だいたい、ここのタイトルも紛らわしい。結論からいえばどこのテレビ局も直リンクをご遠慮ください、お断りします、程度の話なんだから。直リンしても法的には白。俺はマナーとデッドリンクのことを考えれば外部へのリンクそのものが不要と思っているだけ。頻繁に編集が加えられるサブカル分野であれば適度につかってもいいんじゃないかね。時と場合によってつかいわけることぐらいマニュアルに定めがなくてもできるよね。--シャルル 2008年11月26日 (水) 23:04 (UTC) 反対派の人の意見って、なかば「主観」のように感じるのですが…。「マナー」という言葉を使っていますが、それは見た目によく映るだけであって、実は「間違ったマナー」であり、それに気づいた場合には正されるべきだと思います。 ウィキペディアでは、ほぼ全てと言ってよいほど多くのことが、その国の法律に基づいてルールが決められています。法律に反する決定は、後々になって疑問が残る結果となり、今回のような提案が再度出てくるように思います。やはり最後は、法律に基づいて決められるべきではないでしょうか? --アイバー 2008年11月27日 (木) 23:43 (UTC) テレビ局の希望も違法ではありませんので、法律に基づいて白黒を決めることは不可能。簡単に回答がでるような内容ではなく、決着をつけれる問題でもない。であるから、時と場合で個々に判断することが適当。強いて一番最初の質問、『直リンクを貼ること・避けること、どちらが正しいか』に答えるとすれば『どちらも間違いではない』が正答かと。Webの理念としては間違っているかもしれませんが、相手のお願いを無下に断ることも人の行動として間違っている。であればバランスをとりながらその場その場で判断するしかない。基本的にはWPに外部リンクが必要不可欠なものではない。しかしながら、直リンクが必要不可欠な情報であり、デッドリンクになったとしても直ちにメンテナンスするだけのフォローをできるのであれば貼ることもやむを得ない。ただ単にあったら便利、かっこいい程度の浅はかな理由であれば避けるべき。--シャルル 2008年11月28日 (金) 07:26 (UTC) 結局シャルルの意見を要約すると、直リンク禁止などと書いてあっても必要ならリンクすべきという大勢の意見と変わらんな。公式サイトに外部リンクを貼るのはしごく当然の編集だ。しかしその公式サイトが日本人しか理解する人がいないリンクに関する独自マナーを主張している。ではウィキペディアとしてどうするのが良いかという話題なのだから、かっこいいからなどの理由は最初からありえない。--Ginz 2008年11月28日 (金) 08:15 (UTC) 最初から許容範囲なら必要なら貼ってもいいんじゃないかって書いていたつもりなんだけどね。かっこいいから、あったら便利だよね、程度の軽い理由で外部リンクを貼っている記事なんていっぱいあると思うよ。暇があったら興味がないページを適当に探してリンクをぽちってみるとデッドリンクも結構あるもんだよ。編集者が皆まともだ、という前提はWPに関しては完全に捨てた方が無難ですよ。公式サイトに外部リンクを貼るのが当然の編集かどうかは疑問。外部サイトにリンクを貼らなくても満足できる記事に編集することが編集者の腕の見せ所だと俺は思う(別に他の人が思わなくてもいいけど。)。アナウンサーの紹介記事は判断しかねるけど、そこに詳しい人たちがノートでの話し合いで必須のリンクと判断するのであればいいんじゃないの。ま、話し合うときにも汚い大人の俺だったら『間違っているのはテレビ局だから直リンクを貼るのが当然』といった態度をとるよりは、『テレビ局としては直リンクを避けて欲しいと記載はしてあるが法的に問題はありませんし、このページへの直リンクは必要なことですから已むを得ず貼る必要がありますね。』といった態度を取って無難に収めようとするか、直リンクを貼らなくても記事を充実させる方法を探るだけです。--シャルル 2008年11月28日 (金) 08:51 (UTC) テーマが「必要な外部リンクとはなにか」にずれてしまっているので、ここらでこの話題は閉じた方がいいんじゃないかな。ここでの議論をまとめると「必要な外部リンクなら直リンク禁止と書いてあっても直リンクしたほうがよい」あたりか。「必要な外部リンク」についてはWikipedia:外部リンクの選び方あたりで存分に議論してくれ。--Ginz 2008年11月28日 (金) 09:25 (UTC) そのあたりが落としどころだろうけど「必要な外部リンクであれば直リンク禁止と書いてあっても直リンクしてもやむを得ない」にして欲しいな。ま、Wikipedia:井戸端/subj/トップページ以外へのリンクが禁止されている外部ページと同じオチになるのさね。--シャルル 2008年11月28日 (金) 09:35 (UTC) 昨日の投稿を、言ってる傍から2分後に消したバカがいます。このような人が蔓延っていることがWikipedia日本語版の最大の問題点です。再度投稿します。202.233.244.107 2008年11月22日 (土) 02:12 (UTC) どのような手続きを踏めば、無くなってくれるのでしょうか?今回世間を騒がせたのは毎日新聞社がアホだからという意味はありますが、 Wikipedia側が、タイムスタンプの表示がなんなのかの衆知をしていれば起きなかったかもしれません。それ以前に、Wikipediaを権威ある情報ソースとして、それを根拠に掲示板で頑張るバカは以前から発生し、社会に迷惑をかけています。Wikipadia自体に全く自浄能力がなく、遊びでやってる厨房が管理者になりそのときそのときの思いつきで記事を弄り、執筆者をブロックすることがずっと入れ替わりで繰り返されています。 Wikipedia日本語版は存在自体が迷惑なのです。202.233.244.60 2008年11月21日 (金) 11:53 (UTC)202.233.244.107 2008年11月22日 (土) 02:12 (UTC) 211.125.13.198 2008年11月22日 (土) 13:42 (UTC) ちょっぴり修正--ゆきち 2008年11月22日 (土) 19:16 (UTC) この投稿について、すぐさま rv する程の荒らし行為とも思えないのですが一方で、荒れる原因を投稿しているのも事実ですしまた、文面(言葉遣い)なども悪いです。すぐに rv するのも同化どうかと思う一方で、その後すぐにまた戻されたりとよくない傾向です。基本的に Wikipedia には善意にとるという方針があるはずなのですが、こういった方針が無視されている感はありますね。投稿履歴が一つしかない IP ユーザーに対して最後の通告をしていたり、そこまで荒らしているとは思えないようなユーザーを(個人的には)関連性が認められないようなユーザーのソックマペットとして無期限ブロックしたり...。もうちょっと穏やかに冷静に判断することを求めます(IP ユーザー・一般ユーザー・管理者ともに)。 --Mzm5zbC3 2008年11月22日 (土) 14:33 (UTC) で、いいたいことの一部は理解もできるし同意的な部分もないわけではないですが、これを WP の問題として WP が悪いとかそういうのは WP への責任転嫁では。今回の件は完全に毎日新聞社(の記事を書いた執筆者)の確認不足です。また、毎日新聞社が悪いとまではいっていませんが校正などの時点でチェックできなかった点は責任があると思います。 --Mzm5zbC3 2008年11月22日 (土) 14:33 (UTC) 202.233.244.107 さんの質問「どのような手続きを踏めば、無くなってくれるのでしょうか?」にお答えします。Wikipedia:全言語版の統計によれば、過去にシベリア語版、クリンゴン語版が閉鎖され、モルドバ語版、彝語版をはじめとする9言語版が編集ロックがかかっているようです。モルドバ語版は閉鎖提案、カヌリ語版、チョクトー語版は投票によりロックされたようです。。閉鎖に関する投票はここ[16]で行われているようです。(参考:カヌリ語版ウィキペディアの閉鎖に関する投票[17])--Himetv 2008年11月23日 (日) 11:15 (UTC) 歌手や映像作品などの記事にCDやDVDの型番が書かれていることが多いのですが、これって必要なのでしょうか。書籍のISBNとは違って、特に役立つことはないように思われるのですが…。具体例として、キングレコードのCD型番である「KICA」でウィキペディアを検索した結果を出してみます[18]。--Avanzare 2008年11月22日 (土) 13:43 (UTC) ウィキペディア外での検索時に使用します。タイトルだと表記の揺れで引っ掛からなかったり、同名の書籍・CD・一般用語が大量に出てきたりしますので。 --Yhiroyuki 2008年11月22日 (土) 14:27 (UTC) 検討したければ、アカウントを取得 (簡単です) してログインし、自分で提案してください。あなたのように、自身の言動に対する説明責任をはたさないでただ乗りしようとするひとがいるから、ああいう文書が書かれるのです。 また、公式な方針やガイドラインでなければ尊重しなくてよい、という誤解を生むような発言はおやめください。「雪玉条項」や「『鼻に豆を詰めないで』と言わないで」のように、公式とされていなくても尊重されている文書はいくらもあります。Wikipedia名前空間にある文書は、一般にその内容によって尊重されるかどうかが決まるのではないでしょうか。 --Hatukanezumi 2008年11月23日 (日) 23:51 (UTC) Help:名前空間#基本となる名前空間の標準名前空間(すなわち、記事名前空間)とそれ以外の空間に大きく分けられます。記事の編集に関わわるか、それ以外にに関わるかに分けられます。ウオッチリストは文字通り監視リストでもあり、「標準名前空間とそのノート」および「これら以外」と一覧表示を選択的に分けた一覧とできないものでしょうか。呼称は問いません。ウオッチ項目も増え、判別がしにくいものです。1ステップ(現行表示)を保持し更に次の第二のステップを踏んだ表示が良いでしょう。--Namazu-tron 2008年11月24日 (月) 01:53 (UTC) ウォッチリストのオプションで名前空間を指定したり、その名前空間を除外したりする機能があるのですが、そういうものとは違うのでしょうか。--Frozen-mikan 2008年11月24日 (月) 02:19 (UTC) ウォッチリストの編集での削除を除外といっていますか、それともリストには保有しながらその都度一時的に表示を空間毎に除外するする手法があるのですか。--Namazu-tron 2008年11月24日 (月) 02:34 (UTC) ウォッチリストには、名前空間を(一つだけ、あるいはそれ以外を)選択する機能があるはずですが? 画面をよく見てください(どの外装でもあるはずです)。--氷鷺 2008年11月24日 (月) 02:47 (UTC) 「ウォッチリストのオプション」の枠内の最後の行で選択出来ました。お手数掛けました。すみませんでした。--Namazu-tron 2008年11月24日 (月) 03:11 (UTC) Wikipedia上には定義もなく明らかに即時削除レベルの内容しか書かれておらず、{{sd}}タグをはっても有意な加筆をしないで剥がされることがありました(テンプレートの貼り付けだけ)。そして「即時削除貼るのは調べてからにしろ」といわれました。 私は即時削除が貼られた記事に対して特筆性があるとして即時削除タグを剥がしにかかることまではとめませんが、剥がしにいくのであれば定義を書き加えるなど剥がしにかかる方で定義や特筆性を補い、即時削除レベルから脱するべきだと考えます。それについてどう思われているのでしょうか?--S-PAI 2008年11月24日 (月) 17:01 (UTC) 《Wikipedia上には定義もなく明らかに即時削除レベルの内容》と述べておられますが、そうであるとすれば、即時削除テンプレートを貼り付ける前に、S-PAIさんが仰る「即時削除レベルの内容」を脱する編集をすれば良いのではないかと思います。S-PAIさんは、即時削除テンプレートを除去する際の行動を問題視なさっているようですが、どちらかといえば、即時削除テンプレートを付与する前に加筆されるべきであると私は思います。あと、《特筆性を補い》とありますが、何か勘違いなさっているのではないでしょうか。ウィキペディア日本語版側が、対象への特筆性を補うことはできません。その対象に特筆性があるか否かというだけです。--iwaim 2008年11月24日 (月) 18:28 (UTC) まず第一に記事を充実させなくてはならないのは初版執筆者でしょう。加筆の余地がない、と思ったからこそ即時削除天プレを貼り付けるのでしょうし。特筆性を補い云々に関しては、揚げ足取りですね。特筆性に関する記述を補い、という意味であることは普通に理解できます。--58.98.160.67 2008年11月24日 (月) 19:27 (UTC) 初版執筆者が初版から (この話題の対象にならない程度には) しっかり書いておけってのには同感です。ただ、《加筆の余地がない、と思ったから》というのは、少なくともS-PAIさんが想定している状況ではないはずです。S-PAIさんは、即時削除テンプレートを除去する方へ、加筆を求めているのですから。特筆性を補い云々については、私はこの種の質問をなさる時点で、そこにも誤解があったのではないかと解釈したのですが、それが私の誤読だったのかも知れません。そうであれば、S-PAIさん、失礼しました。 で、今、見出しを改めてみたのですが『即時削除の「定義なし」ページに関する特筆性調査責任』となってますね。この責任が誰にあるのかといえば、私としては即時削除テンプレートを付与する方に第一の責任があると考えています。新着の記事で文章量が大変少なくて問題がある記事を見つけた場合、特筆性がないならば即時削除依頼か削除依頼、特筆性があるならば加筆依頼に出せば良いと思います。即時削除テンプレートを付与しようとしている方には、それぐらいの責任はあるでしょう。--iwaim 2008年11月24日 (月) 19:48 (UTC) 私は逆に、即時削除テンプレートを外すほうが責任を負うと考えます。、Wikipedia:説明責任の「利用者は自身の編集について他の利用者に対し、説明責任を果たすことが望まれています。」という記述があり、付与する方からすれば、あくまでWP:CSDに沿って行動しているだけで、理由「WP:CSD」で説明責任は果たしています。逆に外すほうの説明責任はどうなのでしょうか?--こみか 2008年11月25日 (火) 03:26 (UTC) どうやら今回の件は赤星隆幸という事例がきっかけっぽいですね。ところで《理由「WP:CSD」で説明責任は果たしています》と言えるのであれば、赤星隆幸の項目でも言われてるように(差分)「特筆性がある」と述べるだけで最低限の説明責任は果たしていると考えます。で、その主張に疑問がある人がいればノートで議論すればいい。ただ、Nekosuki600さんも仰っているように、即時削除は極めて強力な機能であることを踏まえて、安易に即時削除テンプレートを貼り付ける前に、加筆依頼などを検討するだけの判断力は持つべきだ、と私は考えます。--iwaim 2008年11月25日 (火) 08:32 (UTC) 確かに赤星隆幸の初版は項目としてはひどいものでした。しかしながら、赤星隆幸氏の功績は非常に大きいものであり、ほんのわずか調べればどういう人なのかはわかるはずのビッグネームでありました。一発ぐぐって数ページ読めば「赤星隆幸は日本の眼科医」という冒頭定義をつけるくらい、あなたにも簡単にできたはずです。専門書にあたる必要などないくらい、それは容易な作業だったんです。 即時削除というのは極めて強力な機能なのであり、「その項目が、加筆によって救済できるものなのか、それとも加筆をしてもどうにもならないものなのか」を見抜けるくらいのひとでなければ、使いこなせないものだと、おれは思います。あれは、即時削除を貼り付けるべき案件ではなかった。更に、即時削除をはがされたことへの対抗策として削除依頼に出すような案件でもなかった。そんな手間をかけるんだったら、まずぐぐれ。そして加筆を試みよ。 ま、即時削除をはがしたのとほぼ前後して、おれはおれで予定稿を作成しておりました。プレチョップ法の説明などもひっくるめてね。しかし、即時削除を加筆依頼のように使うという風潮には同意できなかったため、とりあえず「そのままの状況で即時削除をはがす」「存続を主張する」という手を使いました。削除依頼で削除になりそうな雲行きになったら、そんときは予定稿を投下すれば済んだ話ですし。 なにはともあれ、ご自身に「その項目が、加筆によって救済できるものなのか、それとも加筆をしてもどうにもならないものなのか」を見抜く力がない分野に関しては、即時削除の貼り付けをやめてはいただけないでしょうか。--Nekosuki600 2008年11月25日 (火) 06:38 (UTC) ちと脱線しますが、よく見かけるものとして新規ログインユーザーに対して初版記事作成後2,3分程度に即行嫌がらせのように即時削除を貼り付ける人がいますよね。Wikipediaの編集方針としては間違ってはいないのかもしれませんが、基本的な人間としてのコミュニケーション能力には欠けているのではないかと思われてもしょうがない行為なんじゃないかなぁ。今回のケースのように初版作成からある程度の時間を置いて貼り付けてほしいところです。S-PAIさんが、Nekosuki600さんのように会話ページでの確認を行っていただければ、もっと良かったんですけどね。そのうえで返事がないから即時削除の貼り付けを行って即時削除になったとしてもこれについては問題ないと思います。有用な記事であれば後から作成する能力のある人が改めて作成してくれるでしょうから。--シャルル 2008年11月25日 (火) 09:58 (UTC) 誰かが初版を書く。速攻で即時削除。初版を書いたひとはしこしこと改善作業を続けてる。こういう履歴とか見ると涙出そうになりますよねえ。 これって「いじめ」ってやつでしょう。新規ページをずーっとリロードし続けているんでしょうか。そりゃまあまとめて投稿しろとかって意見はあるかしらんぜ、しかしやられた側が「Wikipediaっていやなところだ」と思うことだけは間違いありません。ビギナーをいじめるなとかそういう話よりはるかに以前の話として、やられた側がどう思うかとか全然考えていないんでしょーかとか疑問に思うことは少なくありません。--Nekosuki600 2008年11月25日 (火) 10:15 (UTC) 「速攻で{{sd}}を貼る」というのはやめたほうがいいとおもいます。2、3日待っても罰は当たりません。 私事ですが、定義文とおおまかな全体構成を示した見出しだけ投稿してオフライン作業していたら、作成後5分ほどで{{sd}}を貼られてかなり不愉快な思いをしたことがあります。しかたがないので即時削除されるまで (20分ほど) 待って、スタブレベルの記事にして再投稿しましたが、そのとき手もとになかった文献を閲覧して記事にしたてる気は失せました。「削除すべきだとおもった奴が加筆しろよ」という気分にもなろうというものです (そういうわけで、その記事はいまでもスタブです)。 ただ、今回の赤星隆幸に関しては、「sd貼る奴は記事を充実させろ」というひとも無責任なんじゃないの、と考えてはいます。特筆すべき点は、白内障手術の新規な手技を開発したという点らしいですが、 CiNiiで検索してみた限りでは本人の論文でこの手技に関するものは1点だけ、そのほかに本人による臨床例の報告は2例だけです。 MEDLINE (PubMed) でも検索してみましたが、本人の論文の登録は1件で、それも眼底カメラの新方式に関するものです[19]。問題の手技に関して言及した本人以外の論文は見つけられませんでした (わたしの探しかたが悪いのかもしれませんが)。 一般向けの検索エンジンなどでみかけた実際の評判[20]は問題ではないです。現状の同記事のような、教え子が書いたのかこの治療法で治癒したひとが感謝のつもりで書いたのかよくわからないような内容では、特筆性も中立性も疑わしいです。 特筆性があると主張するかたは、わたしが探し出した文献にとどまらずより多くの信頼できる情報源に基づいて、中立性と正確性をそなえた記事に改訂できるはずですから、やってください。それがなされるのなら、わたしは特に言うことはありません。 なんだか、両者とも記事の内容をよくするにはどうすべきか、考えていないように見えてしまいます。 --Hatukanezumi 2008年11月25日 (火) 11:41 (UTC) 赤星隆幸に関して、無責任だとは思わないし、Nekosuki600氏の見解に完全に賛同するので、私の見解を述べます。たしかに、まずgoogleで検索してみると、ヒットのトップが【杉浦眼科】赤星隆幸医師の紹介という赤星氏自身の医院のオフィシャルサイトで、そのGoogleの見出しには「TBSテレビの「これが世界のスーパードクター!」に紹介されました。」と垣間見えます。また、いちいち列挙はしませんが、その他の見出しには「2月くらいでしたか、日曜の夕方にやってる夢の扉で赤星隆幸医師のドキュメントをやっていました。 ... 「三井記念病院〜赤星隆幸眼科部長〜 プレチョップ法の導入で、 白内障を治す超音波乳化吸引術の精度と安全性は、飛躍的に向上しました。 ...」というように、Google検索のファーストページの見出しのみでも、【1.単独スポットのドキュメント番組含め、少なくとも2つのTV番組で取り上げられるような医師で、2.白内障のプレチョップ法の導入手法を開発した医師である】ということが容易にわかります。白内障手術のプレチョップ法これ自体が独立した項目になる可能性すらあるわけで、特筆性はあると判断して良いでしょう。 SDタグ貼り行為についてですが、Nekosuki600氏が言われるように、非常に強力な処置です。このコミュニティは記事の削除など本来合意が必須ですが、なかには議論の余地がないほどの緊急、重大または明確な案件に即時対処するために例外的にコミュニティの合意なしに削除を進めることが認められている処置がこの即時削除ということになります。つまり、今回のように議論の余地がある、ノートで、ちょっとググレば特筆性があることくらいわかるだろ?と速攻で物言いがつく案件についてはこのような強力で緊急の属性がある例外的処置は基本的に使ってはいけません。また、この辺の判断が弱い人は、記事というこのプロジェクトの唯一無比の成果物を抹消するというプロジェクトの存在理由、目的と真っ向から対立する重大な錯誤を犯す危険性がある、もっといえば破壊行為を行っている恐れがあり、現状の成果物のみならず、その今後の成長の可能性さえも摘み取る、さらに初版執筆者の心象を害して、成果物を生み出す原動力の新規参入者を排除する行為を継続的に行っていることにもなりかねません。 SDタグ剥がし行為についてですが、これもNekosuki600氏が指摘するとおり「加筆しなければSDタグを剥がしてはいけない」という風潮は間違っていると考えます。そもそも、Wikipediaにおいて、各利用者の編集の重みは対等であるべきはずなのに、今回、S-PAI氏の判断によるSDタグ貼り行為の正当性や重みとNekosuki600 氏のタグ剥がし行為の正当性や重みが非対称であるのはおかしいです。もちろん、S-PAI氏が先に貼ったから、という編集先行による権利などというものはないですし、両者、根拠としているのは、SDのルールのみです。同じルールを参照しながらSDタグの扱いについて意見が割れるのであれば、純粋に話し合いによってそのSDタグの是非というのが決まるはずなのに、一方のNekosuki600 氏だけに、加筆する義務が発生し、S-PAI氏の判断および行為については何もしなくても正当化されるというのは、公平ではないし根拠もない。もしそれを正当化するルール、風潮が存在するのであれば、即刻改めるほうがよいです。S-PAI氏は続いて提出した削除依頼にて「ただし、期間中に有意な加筆がなされた場合は取り下げることもあり得る。」と発言されていますが、なぜ削除依頼を提出することによって、実質他の利用者に加筆をさせる事を強要するようなスタイルになっているのでしょうか?この時点ではS-PAI氏は、Nekosuki600より特筆性があることの反論を受けているわけですから、【1.ほんとは反論なんて受ける前からちょっと調べれば特筆性があることなんてわかったはず。2.特筆性があることを反論受けてから自分で調べなかったのか?3.定義がない、というポイントを理解しているのなら、自分で定義書けばいいだけであるし、他人にはやらせるとしても自分は決してやらない旨の意志を実質その場で表明し。他人がやらない場合削除したいという言える権利がいかなる道理で発生するのか?じゃあ、ただ消したいだけなんじゃないのか?4.その時点で定義がない、というだけならば、それは削除依頼ではなくて、加筆タグを貼る、加筆の呼びかけをコミュニティポータルなどで告知するのが筋ではないのか?そのほうが建設的のはず。】という他の方々が異口同音に言われているような疑問が普通にうかぶわけです。--Tribacks21 2008年11月25日 (火) 14:10 (UTC) 賛同表明どうもありがとうございます。さて、しかしこれはかなりややこしい話なので、できましたら捨てアカウントではなく、常用アカウントでのご参加をお願いしたく思います。よろしくご検討下さい。--Nekosuki600 2008年11月25日 (火) 14:26 (UTC) 自分は初版でこの状態の記事に貼付されたsdを引っぺがして加筆を行ったことがありますが、調べれば特筆性があること明白な記事に対し調べることなくsd貼付する行為というのはsd貼付の版が何ら有意でない履歴となって残る点を考慮すると非常に無意味な編集行為であると考えております。加筆責任云々について議論する気はありませんが、加筆修正可能なものを調べもせずに記事分量や内容の乏しさのみで独断専行にてsd貼付を行う方々にはもう少しsd貼付に際して熟慮して頂けないものかな、と同じく新着チェックを行っているいち編集者として考えております。--凪海(Nami) (会話 / 投稿記録) 2008年11月25日 (火) 15:45 (UTC) ここで、「誰が悪い」という決着は付かないでしょう。初版投稿者も立て逃げであり非があります。加筆もせずにサブスタブとして認めたNekosuki600さんにも非があるでしょう。私は「初版はsdだな」と思っているので、即時削除の方針に則ったS-PAIさんの行動に問題はなかったと思いますが、それに対して非があると考える方々もいらっしゃいます。もし、同様の案件が起こらないように無理矢理に決着を付けるのであれば、記事内容を理由とした即時削除の使用中止と、新規投稿記事の査読されないと投稿されない仕組みを導入すべきでしょう。 (以下余談)テンプレートに{{工事中}}というものがあります。Nekosuki600さんが予定稿を準備しているのであれば、これを用いれば良かったのではないでしょうか?また、削除審議中にも「予定稿を準備しているので待ってくれ」と伝えれば良かったのではないでしょうか?削除審議でNekosuki600さんは「「さっさと加筆して救済する」というのが王道だなあとは思いました。」と述べており、加筆すれば救済されることが分かっているのに、あえてその王道をせずに、「即時削除を加筆依頼のように使うという風潮には同意できなかったため、とりあえず「そのままの状況で即時削除をはがす」「存続を主張する」という手を使いました。」としています。言論が一致していないので気持ち悪いです。私の深読みのしすぎかもしれませんが、削除意見派を集めておいて、後に改稿を投下して即時削除使用者や削除意見派を糾弾・排斥するという政治的な行動のために王道をとらなかったのであれば、それは「記事を良くする」という目的から外れているということを指摘しなければなりません。私の深読みのしすぎであることを祈ります。 --テンパわたる( ("ε") 会話/ φ(.. ) 履歴) 2008年11月25日 (火) 16:31 (UTC) 「誰が悪い」と考えると、自分は「誰も悪くない」と思っています。要するに各自が各自の解釈に於いてWikipediaの質の向上を目指すために各自の方法でsd方針に従って行動しているだけで、争点となっているのはsdの貼付に関する方針の解釈に幅があるため、そして有限の編集時間を使って大量の新着チェックを行うため拙速の貼付作業を強いられている方々と、拙速のsd貼付が行われるために同じく拙速のwikifyを行い記事救済を行おうとする方々の見解の相違であり、どちらも善意に基づく行動でありましょう。sd方針のより判りやすい形での改訂などは当該テンプレートのノートで議論すべき問題でありますが、テンパわたるさんの仰る通りsdを剥がした際に加筆を行う前提で{{工事中}}貼付を行うのも有効とは思いますが、「sd貼付した版」「sdを剥がし工事中を貼付した版」と2版に渡る加筆のない版が残るのもWikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすを知っていると少々躊躇するテンプレートであると考えております(sd貼付がなくとも1版は確実に残りますし)。とどのつまり、「特筆性調査責任」というのは最初にsd貼付を行おうとする方がほんの少し調べる手間をかけるだけでsd貼付、sd剥がし、工事中貼付など「もし記事が加筆修正に値する特筆性を持つ記事であったならば」後顧の憂いが発生せずに済むという点を考えますとsd貼付者が最初に行うべきであり、それを行う時間がないほどに自己の編集時間が逼迫しているのであればそもそもsd貼付を行うべきではない、と考えます。それは、前述のように個人的に不要と思うから貼った、調べるヒマが惜しいので調べていないが記事の内容で何となくそう思った、といった個人の時間的余裕の是非に依る理由であり、「記事が特筆性を持つかどうか判らないがとにかく疑わしいと個人的に思うので貼付しておく」といった使い方が許されるタグではないと思います。そのような状態で貼付するべきタグはsdではなく{{特筆性}}でしょう。--凪海(Nami) (会話 / 投稿記録) 2008年11月25日 (火) 17:26 (UTC) (戻します)テンパわたるさんのお言葉を返しますが、「誰が悪い」という論点はちゃんとあるし、決着もつきます。「誰が悪い」のかというと、すでに説明させていただいたように、SDタグを安易に貼りつける利用者が悪いです。ここに、3つの異なる立場があります。1.初版投稿者 2.SDタグ貼った3.SDタグ剥がした人。 少なくとも今回のような物言いがつくケースでは一番悪いのは2のSDタグ貼った人が一番わるいです。なぜなら、1.初版投稿者、つまりスタブやサブスタブや、今回のような定義がない初版を投稿した人ですが、ここでそんな人の責任とやらを追求しても無意味です。だって、そういう新規参入者、初心者というのはどの瞬間でも常にウィキペディアへやってくる、むしろそれを歓迎しているのがこのプロジェクトで、設計段階でそのように決断しています。その姿勢はメインページの冒頭、「ウィキペディアにようこそ!」というところに明記されています。最初から想定している、プロジェクトの原理に組み込まれているような新規利用者の間違いは、我々参加者はプロジェクトの理念を通じて甘受して参加しているはずなので、ここで新規の人に責任がある!なんて批判するのはそのあたりまったく理解されてないということになります。次にこういう人らの誤り、不十分さを補完したり訂正するのが、より運営に精通した利用者ですが、彼らについてはここでの議論の対象となります。つまり2のSDタグ貼った人、そして3.SDタグ剥がした人です。まず両者にとって根本的スタンスが異なるのは、2の人はなぜか知らんが、どんどん削除したがっている。3の人は加筆されて情報が蓄積されてなんぼというプロジェクトの原理を理解しているのでなるだけ生かそう、次に繋げて成長させようと努力しているということですね。もうこの時点で2の人の行動パターンはダメになる可能性が高くなります。なぜならプロジェクトの原理と真逆の行為に没頭しているからですね。自分はそのような諸刃の剣で逆方向の行為をしているという強い自覚のもとで、きちんとしたスクリーニング能力、なぜSDという合意形成が不要な例外的に超強力な措置があるのか、と理解している場合のみ機能します。でも、おおかたはなんだかよくわかっていない。事実テンパわたるさんも、過去にその辺でおおいなる勘違いのもと、注意を無視しSD貼りの乱発を強硬して末にブロックされて、反省の後、方針転換を約束されましたね? 猫好きさんが、その場で加筆しなかったのは、自身宣言されているとおり確かに政治的意図があるからですが、そもそもSD貼りの行為は無条件肯定、SD剥がしには加筆が強制されるという非対称性の風潮に良しとしないという、むしろ思慮に基づく行動様式の整合性を優先したのでしょう。「記事を良くする」という目的から外れるどころか、記事が強引に抹消されようとされているところを救ったのでしょう?すべての行動はただそれだけに繋がりますし、すべての行動は理解可能です。さて、今回このように、まだ「SD貼りを擁護してSD剥がしにいちゃもんをつける」ことを擁護されているということは、テンパわたるさんがブロック解除の際に、確約されたなるだけ記事を育てる方向へ方針転換するという宣言と矛盾するように思えます。記事を育てるという姿勢ならば、今回のSDを安易に貼るのはよろしくない、という理屈はすんなり飲み込めると思うのですが、その他全員悪い、方針も悪いと懸命にまるで過去の自分の行為を反省して改めるどころか、正当化して擁護されているように私には見えます。 特に猫好き氏は即時削除の方針文書の微調整に現在進行形で取り組んでおられますが、基本的なコンセプトの「誤解がないように改善しているだけ」です。なぜそういう作業が必要なのかいうと、2のSDタグ貼りの利用者があまりにもSDの方針を理解していないからですね。記事っていうのは本来なるだけ削除しちゃいけない、救えるものは加筆して救うという根本の方針、プロジェクトの原理を理解してないからです。--Tribacks21 2008年11月25日 (火) 18:00 (UTC) 警告 捨てアカで長々と自説を述べるのをやめてください。これ以上繰り返すのなら、目的外利用として管理者伝言板へ報告します。 ご自由にどうぞ。上でたまたま、あなたの自説に反論したという恰好になっているので、感情を害した所以の報復的な行動なのが誰の目にも明らかなのですが、そのような条件下でBOLDで警告、「通報するぞ」というようなコメントは自重すべきであるし、とりあえず無礼です。また長々と、というのはあなたの感想ですが、冗長にならない事には注意していますし、可読性を損なわないようにも気を配っています。ただ単に文章の長さをを持って批判するような短絡的行為も自重すべきでしょう。また自説というのも批判的に使われていますが、すべてのコメントは「自説」であるという事も指摘しておきます。--Tribacks21 2008年11月26日 (水) 02:51 (UTC) 即時削除方針は文章になっているが、定義になっていないものは削除対象です。(例:「彼は非常に有名で多くの人に慕われていた。死ぬまでに3冊の本を書いて社会に貢献した。」) と、例を出してあげているように、その人自体に「特筆性」があっても記事として即時削除の方針にあたり削除で問題ないと思います。また、特筆性ありといってテンプレをはがすのならその特筆性ははがす人が証明すべきです。基本方針に賛同していただけるなら誰でも記事を編集したり新しく作成したりできます。とあるように基本方針がまず第一にあり、その方針の中の「特別な機能についての公式な方針」の中の即時削除の方針です。この方針に従い、SDタグを貼るのがダメなのであれば、そのあたりの方針から書き換える必要性があると思います。--こみか 2008年11月26日 (水) 05:43 (UTC) 《この方針に従い、SDタグを貼るのがダメなのであれば、そのあたりの方針から書き換える必要性があると思います》については、Wikipedia‐ノート:即時削除の方針#解説附加提案/定義になっていないにて解説の追加が検討されているところです。また、特筆性の有無について疑問が生じるならば「特筆性がある」と主張した方に詳細を説明する責任はあるでしょうが、その前段階として「特筆性がある」と述べるだけで即時削除テンプレートを除去することは十分許容範囲でしょう。もし、それをみた人が自分で軽く調査しても特筆性があると解らなかったのであれば、「特筆性がある」と主張した方に問い合わせればいいんです。--iwaim 2008年11月26日 (水) 06:32 (UTC) あちらの議論に参加している者ですが、そのようなことは議論していません。- NEON 2008年11月26日 (水) 07:29 (UTC) 違います。基本方針がまず第一にあり、その方針とはWikipedia:編集方針です。即時削除の方針とは階層としてはそのサブセットにすぎません。故に、今回、こみかさんがだした即時削除の方針の文面によって、「削除で問題ないと思います。」という間違った結論が出るのであれば、Wikipedia:編集方針に照らし合わせて何かがおかしいということになります。 この場合、Wikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいです。プロジェクトの存在理由、Wikiスタイルで機能するためには至極まっとうなルールなのですが、この辺理解していないSD貼り、擁護意見の人は多いでしょうね。 今回、二つの対立した主張、立場がありました。1.他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めずに記事を削除しようとした人 2.他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めて記事の削除を防ごうとした人 結果をみると、猫好きさんが努力して削除されずに記事が存続になり成長の基礎が築かれたということは「削除で問題ないと思う」と主張していた人の判断は、誤りであったという証左です。ここに議論の余地はありません。このプロジェクトの存在理由からして、記事が消されずに成長の基礎を作った後者のほうの判断が正しかったに決まっていますね? 基本方針を守らずに即時削除の文面だけで安易に削除行為を決意してしまう利用者も問題ですが、たしかに日本語版の即時削除の文面はそういう人らためにもうちょっと充実させたほうが良いと思います。本家の英語版の即時削除方針に該当するのは、en:wp:Criteria for speedy deletionですが、 (即時)削除は以下の条件が満たされてもべつに必ずやる必要はない。即時削除とタグ貼りする前に、どうやったら改善されるか、スタブから抜け出るか統合したりリダイレクトできないかとか、削除以外の他の処置(たとえば加筆依頼とか)にできないか考えてみろ。それができるのならば即時削除はおそらく妥当ではない。初期投稿者というのは数編集で記事を立項してしまうことが多い、そういう事も考えにいれて、ちょっと不完全だとみえるからといって、立項されて速攻で消すことはくれぐれも謹むように。 つまり、ここであたりまえのように言われていることが、まさに即時削除の方針の文面に明記されています。こういうのがないから今回のSD貼りが正当化されてもしかたがなかった、ということにはなりえないですが、そういう間違った結論を抑制するためには早急にこういう文面つけくわえるべきでしょう。英語版の方針ページの翻訳で、既存の日本語版方針文書まるごと上書きしてしまっても別に問題ないと思います。 特筆性ははがす人が証明すべき、というのはまず順番としておかしい。むしろ最初のアクションを起こした人=基本方針に従わず、何の保存する努力も調査もせずに、特筆性がないと思ってSD貼る行動のほうに問題があります。それを修正することは、基本方針にそっているので、何ら余剰の義務は負うべきではないですが、普通に説明があればそれで良いと思います。今回、猫好きさんが、特筆性があると履歴、ノートで説明しているのでそれでなんら問題ないし。Googleのファーストページの見出しのみで明らかなのは上で説明したとおりです。 あと(例:「彼は非常に有名で多くの人に慕われていた。死ぬまでに3冊の本を書いて社会に貢献した。」) というのは、その人に特筆性があるというのではなくて、なんで有名なのか、多くの人って何なのか、3冊の本ってどれなのか、具体的にどのように社会に貢献したのか、とかそういう意味で定義になっていない、ということです。今回の眼科医のケースの特筆性、定義とは、関係ありません。ここの「定義」も誤訳あるいは閲覧者に拡大解釈されている可能性が強いです。--Tribacks21 2008年11月26日 (水) 07:45 (UTC) なんていうんですかねー。即時削除に関していろいろな誤解があるようなんだが、その誤解のひとつと思われるものを指摘しておこうかと思う。 即時削除ですが、要件を満たすものについては「即時削除をすることができます」ということなんです。「即時削除しなければなりません」なんてことはどこにも書かれていない。なんかここのところで、「要件を満たす→即時削除しなければならない」という強迫観念にとらわれているひとが少なからずおいでになるんじゃないですかね。でもそれは間違ってるんだ。 即時削除要件を満たすものがあった場合、それは即座に「即時削除されるべきもの」と認定されるわけじゃないんです。そこから判断が始まるはずなんだな。「それは、即時削除するべきなのか。それとも、がんばって育てるべきなのか」という判断だ。あるいは、「それは育てようがない項目なのか、それとも育てることが可能な項目なのか」を見抜く判断とでも申しますか。 当然だが、「がんばって育てるべき項目」「育てることが可能な項目」なんだったら、即時削除はすべきではない。スタブなりサブスタブなりを貼って放置する、加筆依頼に出す、がんばって自分で加筆する、といった選択肢が正しい。 で、この「判断」というのは、決して簡単なもんじゃないんだよ。その項目が実はどういうものごとの説明をしようとしているものなのか、今現在は書かれていないにせよどのような情報が書き加えられ得るのか、そういったことまで視野に入れないと判断できない。即時削除を貼りまくっているひとたちには、そういう判断ができているのか。というよりも、痩せた項目を目にしたとき即時削除以外にも対処方法があるのだというごく単純な原則すら目にはいっていないのではないか。 その昔「阿部定事件削除依頼事件」なんてもんがあったんですよ。これは即時削除案件じゃなくて削除依頼案件だったんだけど。「特筆すべきとは思えないローカルニュース」という理由で削除依頼が提出されましてね、しょーじき、一同目が点になっていました。即時削除案件は、削除されてしまえばもうそれ以降は他人の目に触れませんからわかりにくいかもしれませんが、「ごく簡単に加筆できるもの」「あってしかるべき項目」などについて、たまたまそのとき痩せたテキストしかなかったからといって「育てる」という選択をせずに即時削除を貼り付けて削除してしまおうとすることは、同じ程度に恥ずかしいことであると、ぼくは思います。それは、即時削除を貼り付けたひとには加筆をする力がなく、あってしかるべきかどうかという判断すらできなかったということを、自供しているということなのですから。 即時削除の貼り付けってのはそんなに簡単なもんじゃありませんよ。即時削除貼りに熱中しておられる方々の大半は、即時削除の貼り付けができるほどの実力を持っていないような気がする。即時削除の運用をめぐるややこしい議論って、もっともっと形而上のところで行われて当然のものなんじゃないのかという違和感が禁じえません。--Nekosuki600 2008年11月26日 (水) 10:08 (UTC) あなたの主張の宣伝喧伝はやめてください。ごちゃごちゃ言ってないで、記事への加筆をしてみせてください。「ぐぐればわかる」だの「偶然知っていたからsdはがしをした」(いずれも大意) だのとあきれるような発言を繰り返したあげく、やった編集が出典も明示せず「てにをは」もおかしい加筆[21]とは……。 なお、上で述べたCiNii登録の論文だが、それを引用している論文がすくなくとも3篇ある。わたしはCiNiiの有料情報にはアクセスできないし、医学雑誌などをすぐに閲覧できる環境にもない。しかし、あなたは当然、問題の人物の研究業績への学術界での評価などもよくわかっていて、それで「特筆性がある」などと主張しているのでしょう (評価が低いと言っているのではない。わたしは知らないということだ。だから削除依頼でも賛否保留とした)。 ウィキペディアでは、出典を示す責任は掲載を希望する側にあるのだ。それをちゃんと実践して見せてこそ、ここでのあなたの主張や、あなたが現在とりくんでいる方針文書改訂作業だって、説得力をもつのだ。 あなたは以前から「わかっている者にはわかることだから、出典は必要ない」(大意) といった主張をするなど、一部の基本方針を軽視する傾向がある (例)。ウィキペディアにかなりの貢献をしているひとだとはおもうが、だからといって、自分の主張を通すためならば基本方針も無視してよいということにはならない。 ちゃんと加筆できるのか、できないのか。できないのなら、しばらくウィキブレークでもして、リフレッシュしてください。 --Hatukanezumi 2008年11月26日 (水) 12:04 (UTC) Nekosuki600 氏の行動に超法規的っぽい部分があっても、大抵は百科事典の充実に繋がるものだったので別段気にしていませんでした。しかし今回は自己主張を優先して加筆を蔑ろにしたわけで、しかもそれを土台に議論を展開し続けることはにわかには信じ難いです。悪しき風潮の改善は歓迎しますが、この度ばかりは一度議論を閉じ、身振りを整えた上で提案し直していただきたい。でないと同意できる部分にも同意できません。- NEON 2008年11月26日 (水) 12:21 (UTC) 《加筆を蔑ろにしたわけで》ってところですが、この文脈だと「特筆性があることを主張する際には、加筆が伴わねばならない」ともとれそうに思っています。個人的にはそういう風潮になるべきではないと考えていますが、NEONさんの真意はそこにあったりしますか? --iwaim 2008年11月26日 (水) 12:44 (UTC) ウィキペディアでの特筆性というのは信頼できる情報源によって証明されるものですから、必ずしも記事本文への加筆を要するものではないでしょう (記事本文ではなく、ノートの議論で情報源が示されて検証可能性が認められた例だっていっぱいあります)。しかし今回の場合、これまでの議論で論者は改訂稿を用意しているとまで述べているのですから、(以下感情的な表現になっちゃいそうなので削除)。 --Hatukanezumi 2008年11月26日 (水) 12:57 (UTC) はい。前半部分は私も同様に考えています。後半部分については私は深く議論する気はありませんが、戦略としてはまあありかな、という程度には思っています。--iwaim 2008年11月26日 (水) 14:12 (UTC) 常に加筆を伴えとは思いません。しかし能力のある人があえてそうせずにタグの貼り付け/引き剥がし合戦に加担したり、あまつさえ議論のだしに使うなどという姿勢は、およそ百科事典の編纂から乖離したものです。- NEON 2008年11月26日 (水) 13:03 (UTC) 即時削除を貼られたものは、最近ではごく短い期間で削除(破壊)されてしまいますのでね。何はともあれ破壊除けを優先するというのは重要なことでしょうとしか言いようがありません。また、繰り返しておきますが、削除依頼や即時削除は加筆要請のために使っていいタグではありません。--Nekosuki600 2008年11月26日 (水) 13:33 (UTC) ◆返答ありがとうございます。《常に加筆を伴えとは思いません》というNEONさんの意見が確認できてよかったです。--iwaim 2008年11月26日 (水) 14:12 (UTC) ◆形而上の話をするとすぐ「(自己)主張」や「宣伝」という言葉になっちゃう(把握になっちゃう)のはいかがなものか。Uryah 2008年11月26日 (水) 12:52 (UTC) もちろん、特筆性を問うたのに対し「俺テレビで見たもん」なんてべたべたの形而下な返しをされてもこまるわけですから、形而上学的な考察というのは必要なもんです。 しかし、形而上の考察の結果は、現実に反映されるものでないと意味がない。Nekosuki600さんは、{{sd}}を貼ることへの考察にこだわりすぎたあまり、記事の記述の質を保つことを忘れたのです。百科事典の記事に「革命的な術式」とか書くか普通。腹立ちを通り越して情けなくなるよ。「素人が医療情報を安易に書くな」(大意)[22]と言ってたひとの文章がこれですか。 sdの拙速貼り付けについてはわたしも意見はあるけど、こういうことをするひとの主張にくみしようとは思わないね。 --Hatukanezumi 2008年11月27日 (木) 09:18 (UTC) 加筆をするというのは「明白なプラス」として、充実に寄与します。有用な情報・育つ可能性がある情報を削除をするというのは「明白なマイナス」として、充実に反します。有用な情報・育つ可能性がある情報の削除を避けるということは、「明白なマイナスを避ける」という意味で、「明白ではないかもしれないが、プラス」であると、おれは判断します。 Wikipediaは焦ってなんとかする必要があるものではありません。「とりあえずマイナスだけは避けておく」という選択肢は、害を及ぼすものではないと考えます。 というか、「かーんたん即時削除を貼ることは許されるが、はがす側には労力を求める」という非対称性についても指摘がなされていませんでしたか?--Nekosuki600 2008年11月27日 (木) 08:53 (UTC) ◆sdテンプレート表示文言の「記事を適切な内容に改めた上で〜」ですよね論拠は。sdを貼付すると時間を置かずに削除可能なテンプレートであるのに、削除に同意出来ない人間にだけ一方的に拙速の加筆修正必要が発生する不均衡な文言が提示されるという状態であるのは先ずこの文言の解釈のひとつとして発生する貼付意図が「疑わしきは削除」であり、それは貼付側が即時削除方針に従ってさえいれば「特筆性調査責任」とやらから逃れられる免罪符にも成り得ると考えますが、では何故タグの貼付側には一切「特筆性調査責任」は発生しないのでしょうか? 加筆に際する時間とタグの貼付に際する時間を考えれば明らかに後者の方が簡単克つ大量のsd貼付が可能ですが、それほど簡単にsd貼付可能なタグを拙速克つ未調査で貼付することは本当にWikipediaの質の向上に役立っているのでしょうか?下にも書きましたが、加筆修正な記事もひっくるめてどんどん削除することで逆に有意な記事になる可能性もあるものも削除出来てしまう点では到底賛同出来かねる短絡的な方法と考えます。 で、ひとつ疑問が発生したんですが、この文言、タグ添付時には出現しますが即時削除方針内で「タグを剥がす場合は加筆しなければならない」とは明言されてないんですよね。Template‐ノート:即時削除/2004年辺りで唐突に出てきた改訂文言のように思えるのですが、方針内で明言されていない文言に従って責任云々を語って悪者探しを行うより、この文言が提示される理由と必要性について現在の当該ノートで議論した方が良いのではないかと思えました。--凪海(Nami) (会話 / 投稿記録) 2008年11月28日 (金) 00:05 (UTC) 確かに即時削除テンプレートには「もしこのページの削除に同意できなければ、ウィキペディアは何ではないかなどについても考慮し、記事を適切な内容に改めた上でこのテンプレートを取り除いてください」と記されており、「加筆をせずにテンプレートを撤去するという行為」について異議を唱えている方々はそれに準拠しているのだろうと想像します。しかしですね。 Category:即時削除には「もし方針と噛み合わない理由がつけられていた場合、方針には合致しないと思われた場合には、その項目の即時削除テンプレートを除去してください」と記されているのですね。即時削除の方針に合致しない理由で即時削除テンプレートが貼り付けられていた場合、そのテンプレートを除去してかまわない、と書かれているのです。 即時削除テンプレートが不適切に貼られていると判断した場合、加筆をしてひっぺがすのはありだし、加筆をせずにただひっぺがすのもありです。どちらも想定の範囲内であるということを指摘しておきたいと思います。少なくとも「加筆をせずに即時削除テンプレートをひっぺがすのは不当」という考え方には、根拠がないということを指摘しておきたい。--Nekosuki600 2008年11月30日 (日) 02:56 (UTC) えと、これ[23]のどこが、即時削除の方針に合致しないのか教えてください。討議が始まったころから言っているように、普通に定義がないようですが・・・。ちなみにサブスタブどうこう[24]っていってますけど、Wikipedia:スタブには、「この文書は削除の基準とは関係がありません。削除の方針については削除の方針・即時削除の方針を参照してください」と書いてあり、サブスタブと勝手に認定しようが、削除の方針にしたがって問題ないということです。本当に、記事がサブスタブで定義くらいあれば即時削除は書いた人に悪いと思いますが、別に削除されて困る内容でなければ問題ないでしょう?逆に『「加筆をせずに即時削除テンプレートをひっぺがすのは不当」という考え方には、根拠がないということを指摘しておきたい。』という発言の根拠がどこにあるか教えてください。--こみか 2008年11月30日 (日) 07:07 (UTC) 履歴を見りゃわかりますけど、初版の編集要約に「赤星隆幸(あかほし たかゆき)は日本の眼科医」と記されています。これは「定義」ですね。このケースは「定義なし」と判断すべきものではなく「定義の書き損じ」と判断すべきものでしょう。要約に記されている定義を本文に持ってくればいいだけの話。それすらせずに「定義なし」と言いつのることにどういう正当性があるのかご教示願いたい。 ビギナーさんのミスに対して居丈高になり即時削除をふりまわすのが方針に合致する行動なのでしょうか? おれは、そうは思わないのですが。--Nekosuki600 2008年11月30日 (日) 07:22 (UTC) ◆あ、念のためですけれども、本格的に定義がなかったとして、容易に定義を追加できる場合に即時削除をはっつけるのは間違いだという見解は維持します。また、本格的に定義がなかったとして、即時削除以外に加筆や加筆要請、スタブやサブスタブなどを貼り付けるという対処方法も並行して検討されるべきだという考えについても、維持します。--Nekosuki600 2008年11月30日 (日) 07:29 (UTC) 「要約に書いてある。これはミスであり許容するべきだ」。というのであれば、逆にあなたがSDをはがすときに書けばいいじゃないですか?それすらしないというのは方針を無視してるといわざるを得ません。そうすれば再度貼られる恐れはなかったと思います。初版編集者がちゃんと記事を書く気がある人なら、それくらいのミスは初版からSDまでの13時間もあれば気付くハズです。 「居丈高になり即時削除をふりまわす」ということですが、逆にあなたが即時削除をはる方を悪者的に記事を救ったヒーローです。といいたいだけなのではないでしょうか?「本格的に定義がなくても・・・」ということは、削除はそもそも定義すらできないのに、記事を新たに作成するのはどうなのでしょう?--こみか 2008年11月30日 (日) 07:53 (UTC) おれが聞きたいのはね。こみかさんはなぜそこで「即時削除をしなければならない」と思い込むのかってことですよ。「即時削除ではない別の方法論も並行して検討してくれないか」と、おれは言っているのだ。 んで、適切な即時削除貼りならとにかく、見境のない不適切な即時削除貼りが悪いことなのは当然でしょ。言うまでもないことだと思う。--Nekosuki600 2008年11月30日 (日) 08:02 (UTC) および、「見境のない不適切な即時削除貼り」というのはどのような行為でしょうか?赤星隆幸の件は「適切な即時削除貼り」だったと思えます。 それはおいといて、即時削除タグをはがすときにあなたは履歴を見て加筆できる状態にあったのにもかかわらず、加筆をしなかったのか?という問いは答えはいただけないのでしょうか?その答えがないのでしたら、あなたの行動のほうが、コメント及び方針を無視した「見境のない不適切な即時削除剥がし」だと思います。--こみか 2008年11月30日 (日) 08:13 (UTC) 何百回やってみせても「即時削除の貼り付け以外の方法論」を学ばないひとたちがいるので、「実際に放置したらどうなるか」を見てもらいたかったんすよね。救助隊が駆けつけなくても十分に補正される可能性があるということを目の当たりにしたら、多少は世界が違って見えるようになるかもしれないということを期待しました。まあ、こういうのは思い込みの前には無力なのかもしれませんが、とにかく状況を見て考え直していただく以外にいい方法を思い浮かびませんし。--Nekosuki600 2008年11月30日 (日) 08:17 (UTC) それでは何百回で足りないのであれば何千回と行えばいいではないのでしょうか?それに、SDタグがついたままだとしても、実際に削除するのは管理者なのですから、管理者が不当とおもったら差し戻すはずです。その際には、差し戻しのコメントとして理由をきちんとかいてくれます。さらにあなたの今の発言は「ウィキペディアは無政府主義の実験ではありません」の意図に反して、それを実験したと断言したようなもので、とうていほめられたものではありません。もしあなたが本当に「すぐにSDを張るのを考え直してほしい」というのであれば、このような方法ではなく、違ったやり方を考えてみてください。--こみか 2008年11月30日 (日) 08:33 (UTC) おれは無政府主義の実験をやったわけではありません。Wikipediaコミュニティを信頼しまかせてみただけです。そして、その信頼は、裏切られませんでした。--Nekosuki600 2008年11月30日 (日) 09:31 (UTC) ◆おまけ。「管理者が不当とおもったら差し戻すはずです」とのことですが、Wikipediaにおける管理者は「判断をする者」という位置づけではありません。「コミュニティの判断に従って実作業をする者」という位置づけです。まあ、微妙な点はありますが。 管理者が差し戻しをして良いのなら、利用者が差し戻しをしても何ら問題はありません。なんか根本的なところで勘違いをなさっておられませんか?--Nekosuki600 2008年11月30日 (日) 16:41 (UTC) 私もそれほど頻繁にチェックしているわけではありませんが、それでもグレン・メディロスの初版のように定義があるものや、明らかに有用なことが書かれているアーネスト・ボーグナインのこの版に即時削除が貼られたのを目にしたことがあります。たとえ内容が乏しくても、あるいは百科事典の体裁にぴったりと合致していなくても誰かの役に立つかもしれないわけで、特に害になるものでなければ放置しておいても問題ないのではないかな。ウィキペディアが質の高い百科事典を作ることを目的としているのは言うまでもないことだけど、ある程度長い目で記事の成長を見守る心の余裕がなければ結局は参加者の裾野が広がらずに内輪だけのプロジェクトに終始してしまう恐れがあると思います。スタブというシステムが導入されたのは、そういう心の余裕を体現するためでしょう。--Ray go 2008年11月26日 (水) 13:39 (UTC) sdの代わりに特筆性があるかどうか、加筆不可能かどうか、削除して問題ないかどうか調べずに貼付出来るタグとして{{特筆性}}を示したんですがダメみたいですね。どうしてもsdを貼付しなければならないとして、それだけの拙速性を重んじる方々は果たしてWikipedia:即時削除の方針#注意事項を実践しているのかな、という気もします。sdで削除されると執筆者が訳もわからないまま記事が削除されるため再度改善なき再立項を行う愚を犯す可能性は高いわけで、sd貼付に邁進するのでしたらその貼付後のフォローも心がけて欲しいなと、そう思います。特筆性があってそれでもsdしなければWikipediaの質が保てない、と主張される方々を自分が反対側の立場にある点から一方的に悪だとか誤りであるとは申しませんけれども(前述の通り方針の解釈に違いがあるだけで我々はどちらも善意での立場と考えております)、少なくともsd貼付行為で自分のトミー・セイヤーやRay goさんのグレン・メディロスのような、加筆修正可能である加筆修正可能な編集者にとって有意な記事を削除出来てしまいますし、これが加筆されるとsd貼付の版は無意味な版として残ること、タグの貼付・剥がし・再度貼付・削除依頼・加筆、という一連の流れが加筆可能であれば全て無駄で無意味な行為で、また初版作成者にとって削除の理由(記事の問題点がどこか)が理解出来なければ改変なき再作成→再度sd貼付→sd削除という無駄で無意味な編集回数が重なるのだということをご理解頂けましたら、と考えております。要するに調べて貼れば無駄が減るんだから、剥がされたことで削除依頼に提出するとか特筆性説明責任とかやってるヒマがあったら調べれば良いし、納得行かなければ当該記事ノートで特筆性について疑問点を言及するなり、初版作成者に尋ねるなりしたらいいのではないか?そちらの方が無駄が省けないか?ということです。sd貼付→削除で記事が消えてしまいますと、自分のような初版で作成する気はないが加筆は可能、という編集者の行動も無意味になってしまいますので、貼付の際に「もう少し時間を置いておいても本当に誰も加筆不可能か?」ということを考慮して欲しいかな、と思います。貼付後時間を置かずに消えるタグですから、ウォッチリストに入れておいて数日から数週間ほど時間を置いて、それでも加筆がない場合に貼付しても誰も損しないと思うのですが。10件50件監視対象が増えたところでsd貼付→保存に掛かる時間ってそう多くはないでしょう?私はスタブ・サブスタブ貼付した記事がウォッチリスト内に150件ほど入ってますがあまり問題を感じておりません。--凪海(Nami) (会話 / 投稿記録) 2008年11月26日 (水) 14:06 (UTC) Wikipedia:井戸端/subj/井戸端への投稿を最初からサブページ化しておく提案(井戸端運営改革その1)の議論で、井戸端の新規トピックはトピック投稿時にサブページ化しておくことを奨励するという合意が得られたと思います。もっとも、これは、サブページ化しておかなければ非難されるという趣旨は含みません。 また、個人的には{{井戸端サブページ}}を利用していただければ、サブページ化が少しやりやすくなるのではないかと思います。 廃止を提案する理由は、これを廃止しないとサブページ化されていないトピックをサブページ化するさいに負担が増えるからです。また、そもそも、これを利用している人はほぼいないだろうと思います(これを利用するのは井戸端の整理を行う人だけでしょうが、現時点でそれは私だけのようです)。 Wikipedia:井戸端/subj/井戸端への投稿を最初からサブページ化しておく提案(井戸端運営改革その1)での議論が再開いたしましたので、一度、提案を取り下げます。--mizusumashi(月間感謝賞を応援します) 2008年11月25日 (火) 15:40 (UTC) Wikipedia:井戸端/subj/UTCからJSTへの変更をたまたま見た時に、ドイツ語版、フランス語版、スペイン語版、スウェーデン語版、ノルウェー語版が採用しているタイムゾーンが中央ヨーロッパ時間(CET)であることに気付きました。当方は、過去にこれらの言語版から翻訳し要約欄に翻訳元の版を記載した際、タイムゾーンは全言語版で協定世界時だと思いこみ、(UTC)と書いてしまいました。Wikipedia:翻訳のガイドライン#要約欄への記入忘れ・誤記入を見まして、自分しか投稿履歴のない記事については即時削除を依頼することとしましたが、他の方の編集が入ってしまった記事につきましては、削除依頼を出すべきでしょうか。それとも最新の版の要約欄に「補遺: 初版のタイムゾーンは正しくはCET」などと明記して読み替えてもらうようにすれば解決するものでしょうか。宜しくお願いいたします。--Hana1999 2008年11月26日 (水) 09:21 (UTC) 該当箇所の変更を受け修正。--Hana1999 2008年11月26日 (水) 22:38 (UTC) さきほどHana1999さんが依頼された即時削除を対処いたしました。なお、CETやEETなどを採用している言語版では、そのほとんどにおいて夏時間も同時に採用されているため、正しくは「ドイツ語版は CET または CEST」となりますので、ご注意ください。なお、同様の「CET等の時刻に対して UTC と誤記入」件については、念のため、また可能であれば、今回のHana1999さんがされたような対応をされた方がよろしいかと思いますが、誤記入によって別の(不適切な)版が指定されてしまっている場合を除けば好意的に解釈することで、特に支障はないかと考えます。逆に――例えば、10:43 (CET) の版を翻訳した際に「10:43 (UTC)」と書いてしまい、かつ 11:43 (CET) の版があり、その版の翻訳とは見做せない場合、あるいは翻訳の投稿と時間的な齟齬が発生する場合には、削除・特定版削除が必要だと考えます。--氷鷺 2008年11月26日 (水) 09:48 (UTC) Hana1999です。氷鷺さん、さっそく削除してくださり、また当項目の見出しの間違いも修正してくださり、ありがとうございました。ところが、頂いたコメントを読む前に慌てて再投稿してしまい、8月の記事ですので恐らく夏時間(CEST)であったにもかかわらず、(CET)としてしまいました。この場合は、いかがなものでしょうか。 確認しましたが…CESTですね…。まぁ、別の不適切な版が(ちょうど)指定されてしまっているわけでもありませんし、大丈夫だと思います。ただ、あくまで個人的な意見ですので、まだなんとも言えません。また、今後の要約欄への記入については、むしろ履歴からコピー&ペーストしたものをそのまま、タイムゾーン無記入とした方が(ミスを防ぐという観点からは)安全かもしれません。--氷鷺 2008年11月26日 (水) 10:23 (UTC) コメントをありがとうございます。当該記事については本文中の翻訳中途テンプレート内でも「CET」としていましたので、これを修正すると同時に、要約欄に「初版のCETは正しくはCETまたはCEST」と書いてみました。--Hana1999 2008年11月26日 (水) 10:40 (UTC) ええと、翻訳の分量や内容によっては、著作物とみなされず、履歴継承の必要がなかった場合も考えられます。ざっと履歴を見たところ英語版以外からの翻訳は15本程度だと思われるので、後ほど履歴を確認してみます。--Ks aka 98 2008年11月26日 (水) 10:01 (UTC) Ks aka 98さん、コメントをありがとうございます。該当する記事を利用者:Hana1999#UTC → CETに書き出しておりますので、よろしければこちらからご確認をお願いします。お手数をおかけしますこと、申し訳ございません。--Hana1999 2008年11月26日 (水) 10:08 (UTC) 他の編集が微細で数も少ないものは、著作物性がどうしたという話ではないので、主執筆者による削除依頼で削除されると思います。ビョルン・マグヌースソン・オールセンやマグヌス・オルセンなんかは、著作物性がないと見ることもできそうですし、氷鷺さんの運用も支持しますが、情報量を損ねず再作成できるなら、やっておいたほうがいいと思います。加筆があるようなもので、2007年に記事を立てた分については、言語間リンクがあるので初版のみの特定版削除で対処できるように思います。ソーラブロートみたいなものは、特定版削除ですね。Midvinterblotについては、[25]だけなら、削除の必要はないでしょう。--Ks aka 98 2008年11月26日 (水) 17:49 (UTC) ご確認くださりありがとうございました。Wikipedia:削除依頼/タイムゾーン誤記によるGFDL違反案件という事例も後から見つけました。この依頼を参考にして削除依頼を出し再作成などするようにいたします。--Hana1999 2008年11月26日 (水) 22:38 (UTC) 日本のテレビアニメ作品一覧 のように長い一覧ページで、「あ行」「か行」ごとにサブページ化して、それを一覧ページに呼び出す形は、可能なのでしょうか? 正直、ここまで長い一覧だと、私のマシンの場合、毎回見るだけでもストレスを感じます。サブページ化であれば、一覧で見たい人、個別に見たい人、どちらの欲求も満たせるように思うのですが…。--アイバー 2008年11月26日 (水) 16:05 (UTC) Wikipedia:ページの分割と統合が適切であるように思えますが、まずは当該記事のノートページで分割提案を行うべきと思います。Help:サブページ#有効な名前空間をご覧頂きますとお解りの通り、標準名前空間ではサブページは使用出来ませんので、行ごとに別のページに分割し、元のページには例えば「あ行 - 日本のテレビアニメ作品一覧 あ行を参照」といったリンクが残る形になるか、または索引から直接別のページに移動する形になるかと思います。--凪海(Nami) (会話 / 投稿記録) 2008年11月26日 (水) 16:56 (UTC) (追記)ノート:日本のテレビアニメ作品一覧#分割についての方で既に分割提案が為されておりましたので賛成票を入れておきました。--凪海(Nami) (会話 / 投稿記録) 2008年11月27日 (木) 00:32 (UTC) お返事、ありがとうございました。アドバイスに従い、分割提案を正式に行いました。大規模であったため、分割に躊躇しておりましたが、思い切って質問してみて良かったです。--アイバー 2008年11月27日 (木) 16:34 (UTC) [26]このIP利用者の編集があまりにも杜撰すぎです。会話ページで呼びかけても返答なく、また時にIPアドレスを変えて編集をしています。私はこの人の編集を見るたびに訂正しているのですが、できればもうこの人の幼稚な編集に付き合いたくない。なんとか解決する方法はないでしょうか。--サトシ・ラドグリフ 2008年11月27日 (木) 01:45 (UTC) 一方の言い分だけでブロックとは随分とご立派な判断ですね。その項目にゾウシ(←何故か変換できない)を持たない人にはどっちの主張が(編集が)正しいのか判断付きません。項目のノートで話し合ってもらうべき状況なのでは無いのですか?211.133.19.247 2008年11月30日 (日) 05:36 (UTC) IPでも被依頼者はブロック依頼にコメントできます。(自分が被依頼者ではない場合にはできませんが)。また投稿ブロック依頼が出たからといって必ずしもブロックわけではありません。Wikipedia:投稿ブロック依頼を参照してください。あと「造詣」はゾウシでなくて「ゾウケイ」と読みます。--Himetv 2008年11月30日 (日) 05:43 (UTC) この編集者の文体不一致(「です」「ます」調で編集していること)に関しては造詣を持たずとも不適切であることは判断できると思いますけど…。出来ることならブロック以外の平和的解決を望んでいたのですが、この状況では投稿ブロックのほうがむしろ平和的に解決できそうだと皆さんの意見を見て考えました。投稿ブロックの適不適に関しては依頼先で議論してもらうことにしますので、これから投稿ブロックを依頼してきます。--サトシ・ラドグリフ 2008年11月30日 (日) 06:07 (UTC) 今、SDをめぐっていろいろ意見が出ていますが、それよりも、こういうことはシステムで解決した方がいいと思います。前から言おうと思っていたことなのですが、雛形システムをここで提案します。 MediaWikiの拡張であるinputboxは、新規記事を作る時にも使え、その際に、別の記事を呼び出すことが出来ます。例えば、以下のようなコードになります。 とかやると、テンプレが自動で呼び出された状態で記事作成が始まります。既に記事がある場合は、そのまま編集画面になります。雛形でコメントを使ったりして案内を作っていけば、無意味に短い記事などはそこそこ減ると思います。 サンプルを利用者:Yukichi99/雛形に作ってみました。これは、あくまでテストなので、記事は保存しないでください。editintroで警告文も掲載しています。 念のため申し上げますが、これですべてが解決するとは思っていませんし、新しく記事を書き始めた人全てがこれを利用すると断言するわけではありません。ただ、あくまでやらないよりかはまし、ということで提案しています。ウェルカムテンプレートやヘルプでの積極的な案内も必要でしょう。 また、個別のプロジェクトごとに雛形を用意すれば、記事作成になれた方にも効率よい編集環境を用意できると思います。 とても面白い試みだと思います。詳細は議論してまとめ上げていけばいいと思いますが、基本的にWikipedia:ガイドブック 執筆するや「検索結果」などに貼るなどの利用方法があろうかと思います。「検索結果」に貼るというのは、sd対象記事作成者のほとんどは赤リンクから作業しようとする人であって、いちいちガイドブックを見ていないと考えられるからです。まあ、それでもsd対象記事作成者はそれほど減らないような気もしますが、出来ることをしないよりはマシかと。--ろう(Law soma) D C 2008年11月27日 (木) 04:21 (UTC) Template:新規記事およびTemplate:新規記事案内が既に存在します。で、これらはかつてHelp:新規ページの作成で2005年12月5日に追加されましたが、悪戯が多くすぐにinputbox ごと使用中止され、その後2006年9月9日に復帰されましたがやはり悪戯や定型だけの新規記事が濫造され、2006年12月5日に使用中止になりました。2007年9月2日からは inputbox 自体は復活していますが、雛形は使用されていません。 そういうわけで、初心者に雛形を利用させるのは逆効果なんじゃないかと。個別のウィキプロジェクトで利用するのはありかもしれません。--cpro 2008年11月27日 (木) 04:30 (UTC) 新規参加者や、ちょっと百科事典の項目としては足りない部分があると感じた記事を作った方に対して、私はMizusumashiさんに作っていただいたWikipedia:記事投稿まえのチェックシートへのご案内を貼らせていただいています。今リンク元をざっとチェックしたところ、私以外はあまり使っていない感じでしたので、浸透していないのかなとも思い、こちらで紹介させていただきます。システムで解決する、ご案内をより判りやすいものにする、その告知が目に付くようにするなど、工夫できるところは色々あるかもしれないですね。--海獺(らっこ) 2008年11月27日 (木) 04:40 (UTC) うわ、前歴があるのですね。困ったな。心持ち撤回したくなってきましたが、個別プロジェクトでの充実に回した方がいいのですかね。あとは、どうにか案内を充実させるか(読まれなくなるけど)。--ゆきち 2008年11月27日 (木) 05:01 (UTC) 何をしようと目論んだのかわかりませんが、記事の体裁をテンプレート的に定めることについては反対です。Wikipedia‐ノート:即時削除の方針#解説附加提案/定義になっていないで議論しているように、記事の定義は体裁によって定まるものでは *ない* 、と確認しているにもかかわらず、あえて逆行する意味がわかりません。 まだしも、海獺さんが提示されたチェックシートのほうが有用でしょう。ガイドライン的に用いるのであれば、内容を吟味していく必要はあると思いますし、個人的には項目数が多すぎてチェックしきれないだろうと感じましたが。--Tamago915 2008年11月27日 (木) 14:33 (UTC) お示しのノートで議論されているのは「記事の体裁」ではありません。「サブスタブの体裁」です。まともな記事なら、レイアウトの指針で示されているような体裁を具え、必要な要素を含んでいるものです。 --Hatukanezumi 2008年11月27日 (木) 14:45 (UTC) お聞かせいただきたいのですが、失敗した前例は別として、ゆきちさん提案のシステムを導入することでどのような効果が期待できるのでしょうか。 私個人としては、これで誰が書いても最低限の定義がなされた記事が作れるとは決して思えないし、むしろ雛形に沿った内容で記事が構成できないときにどうするかという問題(学校関連の記事で発生しています)や、雛形に沿っていないから削除(即時削除)という本末転倒な考え方を誘起させることも考えられ、デメリットのほうが大きいのではないかと思います。--Tamago915 2008年11月27日 (木) 23:50 (UTC) この節ではスタブやサブスタブを作る話ではなく、記事として役に立つものが書かれるためにどうすればよいかが話し合われていると考えます。 さてそこで、基本的なことですが、記事やスタブが「役に立つ」と言ったとき、それは「読者にとって役に立つ」ということを意味しているのだとおもうのですよね (ですので特筆性についても、だれかが「ある」と言えばよいのではなく、項目中に読者が特筆性を認めるだけの情報が盛られていることが必要なわけです。上掲のノートの議論はいったいなにを議論しているのやら、とおもって見ています)。 「記事として必要な情報が盛られているかどうか」というのは、役に立つかどうかのひとつの基準になりえます。WP:GTLをお読みください。この体裁をとらなければ記事として認めないというのはちょっと狭量だとはおもいますが、逆にきちんとした内容の記事ならこの体裁にできるはずです。実際、草取りの一環として記事をWP:GTLにそった体裁に修正する作業をしておられるかたもいらっしゃいます。 もちろん、いいかげんな加筆をして分量を水増しすることで記事の存続を図ろうとするような企図は、防げません。そういう意味で、雛形に沿っているかどうかを削除の基準にするのは、不毛なことだとおもいます。 --Hatukanezumi 2008年11月28日 (金) 09:17 (UTC) それもひとつの考え方ですが、日本語版のウィキペディアってまだそこまで成熟していないと思うんですよね。つまり、個々の記事も未成熟であることを認めていかなければならない段階だということです。編集者の総数が現状の何倍、何十倍にも増え、編集の質が高まってくれば、どんな記事も必要な情報が盛られた状態を維持できるし、新規に作られたサブスタブもたちまちのうちに体裁を整えられるでしょう。 ですが現状はそこまで来ていない。定義が可能な対象であれば、記事がサブスタブであっても、成長するのを気長に待つべきであって、削除の判断を急ぐべきものではないでしょう。 雛形については同意。雛形を使えば記事の体裁を保つことはできるかもしれませんが、それが記事の成長といえるわけではないし、やはり内容をもって判断すべきでしょう。--Tamago915 2008年11月28日 (金) 14:19 (UTC) ◆究極的にはcproさんも仰っておられる前例のようにサブスタブ記事濫造の助長になるかもしれませんよね。全部項目が埋まっていなければ投稿出来ない、とかチェックシートのチェックが○個以下だと注意文が表示、とか(技術的に可能なのかどうか判りかねますけれども)そういった投稿処理終了前のチェックが可能ならば、とは思いますが、そうでなく単にひな形が成型されるだけのものでしたら意味が判らなければ取り敢えず投稿してしまう、それで記事が1つ出来てしまえばあとはそれを利用して濫造を続ける、といった予測も立てられてしまいますが。名前空間に投稿は出来ないがサンドボックスで投稿練習が出来る、とかそういう使用法に限定するなら、とも思いますがこちらもコピペ投稿の危険が大きいわけですし「初心者の新規投稿用」という使い方はデメリットの方が大きいのではないでしょうか。 ある程度慣れた投稿者がプロジェクトごとに定められたInfoboxや項目名・記事全体のレイアウトも含む定型書式に沿った形での立項を行えるようなものでしたら有用性があるかもしれないな、とは思います。--凪海(Nami) (会話 / 投稿記録) 2008年11月28日 (金) 00:26 (UTC) 私は最初にゆきちさんのご提案を見たときに、Wikipedia:削除依頼/赤星隆幸を思い出しました。全く体裁を整えていないが一定の特筆性がある記事が新規作成された場合に、sd対象とすべきかどうかという問題です。記事の基本的なフォーマットも分からず投稿する人への便宜を図る意図と受け止めました。Tamago915さんが危惧されているように本末転倒な考え方を惹起する可能性もありますが、少なくとも定義なしなどのsdは減るのかなと思いました。しかしながら、過去に試みられた結果弊害が多くて取りやめられている現状だったわけですが。--ろう(Law soma) D C 2008年11月28日 (金) 05:40 (UTC) >全く体裁を整えていないが一定の特筆性がある記事が新規作成された場合に、sd対象とすべきかどうかという問題 この問題の解は自明で、特筆性があるのだから、即時削除対象にはなり得ません。指摘の削除依頼は、依頼者が特筆性を判断できなかったことによるものだという認識です。 特筆性の有無を記事の記述のみから判断するか、対象そのものから判断するかは、きちんと考えておかなければならないでしょう。記事のみから判断するのがこれまでの主流だったのですが、果たしてそれでよいのかどうか。即時削除テンプレートを付けるのは簡単ですが、もう一手間かけて、その記事がなぜ書かれたのか、加筆できないかを考えてほしいな、と思います。--Tamago915 2008年11月28日 (金) 14:19 (UTC) メインページの姉妹プロジェクトのリンクから各プロジェクトへ飛ばずに、ウィキペディア内の記事に飛ぶようになっているのですが、何らかの方針が変更になったのでしょうか? --ひゃくまんこのしあわせ 2008年11月27日 (木) 19:25 (UTC+9) 履歴を見ると越中掾(会話 / 履歴)さんが画像から各プロジェクトにリンクできるようにしてタイトルは各記事にリンクするようにしたみたいですね。分かりづらいので修正してみました。キャッシュが効いている場合、暫く表示されないかも。文面はもっといいのがあれば修正してください。 --Mzm5zbC3 2008年11月27日 (木) 12:20 (UTC) 同じく使い勝手が悪かったので、プロジェクト名の文字をクリックしたら各プロジェクトへ飛ぶように戻しました。--屏風に坊主が上手にジョーズの絵を描いた 2008年11月28日 (金) 00:38 (UTC) Template:人物に削除依頼がかけられたためにTemplate:人物を利用している記事全てに削除手続き中の表示が出ていて勘違いをしてしまいます。良い修正方法はないのでしょうか? --Lightslateblue 2008年11月27日 (木) 12:34 (UTC) その後迅速に特定版削除されて何があったのかわからない状態になってしまったようですね。以後、編集の際の参考にさせて頂きます、情報ありがとうございました。--Lightslateblue 2008年11月27日 (木) 12:51 (UTC) 今年は、やけに大々的にWikimedia財団が寄付を募っていますが、皆さんは、「寄付者からのコメント」をご覧になって、不思議に思ったところはないでしょうか。 Wikipediaに対する、大勢の人の感謝や激励の気持ちが伝わってくる気がして、なんだかいい気持ちになります。 それに他国の寄付者は、半数程度の方が名前を公開しているというのに、ちょっと見た限りでは、日本人は誰ひとりとして、自分の名前を公表しようとさえしていません。 でも多くの方は、しばらく眺めているうちに、それは日本人特有の慎ましい美徳による事情ではなく、単に、日本人の氏名は記載されないだけだと、気付いたと思います。 「寄付者からのコメント」には、「寄付をしてあなたの名前をリストに加えましょう!」とキャッチが掲げられ、寄付金を集めるフォームにも、寄付者のリストへの氏名の公表をたずねられます。 「寄付をしてあなたの名前をリストに加えましょう!」と煽っていれば、当然それを楽しみに、寄付する人もいるでしょう。 「寄付者からのコメント」を数ページ見れば、すぐに気付けることですが、目も通していないかもしれません。 PayPalに登録した日本語の氏名が、取得できないせいかもしれませんし、そうではないかもしれません。 嫌味な書き方をしましたが、実際そうだと思うんです。?以上の署名の無いコメントは、123.224.247.51(会話/whois)さんが[2008年11月27日 (木) 22:37]に投稿したものです(かげろんによる付記)。 初めての方ですね。赤い羽根は共同募金会です。メッセージに載せる名前は実名でなくてもいいのですよ。日本以外の方のメッセージも実名とは限らない場合もありますし。--hyolee2/H.L.LEE 2008年11月28日 (金) 00:18 (UTC) 寄付金に関して所得税の控除を受けようとする場合は、実名である必要があるのでは。--Balmung0731 2008年11月28日 (金) 00:47 (UTC) 所得税の寄付控除の対象は認定の条件があるので該当しないと考えます。(現在は該当しないし、どちらにしても国税局へ領収書記提出が必要でその名義が問題になります)また、非公開にしてもウィキメディア財団から礼状e-mailは返信されるのでちゃんと財団は個々の匿名は把握しています。--あら金 2008年11月28日 (金) 03:00 (UTC) ウィキペディアは国際的なプロジェクトです。日本語の名前が表示されないだけで、日本人だけ不平等に扱われていると考えるのはいささか論理が飛躍しすぎじゃないかと。それを言ったら、中国人の名前も、南北朝鮮人の名前も表示されないでしょうし。中国の方はアルファベットで署名されているようですよ。ほとんど日本にしか話者がいない日本語で書いたところで日本人にしか読めません。日本人にさえ読めればいい、という発想なのであれば、それこそ日本人と日本語以外を不平等に扱っているとは言えませんか。同じように漢字を使っている中国と朝鮮については一切言及ありませんでしたし。問題は、「漢字が表示されない」という技術的な問題であって、日本人を排他しようとしているという問題ではないのでは。改善案も「漢字は表示されませんので、署名はアルファベットでお願いします」と書き加えるのをお願いすればいいことではないでしょうか。 私も寄付をしたことがありますが、その時は「どうせなら、行ったこともない外国の人も自分の名前やコメントを読めたほうが気分がいいに違いない!」と考えてアルファベット(ローマ字)で名前を書いて、コメントもできるだけ平易な英語で書きました。日本語を併記するという方法もあるはずです。繰り返しますが、ウィキペディアは国際的なプロジェクトです。日本人に配慮をせよ、と言う前にご自身が国際化してみてはいかがでしょう? 今回の件では、思ったように自分の名前が表示されず、善意の出鼻を挫かれたような不愉快な思いをされたことについては残念に思います。しかし、あなたの寄付のおかげで、来年もウィキペディアは存続していられることを単純に喜んでほしいと思いますし、私からも感謝申し上げます。--Balmung0731 2008年11月28日 (金) 00:47 (UTC) ご指摘があった通り、ウィキペディアは国際的なプロジェクトですが、ウィキペディアを利用している多くの日本人は、国際人ではありませんし、国際化してみるつもりさえもない、ごく一般の方々です。 私自身は、たまたま英語の読み書きができますが、日本語のウィキペディアを利用されている多くの方は違います。 ウィキペディアに日本語版がある意義も、そういったごく一般的な日本人が、広く利用できることにあると考えられます。 また、「国際化」という言葉を目にする際、ときどき「英語を使うこと」という意味で使われている例を見かけますが、言語のグローバルスタンダード化だけが、国際化ではないと考えられます。 ウィキペディアに感謝の意を表して、寄付を行った過半数の日本人は、日本語でコメントを残されていますが、彼らのほとんどは、日本語版の利用者と想像できます。 それに大多数の方は、「行ったこともない外国の人に自分の名前やコメントを読んでもらいたい」とは考えているわけではないことも、彼らのコメントの内容から感じることができます。 私はむしろ、「寄付者の氏名やコメントを英語で記入しないこと」をもって、「○○人にさえ読めればいい」「○○人と○○語以外を不平等に扱っている」とされることのほうが、論理の飛躍と感じますがいかがでしょう。 ここで焦点を当ててみたいのは、「寄付者からのコメント」を見ただけで、どの国の方のメッセージかがわかるほど、見識の広い、少数の方の見解ではありません。 クリエイティブに関与しない多くの日本人にとって、「2バイト圏」という概念はなじみのないものであり、一部の方からは、「善意で金銭を寄付しても、日本人だけは、名前が出ない。」と誤解されても仕方がないと思います。 「日本人とガイジンの差」という安直な印象をもつ寄付者の割合が、実際にどれくらいかは、わかりませんが、その安直で誤った印象を責めることは、主旨とは別の事柄です。 事実、寄付者のコメントの多くは、ウィキペディアの制作チームに宛てたもので、寄付者同士に語られた内容ではありません。 もし、「すべての寄付者は匿名」とされていれば、即ち「すべての寄付者は平等」であり、疑問も議論も生じなかったと思います。 また今回の場合、その実行が、寄付者が直接的に受け取ることができる、唯一のフィードバックでもあります。 しかも、「寄付をしてあなたの名前をリストに加えましょう!」というコピーは、一般的に見て、赤い羽根と同じ効果を狙ったものとしか受け取ることはできません。 改善案についてですが、「漢字は表示されませんので、署名はアルファベットでお願いします」という注釈は、さらに誤解を生むでしょう。 初めての寄付で、他国の方へ名前を知らせる目的で、アルファベット(ローマ字)で署名された方は、そもそもシステムを熟知された関係者の方に限られるはずです。 寄付金を募るシステムに、氏名を入れるフォームは存在せず、氏名は暗黙のうちにPayPalアカウントが参照されています。 ウィキペディアほどユーザビリティーに配慮されたコンテンツを制作するチームが、金銭を求めるフォームで、その説明をわかりやすく明記していないのは、不都合が多いためだと受け取られても仕方がありません。 また、「署名はアルファベットでお願いします」とは、即ちPayPalアカウントの英語表記での取得を意味します。 では、「PayPalアカウントの取得は、英語表記でお願いします」と書くことが、本当に適当なのでしょうか。 昨年の日付の井戸端に、「日本人にとっては、PayPalアカウントの取得そのものがハードルである」という議論がありますが、eBay IR資料のアクティブアカウント数に対する、日本円決済の比率をみる限り、その提言は間違ではありません。 現状では、Bill Me Laterや、PayPalといった送金方法そのものが、一般的な日本人にとって障壁といえそうですが、そのアカウントを英語表記で取得させると、さらに障壁を厚くします。 また、既に別の用途でアカウントを取得済みの場合は、別件の用途が、英語表記では不都合な場合もあるわけです。 今回の提議が、「思ったように自分の名前が表示されず、善意の出鼻を挫かれたような不愉快な思いをしたことについて」ではないことは、既にお察しいただけたものと想像します。 公衆の利益に、多くの方が寄与する姿に触れ、心が洗われたというのも、動機のひとつになっていると思います。 寄付を勧めた友人の指摘で、氏名非表示を知りましたが、はじめはシステム上のやむを得ない事情や、入力フォームのローカライズの遅延によるものと理解していました。 その後、氏名を注視するようになりましたが、長い期間放置されているのを見て、どこかで提議すべきと思いました。 ウィキペディアを閲覧するたびに、来年もウィキペディアが存続していられるだけでは、単純に喜べない気持ちです。 ウィキペディアが、そういったことに目を向けられる、良識ある人々によって運用されていることを信じます。 おっしゃりたいことは、システムの不具合のお話なのでしょうか? まあ、気づいておきながら放置した僕も僕ですが。本来は、ここよりも、財団の方とお話しする方がいいんですけどね。--ゆきち 2008年11月29日 (土) 06:33 (UTC) 容認された仕様なのか、システムの不具合なのか、それは逆に私から問う形で、提議させて頂いているはずだと思います。 初期に意見されたBalmung0731さんの見解が、「不具合はなく寄付者の側の問題」「寄付で来年存続できれば満足のはず」という意見となっておりましたので、前投稿では、より理解し易いレベルに噛み砕いて、問題点を指摘させて頂きました。 しかし、氏名入力フォームがないことは、実装より前に、ローカライズの要件定義の段階で、把握できていたはずです。 「寄付はリストに氏名を記載する対価ではない」という問題を軽視した見方は、寄付者の不支持に繋がりかねません。 私個人の見解では、入力フォームに下記内容の注釈文を足せば、システムはそのままでも、問題はないと思います。 私の場合、事後になって「ああ、そうなるんだよ。」と言うのが嫌なので、ノーフォローでは他人に勧められず、いちいち不具合のケーススタディを解説するのが、とても嫌なのです。 日本語サイトの事情は、日本語版の管理者を通す形で、財団の方に話したいと思いますが、どういった手順を踏めばよいでしょうか。 えっと、「日本語サイトの事情は、日本語版の管理者を通す形で」とのことですが、管理者はそのウィキを管理してる人でも、ましてや代表者でもなんでもないので、そういう考えはちょっと不適切かな・・・と思います。寄付については、たとえばメタのmeta:Fundraising 2008で話し合われてるので、そちらに投げてみてはいかがでしょうか。あるいは、英語力に不安なのでしたら、知り合いの英語が出来る方に翻訳を頼むとか、頼れるウィキペディアンがおられるのでしたらその人を通じて対話するのもいいでしょう。できればメタの事情に詳しい方がいいかもしれませんが、jawpではそういう方は決して多くないので難しいかもしれません。どちらにしても、寄付自体はjawpに限った話ではなくウィキメディアプロジェクト全部の話ですから、jawpで寄付のことをうにゃらうにゃら言ってもそれだけで実際にウィキメディア財団に通じることはほとんどないと思います(このメッセージが誰かの目に留まって・・・ということはあるかもしれませんが)。私が補助することが出来ればよいのですが、そもそもメタにあんまり詳しくないですし、別件で手一杯なので・・・。基本的にウィキメディアプロジェクトは「何かしたいなら自分でやれ!」という姿勢が強いので、私からは「頑張ってください!」とだけ申し上げておきます。--青子守歌(会話/履歴) 2008年11月29日 (土) 12:24 (UTC) 管理者はそのウィキを管理してる人でも、ましてや代表者でもなんでもない、とのことですが、前投稿で私が「日本語版の管理者」と書いたのは、ウィキペディアにも、一般的なWikiやBBSの管理者に相当する人物がいるものと勘違いして書いたものですが、ウィキペディア日本語版には、ビューロクラットと呼ばれる方も含めて、一般的なサイトの管理者相当の役柄の方は、いないわけですね。 事情の理解ができたので、meta:Fundraising 2008に提議したいと思いますが、ネイティブな方々と、込み入った議論が展開できるほどの英語力はありませんので、それについては、頼れる知人の都合がつき次第としたいと思います。 例えば、上記事情やむなしとすると、仮に寄付金のフォームがハッキングされ、「抽選でハワイ旅行が当たります」などの追記がされても、日本語版の管理者は、頼りにできないわけですね。 実際のところ、管理者にどこまでの権限があるのか知りませんが、一般のユーザーから見ると、「日本語版の管理者は、記事の校正には意欲的だが、寄付金フォームの校正には興味がない。」と思われそうで微妙です。 Wikipediaをはじめたときは、「これは誰に聞けばいいんだろう」とわからなくて戸惑いがあったのですが、問題を提起してみると同時に、自分で解決策を提示していかないと前に進まないようです。ボクが見ている範囲では、皆さん専門のプロジェクトを立ち上げたり自ら具体的な改善策、解決策を提案したりしているようです。わからないことは調べて、それでもわからなければ専門的な人に頼むのがいいんじゃないでしょうか? あまりお役に立てなくてすいません。--水と土 2008年11月29日 (土) 14:17 (UTC) 追記です。ご存知だと思いますが、寄付のページの最後のところに「ウィキメディア財団への質問、意見は: donate@wikimedia.org。」と書いてあるので、まずは、こちらに問い合わせてみるのがいいんじゃないでしょうか?--水と土 2008年11月29日 (土) 15:00 (UTC) ウィキペディアの運用については、何かと気軽にはいかないところが多そうですね。一度にいろいろな方と応対することは難しいので、ウィキメディア財団への質問、意見については、今後を見守った後の手順にしたいと思います。井戸端を使用して、専門の方を含めた各位に問題を提起し、自分なりに解決策の提案をしたつもりでしたが、うまく伝わっていなかったらすみません。皆さんにいろいろ教えていただけてよかったと思っています。--118.8.144.42 2008年11月30日 (日) 09:48 (UTC) 「ウィキメディアをご支援ください!画面で日本語(全角文字)コメントを入れ、「私の氏名」はクレジットカードで登録したや寄付の際に記入した日本語の氏名の公開文字が文字化けするとの事ですか。この画面の先の画面も含めて。この節の上記の長い書き込みは判りにくく、どこをどうして欲しいのか要望点を具体的に書いて下さい。日本語の他全角文字言語もありますが、書式の変更は無理でしょう。あくまで文字化け問題ですか? ウィキメディア財団への質問、意見はdonate@wikimedia.orgへの要望や話は此所では公開しませんが、メール交信しても良いですよ。何しろWikipediaは寄付で成り立っていますから気持ちよく寄付したいもの。当方はなけなしで少額を匿名でやってますが。要望点が集約されたら動いてみましょう。2週間内程度でまとめてください。(出来れば井戸端の一節から分割して下さい)--Namazu-tron 2008年11月30日 (日) 02:39 (UTC)抹消。--Namazu-tron 2008年11月30日 (日) 11:27 (UTC) 1. Wikipedia日本語版は、「ウィキメディアをご支援ください!」画面に、「私の氏名」を記入する場所がない。 Wikipedia日本語版の「ウィキメディアをご支援ください!」画面に、「私の氏名」を記入する場所をつくる。 違います。「マルチバイトの処理をしっかりやってください」と伝えるだけです。なんでわざわざ利用者がシステムの仕様に合わせなければいけないのですか。--ゆきち 2008年11月30日 (日) 09:10 (UTC) DBには、正しく氏名が記録されているという認識でよろしいでしょうか。であれば「マルチバイトの処理をしっかりやってください」という内容でもよさそうです。 Namazu-tronが言われている、「日本語の他全角文字言語もありますが、書式の変更は無理でしょう。」という部分の「書式」とは、寄付者リスト用のテンプレ書式のことを指していると思いますが、こちらからわかることは、不具合の現象だけで、その不具合が、テンプレ書式の指定によるものか、テンプレの置換処理のバグか、置換以前の氏名取得のバグなのか、それとも、そもそも本当に文字化けが原因なのかさえ、判断がつきません。 利用者がシステムの仕様に合わせなくてもよいシステムへの修正が容易な状況であることを期待しますが。 --118.8.144.42 2008年11月30日 (日) 10:44 (UTC) Aotakeさんの上記報告のwikitech-lで進行中ですから当方は引っ込みましょう。要は氏名が???に化ける事でした。また、所得税の寄付控除に関しては先々問題があれば、全く振り出しから井戸端などで話題提出から出直すことでしょう。寄付控除は日本国内法の把握や事前調査も要します。--Namazu-tron 2008年11月30日 (日) 11:04 (UTC) カテゴリーツリー内のページの一覧を更新順に出す、というような機能やツールはあるでしょうか? 何月何日時点のダンプから生成、というような形でもいいのですが、数ヶ月分さかのぼって見られるようなものを希望しています。 質問の背景は、Portal:デザインの「新着項目」の更新に抜けがありそうだったので補充しようと思ったことからです。一年ほど空白期間があったので、その間に作られた関連記事を探そうとしたのですが、該当する効率のよい方法が思いつきませんでした。期間が長いので、特別:新しいページを使ってたどるのは難しいと感じます。関連するカテゴリのリンク先の更新状況(特別:リンク先の更新状況/Category:デザインなど)だと、あまり古い更新状況が見られないようです。 そこで、カテゴリーツリーをたどって得た一覧を更新順に表示してくれる機能があったら便利だと思ったので、質問させていただきました。そのような機能がなければ、代わりに使えるよい方法があったら教えてください。よろしくお願いします。--whym /?h?m/ 2008年11月29日 (土) 09:27 (UTC) 以前教えていただいた(差分)のは、Cat Scanという方法ですが、最大1週間まででなので、今回の目的には使うには有効期間が短そうです。もしより長期間の有効期間を対象とする方法があれば、私も知りたいところです。--NISYAN 2008年11月30日 (日) 10:59 (UTC) 東京の電車で、つぎ、こんど、そのつぎと表示されるようです。こういう表示は私にはまったく意味不明ですが、鉄道の記事などにはありません。表記する方法や場所はないでしょうか?JRや他の地方で混乱した記憶がないので、東京の私鉄電車独特のものではないでしょうか。関西では先発、次発、次々発、です。なお、関西で「こんど」というのは、「また、こんど」等とことわる時の言葉で、「列車は来ない」という意味になります。--T34-76 2008年11月30日 (日) 13:37 (UTC) 正確にはこんど、つぎ、そのつぎの順です。「次、来んど」という順番にはならないのでご安心ください。--Himetv 2008年11月30日 (日) 14:01 (UTC)-追記。国鉄時代の常磐線も「こんど、つぎ、そのつぎ」表示でした。私鉄限定ではありません。--Himetv 2008年11月30日 (日) 14:10 (UTC) 漢字で書けば(思い浮かべれば)、「今度・次・その次」と明確で、混乱することはありません。ご参考まで。--ととりん 2008年11月30日 (日) 14:28 (UTC) たしかに、関東の鉄道の表示は不思議ですね。「こんど」と「つぎ」の順番は自明なものとはおもえませんから、なにか理由があっていつかだれかがこう決めたのでしょう。なぜ地域によって違いがでてきたのかを調べてみれば、それだけでひとつの記事が書けるかもしれませんよ。 --Hatukanezumi 2008年11月30日 (日) 14:32 (UTC)
[ ジャパネットたかたcm ソング の 井戸端参考サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/Villagepump-url
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