ジャパネットたかたcm ソング
ジャパネットたかたcm ソング 感じ
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ジャパネットたかた cm ソング ダウンタウンのごっつええ感じ - Wikipediaとは? |
『ダウンタウンのごっつええ感じ』(だうんたうんのごっつええかんじ、英字:Gottsu "A" Kanji)とは、フジテレビ系列で1991年12月8日から1997年11月2日までにかけて放送されていたバラエティ番組である。日本バラエティ史に残る数々のコントを生み出し、現在でも語り継がれている番組である。放送時刻は毎週日曜日の20:00 - 20:54(JST)。通称『ごっつええ感じ』、『ごっつ』。 1991年正月放送の『ダウンタウンのごっつええ感じ マジでマジでアカンめっちゃ腹痛い』、さらにゴールデンタイムに進出し『火曜ワイドスペシャル』の枠で行われた2度のトライアル放送が好評を博し1991年12月8日にレギュラー番組としてスタートした。 ダウンタウンの冠番組であり、彼らにとっては『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)と並ぶ最も代表的な出演番組である。また、今田耕司、東野幸治、130R(ほんこん・板尾創路)、YOU、篠原涼子といったレギュラー出演者にとっても、一躍その名を全国区に知らしめた番組となった。1990年代の日本のテレビバラエティ番組において最も大きな足跡を残した番組の一つとして人々の記憶にその名を留めている。 シュールかつ過激な内容のロケ企画やコントが多いことから、「親が子に見せたくない番組」の上位にランクインし低俗と批判されていた。これに関し松本は、「別にね、『子どもが見たい番組』の上位になってるわけじゃないでしょ? もしそうやったら問題かも知れんけど。親も見せたくないし、子どももそんなに興味を持っていないんですよ。ならいいじゃないですか!」と語り、逆に批判している。 ちなみに、松本のみの出演で『一人ごっつ』→『新・一人ごっつ』→『松ごっつ』が兄弟番組として深夜帯に放送されていた。 尚、司会のダウンタウンの2人はこの番組の終了以降、松本がごっつ終了直後同局深夜で再開された『新・一人ごっつ』でコントを続けていた以外は、ダウンタウンとしてのコントは原則として行っていない。例外としてビデオ『VISUALBUM』と後に放送されたこの番組のスペシャル『ものごっつええ感じスペシャル』でコントを行った。 先述のスペシャル版が好評を得たことにより、「火ワイ」時のメンバーだった今田、YOU、西端、ヒロ、ユニコーンの2人に加え吉本の若手お笑いコンビ・130R、東京パフォーマンドールの篠原、姉妹番組の「夢で逢えたら」から伊藤、そして爆風スランプのサンプラザ・パッパラー、松雪といった陣営でレギュラー番組としてのごっつええ感じはスタートした。しかし当初はまだ方向性が定まっておらず、「火ワイ」時代のコーナーや単発企画でその場を凌いだ。年明けには「ハマダ芸能社」「なんなんなあに何太郎君」「ラブラブファイヤー」などのレギュラーコーナーがスタート。番組のフォーマットが確立された。その年の春にはミラクルエースやオジンガーZなどの人気キャラクターも登場し、番組の人気は過熱していった。 この時期、番組構成に変化が起こる。まず「ラブラブファイヤー」「ミラクルエース」など初期の番組の土台を支えたコントが相次いで終了、さらにレギュラーメンバー全員が参加するシチュエーションコントシリーズも終了、さらに「夢で逢えたら」の路線を引きずってたオープニング枠も撤廃、娯楽中心からダウンタウン主導によるお笑い番組へと方向転換した。後続の「木瓜の花」「カスタムひかる」も長寿コーナーにはなれず半年で終了。これらのコーナーに代わって緊急企画がメインとなり過激な要素が濃厚となった。そして翌94年には板尾が後述の騒動で番組を去り、西端も産休のため一時降板(本人は必ず帰ってくると言及したものの、結局番組に帰ってくることはなかった)。ダウンタウン+今田、蔵野、YOU、篠原という少人数体勢での番組進行を余儀なくされる。この時期には「きょうふのキョーちゃん」というアニメコーナーが登場したが、その放送コードすれすれの過激描写は番組のイメージ低下に拍車をかけた。そしてこの年の秋には「火ワイ」版のメンバーだった東野を迎え、さらにその翌年、板尾が復帰したことにより番組は、独自の方向性を模索していくことになる。 前年から頻発化した過激かつ低俗な要素がさらに濃厚となり、番組内容はオープニングのスポーツ系アトラクションコーナー「THE TEAM FIGHT」にはじまり、コントでは「Mr.BATER」、「世紀末戦隊ゴレンジャイ」、「キャシィ塚本」シリーズ、「こづれ狼」、「やすしくん」、「産卵」、「みすずちゃん」、「殺人事件」シリーズ、「放課後電磁波クラブ」など番組を代表するヒット作をどんどん生み出していく。それに伴うように視聴率もうなぎ昇りで、この年は平均視聴率18.9%とかなり高い数字で推移しており、番組はいわゆる「絶頂期」へと突入する。復帰した板尾を加えた男性メンバーのみで開始した「ボケましょう」もロケ企画としては久々のシリーズものとなり、このコーナーは板尾の独擅場であった。 前年から続いていた人気コントシリーズが'95年秋〜'96年中盤あたりで軒並み終了。それに伴い新たに始まったシリーズコントは「たとえ警視」、「とみよしさん」、「サニーさん」、「香川さん」、「BOKE BOKE ヒノックン」、「龍としのぶ」など特定の人物をモデルにしたものや、内輪ウケ、楽屋オチ、芸能ネタなどがコントの内容のほとんどを占めるものとなってしまった。それに加えて初見の人には世界観などが理解しがたい玄人向けのコントが量産された。中期以降の人気コーナーであった「ザ・対決」シリーズも終了し、「オジャパメン」、「マウヤケソ」などの歌もの、「草野球王」や「ビチクメーナーコンテスト」、「頭突きコンテスト」とこの頃は芸人やタレントが単発ゲストとして出演する回数が頻繁にあり、ダウンタウンの番組私物化が進んでいった傾向にある。そんな中、年明け早々後述の松本収録ボイコット事件が起こり、急遽5周年突破企画として「公式ガイドブック」と称した総集編が4週にわたり放送。そして同年春には、YOU、篠原が降板。男性メンバーのみでの体制となる。 番組の土台であったコント枠が撤廃となり、番組内容は「藤岡弘と遊ぼう」、「ごっつええレギュラースカウトキャラバン」、「山田花子愛の告白めっちゃ好きやねん」などのロケ企画で押し通した。7月からのオープニング・エンディングに突如登場した「エキセントリック少年ボウイ」がCDオリコン初登場5位を記録し、ライブイベントまで行われるほどの人気を確保したものの、皮肉にもそのイベントが番組打ち切りへの引き金となってしまった。後述のプロ野球中継の差し替え事件によって、松本とフジの関係が悪化。(松本本人は、「フジに恨みはない」としており、他番組の変動はなかった。)フジテレビの出演全番組の収録ボイコットを経て、手打ちとして「ごっつ」の打ち切りが決定。ダウンタウン不在のまま急遽作られた2週にわたるコントの傑作選を最後に、惜しまれつつ番組は6年の歴史に終止符を打った。 東野幸治(1994年10月〜) - 東野はレギュラー放送前の「火曜ワイドスペシャル」には出演していたが、レギュラー放送開始では130Rに変更となった。理由は、浜田から「東野は協調性がないからアカン」の一言があった為。レギュラー復帰は板尾の降板によるテコ入れがきっかけだが、最終的に板尾が復帰し、女性陣が降板することにより、「黄金メンバー」と言える布陣が完成した。 山田花子(1992年10月〜1993年3月) - プロレスラーに転身するため卒業(その後芸能界復帰、末期の西川貴教とのお見合い企画に出演)。 ※1997年3月のYOUと篠原卒業から番組終了までの間は男性のみとなり、華はないがよりダウンタウンの意向が反映される内容になった。同時にコントが激減し、ロケ企画がメインになった。 初期のコーナー「なんなんなあに何太郎君」で、「車のエアバッグは本当に出るの?」というのを確かめる回で、スタッフがエアバッグの威力を事前に確認するのを怠り、爆発するエアバッグを顔面に受けた松本が、顔面に全治一週間のケガを負ってしまう事故が発生した。撮りだめがなかったため、次回放送は急遽、番組史上最初で最後の生放送となったが、レギュラーコーナーは全て予定通りこなした。森口博子やウッチャンナンチャンがゲスト出演したほか、オープニング曲を歌っていたすかんちも出演、スタジオでオープニング曲を歌った。当時、療養中の松本の自宅に見舞した作家・高須によると、顔中カサブタだらけで腫れ上がっており、しかも何太郎君のメイクも残っていて凄まじい顔だったが、それを態度に出すまいと平静を保ったという。事故直後、病院に向かう際にスタッフに松本は「ここまでやってんからできる範囲でオンエアしてや」と言ったという。次の回の「何太郎君」では、登場のときに車のステアリングを持たされ「まだちょっと怖いんじゃ!」と激怒した、当時スケジュール多忙で休みが取れる機会が少なかったダウンタウンであった為、お兄さん(浜田)が「ゆっくりできたじゃないか」と言うと「あんなメイクも取られへん休みいらんわ!」と返していた。 初期の連続コント「ご存知!ハマダ芸能社物語」に続いて新コント「嗚呼!花の番頭さん物語」が始まった。潰れそうな温泉旅館が舞台で、そこの熱血若手社員が板尾、ぼっちゃんが今田、番頭が蔵野、前シリーズからそのままのキャラがスライドした「人生・幸子」の松本とYOU(お笑いをやめて、流れてきて板前をしているという設定)、そして旅館再建のために取引銀行から送り込まれてきたのが浜田など、お約束的な配置で旅館を建て直していく、というのが話の軸。しかし、その浜田が属する銀行の名前を実在する『なにわ銀行』と名前を無断で使用し、なおかつドラマの中で相当な悪役として描かれた(「ケチ銀」などと言われる)為、銀行側から猛クレームが来て、このコーナーは1回っきりで終わってしまう。次週の放送ではなにわ銀行に対する謝罪のテロップが入った。 板尾が、自称18歳だという女性を自宅に招いてお年玉をあげたら、実は14歳だったという事が淫行とみなされて、しばらく謹慎期間になり(吉本側は当初解雇する方針だったが、松本らの働きかけにより撤回され、無期限謹慎処分に切り替えられた)1994年5月からごっつを降板した。しばらくそのまま続けていたが、「ごっつええ感じあかんめっちゃ腹痛いマジでマジで」に出演していた東野幸治が1994年10月からレギュラー入り。謹慎期間後、普通ならほとぼりが冷めても復帰は絶望的な状況だが、松本のバックアップで1995年1月からカムバックを果たす。復帰第一弾のコントで板尾は篠原に「お前も半年休め!」というツッコミを繰り出した。 スタジオの準備が遅れてることに怒った浜田が、楽屋のロッカーを思いっきり蹴ったところ、右足を剥離骨折してしまった。以後しばらくはギプス姿で出演していた。松本はなんで怒ってるのかわからず、数年ぶりに電話で浜田と話したらしい。 1996年の春の2時間スペシャルの「THE TEAM FIGHT」で以前「HEY!HEY!HEY!」で「チームファイト」に出たいと要望があったザ・ハイロウズと梶原善がゲスト出演し、「ハイロウズ」チームと「ごっつ」チームに対戦。ドッジボール対決(双方の壁後ろに何台ものピッチングマシンが仕掛けられ、どこから飛んでくるかわからない)を行い、1勝1敗のまま最終対決で7人-7人に合わせる為に松本が「ハイロウズ」チームに移行した、ゲーム終盤に当時ハイロウズのメンバーだった白井幹夫の顔面に当たり、大切なサングラスが壊れるハプニングが起きる。その後、白井はボール代わりに使ったベッドを用意し途中退場となった。 1997年春頃にゲームコーナーのセットが、指示したとおりの物ができていなかったという理由で、ちゃんとできるようになるまでと松本がコントの収録をボイコットし、浜田も同調した。浜田は松本と相談したわけではないが、人伝に話を聞いて、「松本には絶対折れるなって言うといてくれ」とマネージャーに言ったという。理由は、松本はなんだかんだ言って優しいので、きっと謝られると折れてしまうだろう、それではいけないと思ったため。その間、番組は4週に渡って過去の傑作選でしのいだ。スタッフに対して積もり積もった不満が二人ともあったらしく、この事件で爆発した形。スタッフへの不信はさらに高まり、後々突然の打ち切り劇(後述)につながる。 初回視聴率は18.2%とバラエティ番組の中では健闘していた。これはダウンタウンが解答者として出演していた『ごっつ』開始前の番組『世界の常識・非常識!』が好調なうちに終了したこととスペシャル版も高い人気を得ていたことからこの結果となった。 平均視聴率は15.8%、最高視聴率は1995年11月12日に記録された24.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。『ごっつ』が放送されていた時間帯にはNHK総合で『大河ドラマ』、日本テレビでビートたけしメインの『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』が放送されており、いずれも高い人気を誇っていたが『元気が出るテレビ』は1994年8月、たけしの事故により番組に影響が生じてしまい翌年の1995年10月にリニューアルするも人気が伸び悩み1996年10月に終了となった。 特に1995年は平均視聴率も18.9%と最も高く、この年のフジテレビのバラエティ番組トップに登りつめた。 しかし、晩年の視聴率は『大河ドラマ』の『八代将軍吉宗』(1995年)、『秀吉』(1996年)が次第に視聴率を上げていく一方で、上記のような「低俗」と言われた内容や事件がきっかけとなり、徐々に低下の一途を辿るようになる。 一夜限りの復活となった『ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル』の視聴率はこの日同時間帯のワーストである9.0%となった。 改編期でもない1997年11月2日という時期に番組が終了したのは、同年9月下旬にスペシャルが放送される予定だったが、放送される前日土曜日にプロ野球・ヤクルトスワローズが優勝までのマジックナンバー「1」になり、フジテレビ側は急遽、日曜日に放送予定だったスペシャルを翌週に変更しセ・リーグ優勝決定試合に差し替えられた、しかしその変更の連絡すらなかった事に松本側が激怒したからと伝えられている。松本が「スペシャルの放送を翌週に放送変更、プロ野球中継に差し替えられる」事を知ったのは当日・日曜日の昼過ぎで、松本はフジテレビ編成局へ連絡し当初の予定通りに"スペシャル"の放送を要望したが、フジテレビ側は聞き入れずセ・リーグ優勝決定試合を放送した。 フジテレビの属するフジサンケイグループは、ヤクルトスワローズの株を持ち経営にも関与している提携会社であり、スワローズ優勝を放送することはグループの一員として当然であり、視聴率目的だけではなく、フジテレビとして責務であったという事情がある。このため、同様にヤクルト戦の中継権を持っていたテレビ朝日への譲渡も行わなかった。もっとも、フジテレビの場合、対横浜戦のカードや対阪神戦カード等は、ごくまれに週末にデーゲームを地方開催時を中心に中継する程度で、ゴールデンタイムのナイター全国中継では一切放送せず、巨人戦だけ放送していた為(尤も、1990年代初期まではフジテレビ・TBSもごく稀に巨人戦裏カードの西武主催のナイターを延長無しで全国放送していた他、2001年まではテレビ朝日が巨人戦裏カードの西武・ヤクルト主催ゲームを延長無しで相当数全国放送していたが)、松本も当時から「巨人戦だけじゃなく、横浜戦やヤクルト戦の放送もやった方がいいんじゃないか」と普段から思っており、巨人戦を中心に全国放送する在京キー局のプロ野球中継体質には当時からいらだちを持っていた。 その時の松本の言動を聞いた当時の吉本興業の社長だった中邨秀雄は、松本を呼び出し大説教を行ったという。 松本はこの件でプロ野球関係者からも批判を受け、豊田泰光からは週刊ベースボールのコラムで名前こそ出さないものの「野球関係者に対する侮辱ですよ」と書かれた。 一方で大沢啓二は、野球好きである萩本欽一が「野球中継への差し替えは当然のこと、松本のような行動をとったら笑われる」とコメントしたことを受け、自分の仕事にプライドを持つ松本の姿勢を高く評価していた。 また、打ち切り直前の1997年4月にロケ企画がメインになってから、視聴率は10%前後と低迷しており、改編期を待ってからの打ち切りでは、ダウンタウンのプライドが許さなかったのではないかという説もある。前述の「松本ボイコット事件」は、スタッフに対して積もり積もった不満が一気に爆発した形となる。 更に、番組打ち切りの原因として挙げられるのが、番組そのものの内容である。「一歩間違うといじめや差別の促進になりかねない」「下品・過激な言動、セクハラ的行為が見られる」「ダウンタウンだけが特別扱いされ、他のレギュラーが不当に扱われている」など「低俗番組」として批判が非常に多かったという事実があり、フジテレビも既に番組に見切りをつけていた、と言う見解もある。 一方、松本のその後の活動や発言から、松本個人は、番組内容に対する世間の批判や苦情(例として「食べ物を粗末にするな」と言ったクレームが良く上がる)等に対して、それを受け入れて番組を降板し、持論を変える弱腰な人物ではない。これは後に放送される「一人ごっつ」や「人志松本のすべらない話」や「働くおっさん劇場」などの同局の番組からもわかることである。 例の「食べ物を粗末にするな」と言ったクレームに関しては絶頂期のキャシィ塚本のコーナーや「巨大化にしよう!」のプリンの回で固まりきれず洪水になってしまった例など挙げられる。 この件のしばらく後に、他の番組で古田敦也らヤクルト選手と共演し、この件をネタにトークを展開し、互いに個人的なわだかまりは無いことを強調していた。 その間「奇跡体験!アンビリバボー」の記者会見でストーリーテラーのビートたけしが「松本、(フジテレビに出演している番組)全部降ろせ!」と発言。このたけしの発言を受け「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」も、当時の番組プロデューサーだった水口昌彦が、一時番組打ち切りの方向も考えたらしいが、放送の続行が決定。現在も放送は続いている。ただし、たけし発言は「松本の後はオイラが出るよ」などというギャグめいたものである。また明石家さんまもたけし同様、自身の番組である「やっぱりさんま大先生」の中で急遽枠が空いたことから「日曜夜8時の枠を狙ってる」とギャグめいた発言をしていた。 その後ダウンタウンは他のフジテレビ番組には何事も無い様に出演していたが、「ごっつええ感じ」に関しては蟠りが当面消えず2000年大晦日放送の「FNS年末スペシャル フジテレビにしか出来ない20世紀の黄金バラエティ大全集!」では紹介が除外されていた。 2001年10月12日、当時のレギュラーの一部に新メンバーを加えて、『ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル』として復活。内容は往年の人気コントの続編、新作コント、出演者にアドリブで歌を歌わせるドッキリ等。フジテレビの自社制作であったレギュラー放送時とは違い、ダウンタウンと太いパイプで繋がっている映像制作会社のワイズビジョンが同特番の制作を担当した。 伝説の番組が復活するということで、かなり前評判が高かったが、結果としては9.0%という視聴率に終わり、テレビ東京の「ポチたまスペシャル」の9.5%を下回るこの日同時間帯のワースト視聴率となった。この日同時間帯で放送された「ジャニーズ大運動会」を演出した当時TBSのディレクターだった合田隆信は、高須光聖との対談で、「ごっつが(自分の番組の)ウラに来るのを知ったのは放送2、3日前。それを知ったときスタッフに対しごっつは18%行く、うちの番組は8%〜9%」と語ったが、実際は「ジャニーズ大運動会」のほうが最高視聴率をとっている。この件を受け、松本は後に雑誌のインタビューで「本当に面白い事はもうテレビではできない」と語っている。 この特別番組に出演した藤井隆は、レギュラー時代にもゲスト出演した事がある。1997年5月11日放送の「紅白若手お笑いリアクション大合戦」で、他のどんな芸人よりも目立つリアクションを披露しており(『入った喫茶店の客が全員ヤクザだったら?』というリアクションで、藤井は『Here we go!』と連呼しながらヤクザにダンスを見せつけ、ダウンタウンらを爆笑させた)、現在の藤井の芸風の片鱗が垣間見られる。 このスペシャルの未公開を含む全編が2003年に発売されたDVD『THE VERY BEST OF ごっつええ感じ 4』に収録されている。 最初のスペシャル一作目においてはコントは特に設けられておらず、二作目から登場した。 当初は「夢で逢えたら」の流れを汲んだ安いセットと短い時間ですむショートものが多く、シリーズものにおいてもその都度暫定のタイトルを使っていたが、93年の秋以降はシリーズものが大半を占め、内容も過激さを増していった。 詳細についてはダウンタウンのごっつええ感じのコントを参照。 番組最初期にコント・コーナーの合間に流されたもので、デフォルメ化したレギュラー出演者のアニメと女性レギュラー5人が歌いながらダンスするシリーズの2種類があった。 スペシャル一作目からレギュラー初期にかけて続いた名物コーナー。色々な諺や格言の意味が本当かどうかを実証する。 教育番組に模した最初期のコーナー。ダウンタウンの2人が体を張って「浮力」「滑車」「残像」などの物理実験を行い、視聴者の疑問を検証する。解答者にはゲスト2人の他のレギュラーで科学評論家の和田忠太がいた。 番組最初期に行われたコーナー。内海好江や結城貢などがゲストで出演したが、最多出演は西川きよし。きよしは火曜ワイドスペシャルの頃から出演しており、きよしの好きなもの三つについてトークを繰り広げ、さらにその三つが放送されたコントのテーマとなっていた。松本はきよしの好きなものにクレームをつけ、「君は人間がなっとらん!」と説教されていた。松本の嫌いなもの三つについてもトークを繰り広げた。 教育番組に模したコーナー。松本が人形の「何太郎くん」、浜田が「お兄さん」に扮し、ロケをする企画。初期の「実験コーナー」の発展版で、まともな質問に対してバカバカしいロケを、ダウンタウンが体を張って立証するコーナー。主な実験内容は「10円玉を回して、表と裏が出る確率は本当に5対5か?」「震度5の地震はどれくらいか?」「車のエアバックはどのぐらいの衝撃で出るのか?」「牛はどのくらいミルクを出すのか?」等。なお、松本はこのコーナーで顔に怪我を負った事がある。 ダウンタウンが以前やっていた帯番組「4時ですよ〜だ」でやっていた「私の数字(スージー)」というコーナーと全く同じ。ゲストに来たタレントが提示する自分にまつわる数字を、一体何の数字かレギュラーメンバーが当てるクイズゲーム。 ちなみに同コーナー放送当時、NHK総合テレビで古舘伊知郎司会による「ゲーム数字でQ」(1991年4月-1993年3月)という類似番組があった。 松本とゲスト2人による大人チームと子供チーム3人が対抗式でお題に添った絵を描き、それがどういう絵かを当てる。 初期の連続シチュエーションコント。浜田が芸能プロダクションの社長で、他のメンバーが家族、所属タレント、プロデューサー等に扮する。毎回のラストでは「グルグル回そうのコーナー」と称して、その話の事件の発端となった人が罰ゲームとして回転ルーレットを体験させられた。松本演じるベテラン芸人が浜田より偉いという設定だった為、ボケツッコミが上手く行かず、さらに松雪・伊藤の番組卒業も相まってわずか10回で打ち切り。ちなみにこのコントのセットは夢で逢えたらの「いまどき下町物語」の転用で、さらに後、志村通の「志村運送物語」などにも流用されているもの。 ベガ星から地球にやって来た、結婚を前提に同棲しているカップル、北川アキラ(浜田)と南村メグミ(松本)がラブラブパワー?で変身する連続ヒーロー物コントコーナー。毎回アキラとメグッペの愛が最高潮に達すると「こんな俺でも、これからも結婚を前提につきあってくれるかい?」「モチじゃ〜ん」の決めゼリフとともに変身。「一目合ったその日から」「恋の花咲くこともある」「アキラファイヤー」「メグッペファイヤー」「二人合わせてラブラブファイヤー!」とキメる。必殺技はアキラがメグッペの後ろから乳を揉み、乳から出る光線で敵を倒す「ラブラブ愛のフレッシュディナー」。ゲタッカーという、投げると自動車に変形するゲタなどの秘密兵器があり、ゲタッカーに乗っている間は半笑い。序盤は一般市民に紛れ込んで人間の脳を洗脳しようとする、大ちゃん伯爵との対決がメイン。中盤からオジンガーZが登場、作務衣姿の巨大じじい型ロボットだが、実体は本物の人間のおじいさんにロボット風の鼻などをつけただけ。さらにライバルの巨大ばばあ型ロボット鉄人2888(てつじんにじゅうバババー)が登場している。こちらも本物の人間のおばあさんにロボット風の飾りのみだが、演じたのはなんと、オジンガーZの実の奥方であった。重厚な作風である為、1話2週完結のストーリーも数回放送されている。また、ラブラブファイヤーの衣装は松本自身がデザインを担当。終盤は「ミクロの世界編」と銘打った連続仕立てのストーリーで、前半は病に侵されたキナコを救うためビタミンA・Bの助けを借りて体内に侵入したアキラとオジンガーの冒険劇、後半はそのキナコの病気を治すことができる薬草を求めて、なぜかアキラとメグッペが有名人宅を訪問するという展開だったが、ストーリーが全く進展せず結局キナコは病死。その後強引な手段でキナコは復活し、最終回でキャラクター総出の壮大な結婚式で幕を閉じた。番組のレギュラーコーナーとしては1年3ヶ月と最も長く続いた。 アキラとメグミが住むアパートの大家・キナコ役に岸田今日子、初期のラブラブファイヤーのライバルである大ちゃん伯爵に原田大二郎がレギュラー出演するという豪華なキャスティングであった。 中盤でオジンガーは隕石に体当たりし運命を共にするが、突如現れたオジンガーの母によって伸縮自在となり、自我意識も完全なものとなった。 タイトルで使用されていた曲はラジオドラマ流星機ガクセイバーのOP。オジンガーZのテーマ曲は水木一郎が唄う本家「マジンガーZ」のラスト『マジンガー ゼーット!!』の『マ』の部分だけを浜田の叫ぶ『オ!!』に置き換えたもの。 また、このコントでは福井敏雄がオジンガーZの宿敵である恐竜テイキアツザウルス役で出演したことがある他、人気アニメ『ルパン三世』でルパン三世の声優を担当していた山田康雄と銭形警部の声優を担当していた納谷悟朗も、アニメと同じルパン・銭形役で出演したことがある。 放送当時のオジンガーの人気は相当のもので、コーナー継続中に「明日のオジンガーは君だ」とオーディション企画があったり、子供向け雑誌の付録に「オジンガーの鼻」が付けられたこともあった。「ごっつ」終了から数年後、オジンガーを演じた橋爪氏が亡くなった事を知った松本は自ら橋爪氏の自宅に線香を上げに行ったという。 最初期にユニコーンのメンバーが出演した歌ネタのコーナー。当初はスタジオ内で収録されていたが、途中より各地にお邪魔するという形式をとっていた。「民生くんとアベくん」のタイトルもその際に付けられた。ユニコーンのごく短い曲「風」のメロディーに乗せた歌ネタ。ロケになってからは、ロケ先の学校等の名物を織り込んだ内容で行われた。ユニコーン自体の解散もあり1993年に終了。同様のコーナーに爆風スランプのサンプラザ中野とパッパラー河合が出演したコーナーもあった。 「ハマダ芸能社物語」の後続の連続シチュエーションコント。番組制作会社が舞台。新米ADの板尾が一応主人公だが、その演技はなぜか吉田栄作のノリ。父が日本人、母も日本人のパキスタン人、タノムサク(松本)とディレクター(今田)が毎回おかしな歌を歌うが、その歌は主に社長(浜田)をおちょくったものだった。板尾がファンレターをくれた子に会いに行ったのを暴露したことも……。今田が松本の歌の合間に「ヤンヤヤヤヤヤヤン」という合いの手を入れ、最後につっこんで締める。合いの手がもりあがってなぜか途中から森田公一とトップギャランの「青春時代」になってしまうこともあった。ちなみにこの合いの手は「4時ですよ〜だ」で松本が発表したもの。ハマダ芸能社同様その回のトラブルの発端となった人にはペナルティが用意されていた。全18回。 レギュラーメンバー扮したブタ一家が街の外食店へ繰り出し、一般人の客の食べているものをおすそわけしてもらうという企画。お礼に帽子など粗品が進呈された。 「熱血AD宣言!」の後続の連続シチュエーションコント。西暦2012年のイングランド在住の涼子(吉行和子)が婦警時代の話を回想するシーンから始まる構成になっており、某刑事ドラマの刑事風の出で立ちの班長(浜田)、江戸時代からタイムスリップしたようなキャラの岡っ引き刑事(板尾)、ヒッピー風の熱血刑事ピース(今田)、タレコミ屋トメさん(松本)らが登場する。毎回班長の登場シーンでは某国営放送の幼児向け番組の歌を口ずさむという演出があった。 改造人間の若松ひかる(松本)が敵である極キラー(浜田)と戦うために、視聴者から応募されてきたデザインのヒーローに変身するコントコーナー。コントに行く前に、浜田と松本が没にはなったが面白い作品を数点紹介し、最後に採用された作品を紹介してから本編に行っていた。毎回無茶なデザイン(と言うよりポンチ絵)からそのまま無理やり着ぐるみに造形してしまうため、対決ゲームでは体が思うように動けずまともに勝ったためしがない(一度だけゲームでは勝ったものの、結局後述のキラービームで葬られた)。しかも送られてくるアイデアはほとんどヒーローというよりも怪人に近い。ひかるは最後に極キラーが放つキラービームにやられてしまい、無残な姿に変わり果ててしまう。ひかるの妹・若松きらり役として鈴木蘭々が出演。きらりは最後に兄・ひかるの変わり果てた姿を見て悲しむのが毎回のオチであった。ちなみに最終回はひかるが引っ越すことになり、別れを惜しむ極キラーとの電話でのやり取りで終了となる。この回のラストシーンは3輪トラックで移動中の二人が会話をし、最後にトラックが走り去るのを上空から映して終了した。蛭子能収、内田裕也など、視聴者にまぎれてヒーローのアイデアを出した有名人もいる。 連続テレビ小説風のミニドラマ。浜田扮する浜子がある料亭で繰り広げる人間模様を(浜田や今田が女性役を演じる事以外は)ほぼ笑いの要素ゼロで演じた。番組のレギュラー以外でも俳優の佐藤蛾次郎、冨士真奈美、宮川一郎太、八名信夫らが出演するなど、ドラマ面からいってもクオリティの高い本格的なものであった。最終回直前でサスペンス調になり、登場人物が浜子によって次々と殺されていく最終回は衝撃的であった。しかし、真相はYOUの演じる仲居が真犯人だった。 レギュラー達がさまざまなお題に沿って浜田・松本の間に入れるかといった和気藹々とした雰囲気のコーナーだが、結果が出ると雰囲気は一転、間に入れなかったメンバーを蔑ろにするというコーナー。実は「最近生意気になっている今田を懲らしめよう」という趣旨で行われた、ロケコントである。 浜田がお題を見て絵を描き、他のレギュラーが浜田がどんな絵を描くかを予想するクイズ。だが、浜田の絵画センスが(ある意味で)はるかに上を行っていたため、正解が出ない事が多かった。正解した時は賞品として、浜田の絵がプリントされた絵皿やTシャツがプレゼントされた。賞品があまりにも好評だったため、その後は視聴者プレゼントにその絵皿やTシャツが選ばれた。初期のコーナー「お絵かきしましょマジでマジで!」の発展型である。 「おかんとマー君」のキャラクターであるおかん(松本)とマー君(浜田)が、芸能人のもとを訪ねるという企画。志村けん、谷村新司、中嶋常幸、中野浩一、佐竹雅昭、ウッチャンナンチャンなどが出演した。 WWWWチャンピオンの女子プロレスラー・キャリー東野がマネージャー・ドンキング松本の呼び寄せたアイドルとプロレスをやり、時に手加減抜きで技を仕掛けたりする。第一回は篠原涼子をキャリーがプロレス技で痛めつけると言う内容のコントであったが、後にちゃんと客入れをしてプロレスを行うという人気コーナーに発展した。タッグマッチの際は無二の親友・キムラちゃん(ヤワラちゃんのパロディ)が登場する。出演アイドルは初期は岡本夏生withレースクイーン1号2号、新島弥生、水野あおい、平成おんな組、ピンクサターン、本田理沙、T-BACKSなど実に渋いメンツであったが、後には天地真理(電流爆破デスマッチ)や日出朗・日景忠男・志茂田景樹といったイロモノタレント、そして後にジャガー横田&バイソン木村(東野がぶちのめされるドツき役)、レジー・ベネットといった本物の女子プロレスラーなども登場し、坂木優子によってキムラちゃんが締め落とされる展開もあった。 視聴者からの架空のハガキに基づき、ダウンタウンの2人がゲームで対決する。前述の「改造人間カスタムひかる」終了に伴い、そのゲーム対決部分に絞る形でスタートした。今田扮するレフェリー「ジャッジ公平」が仕切り、毎回視聴者(なぜか芸能人が多い)から来ているという設定のハガキにより、「○○と××ではどっちが強いんですか?」という疑問に答えるという設定で、ライバル関係のキャラクターに松本・浜田がそれぞれ扮装してそのキャラクターにちなんだゲームで対決を行う。基本的に浜田はわりと器用に対応してしまうことが多いため、ジャッジ公平がグズる松本に肩入れしたズルをし、浜田に「お前全然ジャッジ公平ちゃうやん!」とつっこまれることがよくあった。 対決終了後、壮絶な対決を笑って見ていた今田に対し、浜田の命令でジャッジ公平の一人コントの名目で無理矢理今田が命懸けのゲームをやらされる事も少なくは無かった。 特別ゲストでダウンタウンのファンである甲本ヒロトと真島昌利(当時THE BLUE HEARTS)が出演し、乳首相撲など対戦した。 後期の名物コーナー。レギュラーが2チームに分かれ、体を張った大掛かりなゲームで対戦する。前項「ザ・対決」のチーム版といったところ。番組予算の大半はこのコーナーのセットに使われており、数千万円かかったものもあった。 「ザ・対決」に続き、特別ゲストでザ・ハイロウズが出演。ドッジボール対決(双方の壁後ろに何台ものピッチングマシンが仕掛けられ、どこから飛んでくるかわからない)を行う。当時ハイロウズのメンバーだった白井幹夫の顔面に当たり、大切なサングラスが壊れるハプニングが起きる。 様々な飲食店で、男性メンバーが総額10万円に達するまでひたすら食べ続ける(実際食べるのは今田・板尾・蔵野・東野で、ダウンタウンはお腹を満たす程度)。戦歴は以下の通り。 餃子の王将 12690円(13種類39品目 最初のタイトルは「餃子の王将で10万円食べられるか?!」だった) 上記の通り、全て安価の飲食チェーン店で行われた為、1回も10万円に届かなかった。この不甲斐ない結果に怒ったダウンタウンが4人に「10万円分乗ろう!!」と題し、FUJIYAMAに10万円分乗るという罰ゲームを科したが11000円分に終わる(1回の乗車料1000円で蔵野2回、今田・板尾・東野3回)。 その後、大阪のくいだおれでも行われ、1階のレストラン、3階の懐石、8階の鍋料理でダウンタウン以外のメンバーが食べまくった。今田曰く、このコーナーのせいで太ったらしい。結果は60452円(14種類40品目)で一応過去最高を記録した。 松本人志チーム(松本、蔵野、東野)と浜田雅功チーム(浜田、板尾、今田)に分かれて、写真モデルのゲストに普段殆どやらないことやありえない設定(それらの多くが合成写真)などを写真撮影して、スタジオで自分達の写真をお互いに相手チームに見せて、相手チームのメンバーが自分のチームのメンバーより多く笑ったら点数が入るという、97年のメインコーナー。後の「ガキの使い」の絶対に笑ってはいけないシリーズの原点とも言うべき企画。モデル役のゲストには、加納典明、岸部四郎、水野晴郎などが出演した。 浜田とゲストが気ままにロケを楽しむ。後の番組『浜ちゃんと!』の原型とも言えるコーナー。坂本龍一が出演した時は「浜ちゃん遊んで!」に変更された。 あるシチュエーションで発するボケの一言の面白さを競う。ドラマ仕立てで有名俳優が相手役を演じたり、豪華なセットを用いるなど、大喜利としては破格の予算をかけたことがある。松本が「ボケー」という単位で判定する。東野のあまりのふがいなさに「サムー」という単位が登場する。一方、板尾は大いに活躍しボケ指数100%(「ボケー」導入以前の単位)を記録したことがある。内村プロデュースでも同様の企画が見られた。角野卓造、斎藤慶子、原日出子、森田順平などがドラマ部分に出演した。 「ごっつええ」では数少ない一般公募企画。40歳代・50歳代になっても優れたプロポーションを持つ母親達が登場し、そのセクシーさを競う。5名の参加者はボディコン衣装に身を包み、後姿のみを見せてジュリアナダンスを踊りながら登場。ここで司会を勤める浜田や審査員達から様々な質問が飛び交い、最後は母親達が考える「悩殺ポーズ」(無論本人たちなりに考えた“悩殺”なので、爆笑をさらうものも多かった)を披露した後、一番の支持を集めた人が優勝。 最後に参加者は全員振り返って素顔を見せる。だがある回では、そのうちの一人が本名でエントリーしていた五月みどりだったため会場は騒然となったことがある。 韓国のアイドルグループ『消防車(ソバンチャ)』(オジャパメン)、『トゥルコヤンイドゥル』(マウヤケソ)の楽曲を男性メンバーがカバー。日本人の耳には珍奇に聞こえる韓国語の発音が笑いを誘う。韓流ブーム以前、「韓国の芸能人のイメージといえばオジャパメンだった」という人は結構多いのではないだろうか。ソバンチャとは『HEY!HEY!HEY!夏のチャンプカーニバル』で本家との共演が実現した。現在のブームの立役者であるDJ OZMAもリスペクトしている。 レギュラーメンバーと藤岡弘が鬼ごっこなどをして遊ぶ最末期のロケ企画。メンバー(子供の扮装)と藤岡(スーツ姿)のテンションの温度差が秀逸。汗だくでマジメに子供の遊びをする藤岡を小バカにした者には合気道の技でおしおきしたりするが、なついた者には抱きしめて「お前はかわいいなぁ!」と可愛がる。メンバーも思い出の企画としてよくあげている。 浜田率いる草野球チームが数々の芸能人チームと対戦するガチンコ野球企画。元々は1994年に巨人の槙原寛己が完全試合を達成した事に感動した浜田が、「俺も完全試合がしたい!」と完全試合に挑戦した企画が発端。しかしあまりにも投げすぎた浜田は翌日体を壊し、「ガキの使い」の収録を休むほどであった。 レギュラーメンバーが安岡力也に関するゲームを行う。ゲームは「マジカル力也」「力也ンルーレット」「世紀末力也」の3つ。「マジカル力也」ではマジカルバナナの要領で、「力也と言ったら○○」のように答え、その内容を力也が判定する。「力也ンルーレット」はテーマにあったものを順番に答えていくが、力也のきらいなものを言ってしまうとアウト。罰ゲームはテキーラを飲む。 鼻綱引きのチーム対抗戦。松本がチェアマン、浜田が審判員に扮する。三人ないし四人一組でチームを結成し、ノーズホルダー(実際はただの洗濯ばさみ)をつけた紐を鼻に挟み引き合う。チームの全員の鼻からノーズホルダーが外れるか、メンバーが中央の線を越えると敗北となる。当時開幕当初で注目度の高かったJリーグをモチーフとしており、チーム名はJリーグ加盟チームのもじり、ロゴもJリーグのパロディである(Jリーグのロゴの丸を一つ減らし、それを左右反転させたものをJの右側に置き鼻に見立てている)。 同タイトルの架空のヒーロー物(番組?)のキャラクターに扮した男性メンバー全員が、その主題歌を歌いきって終わるコーナー。末期に毎週放送されていた。基本的に歌のみであり(歌詞の中の台詞はあるが)、実際のストーリーなどはなかったが、番組が終了せずに続行していれば本編のコントも作られる予定だった。また、同作の歌「エキセントリック少年ボウイ」のCD(エキセントリック少年ボウイオールスターズ名義)も発売され、オリコン最高4位のヒットとなり約50万枚を売り上げた。二番の歌詞までは完成した時点で、三番の歌詞はメンバーによる大喜利で作られたもの。 第二弾として「日影の忍者勝彦」も用意されていて、『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』で日影の忍者勝彦オールスターズが結成された。 93年秋頃からレギュラーコーナーの激減に伴い、代わりにさまざまな主旨のロケ企画が行われるようになった 「シンデレラ」のコント収録中、YOUが浜田の頭をハイヒールで叩いたことに浜田が激怒。止めに入ったADは殴られ、女性陣(YOU、西端、篠原)は顔面蒼白。浜田に謝罪しようと3人がスタジオから出ようとするとき、今田が元祖どっきりカメラの野呂圭介に扮した格好でネタばらしをし、YOUは「(ガキ使いでのドッキリで演技した)梅宮さんの倍怖かったわ!」と半泣きで怒った。松本によると、現場で一番平気そうに見えた西端はこれが終わった後、ショックから楽屋に2時間篭ったまま出てこなかったらしい。 東野の頭(髪の毛)があまりにもカタ焼きそばに似ているぐらいチリチリなことから、同じ日に色々な場所(楽屋、タクシー、宿泊先のホテル等)で、「東野さんの頭ってカタ焼きそばに似てますね。」を合図に他のメンバーが東野の頭に熱々の八宝菜をかけた。東野は最初はキョトンとしていたが、2回3回と続くと「これドッキリ違う」と怒り出す。新メンバーになったばかりの東野を迎えるためのコーナーでもあった。ある意味、拷問に近い。最後は東野が泊まるホテルの部屋にメンバーが乗り込んだ瞬間、静止画になり、テロップで「こんなのドッキリじゃない 東野談」と出され、終わる。 仕掛け人はダウンタウンと大崎洋プロデューサー。控え室でダウンタウンと大崎プロデューサーが周囲に響き渡るほどの怒鳴り声で大喧嘩を行い、他のメンバーはそれを聞きながら呆然とする。そして、ダウンタウンが控え室のガラスを叩き割って姿を現すと、実は三角木馬をやっていたというドッキリ。板尾と蔵野は、黒のスーツ姿で控え室に入った大崎プロデューサーが姿を現した瞬間、赤い服を着ているのを見て「血まみれになってる」と勘違いした。また、ケンカの最中でもクールに装っていた今田はドッキリと判明した後に安堵のあまり1人だけ号泣した。 「東野に芸人根性はあるのか!」と銘打ったドッキリ。永井豪原作のマンガ「けっこう仮面」のパロディコント。東野が演じる正義の味方で、覆面以外は全裸。敵の顔を股間に押し当てる「シンボルアタック」などの得意技を持つ、という設定。「こづれ狼」でこのキャラに扮した東野が、これを主役にコントをしたいと言い出したらしく、メンバーとスタッフがその願いを叶えると見せかけてドッキリを仕掛けた。助け出す女性役をYOUが演じると台本にはあったが、本番ではそれが東野の妻に入れ替わった。東野は女性が妻に入れ替わっていた事に気付くと仮面を脱ぎ捨て「こんな屈辱初めてや!」と絶叫した。 全編大阪ロケのスペシャルにおいて、蔵野がはめられたドッキリ。NGKの舞台に客を入れて蔵野がホスト役のトークショーをやるというもので、ゲストがオール阪神・巨人。番組が始まる前からベロンベロンに酔わされていた蔵野は番組中もグダグダで、逆に巨人は番組を成立させようと気を使うが阪神が怒って番組中帰ってしまう。阪神の激怒を目の当たりにした蔵野は一気に酔いが醒め、巨人の楽屋に謝罪に行くが、こっぴどく怒られてしまう。もちろん阪神と巨人は企画を全て理解した上での演技だが蔵野は泣いてしまった。 「野生の王国」と言うコントで、浜田演じる親ライオンが蔵野演じる子ライオン(被り物のため素顔は見えない)を鍛えると称して様々な方法でしばきまくるはずが、本番では蔵野ではなく別人に入れ替わっていると言う、浜田に仕掛けたドッキリ。それを知らない浜田は蔵野のままだと思い、子ライオンを思い切りしばきまくったところで、横から蔵野がウサギに扮して登場し、子ライオンの中身が誰だか判らなくなり動揺を見せる。解説ナレーション役の松本がその中身の正体が坂本龍一であることを告げられ本人が素顔を見せる。その後、坂本にしばき返され最後は崖に突き落とされた。その時の実況役の今田に「正直あんな親ライオン(浜田)の顔は(今まで)見たことがない」と言われたが、浜田はそこまでいうほど動揺した面持ちでもなく、また反省らしき言葉も発したわけではない(しかし、坂本と判明した直後に土下座している)。スタッフのOKコールには「OKやあるかあ!」とひきつった笑い気味に叫び返した。ダウンタウンの番組全般で見てもレアな浜田ドッキリ企画。 SMアイテム(マウスボールやレザー製拘束着のような衣装など)の男「パイマン」(東野)が街頭の女性や動物にパイを投げつけるコーナー。パイマンの調教師「コギャル」(松本)が命令を下す。あまりに怖い猛獣と対峙した際は、一切しゃべらないはずのパイマンが東野幸治に戻ってしまい、饒舌にレポートしてしまったこともある。 このコーナーが何回か放送された後、東野は「世紀末戦隊ゴレンジャイ」にも「パイマン」の扮装で登場したこともある。 ダウンタウンの2人が上野駅から京成電鉄スカイライナーで成田空港へ向かう途中に、窓から外を見るとごっつのメンバーがバカなことをしているという企画。特にダウンタウンが爆笑していたのは、なぜか草原や倉庫の屋根に何匹もエレキングが横たわっていて、その先では板尾がエレキングと戦っているというシーン。二弾目として横浜ドリームランドのジャングルツアーで同様の企画が行われたが、そこでも主役はやはり板尾。なぜか真剣な表情で墓石を見つめる喪服姿の板尾に二人は大ウケ。「ごっつ墓石見てるやん!何があったんや!」と大爆笑した。この企画は、松本がドラマ『北の国から』で、蛍が電車で去っていく母親を見送るシーンに着想を得たもので、「あれを母親目線で、電車から見える蛍がボケてたら面白いんじゃないか」という発想から作られた。なお、冒頭のナレーションは本家「世界の車窓から」の石丸謙二郎がつとめた。 男性レギュラー全員が一人ずつリレー形式で提示されたある条件を一回で成功させるもので、失敗すると他のメンバー全員から顔面パイの応酬をくらう。 男性レギュラー全員で巨大な料理作りに挑戦する。巨大プリンは保冷車を冷蔵庫代わりとし24時間かけて冷やしたにも関わらずまったく固まらなかった。その他にも失敗が多くPTAに「食べ物を粗末にしている」とクレームを付けられたこともあった。同様の企画はリンカーンでも行われている。 本当はモテると豪語する蔵野の言葉を検証するため、イケメン芸能人と蔵野のどっちと付き合いたいかを街行く女性達にインタビュー。女性一人一人が蔵野以外の男性を選ぶ度に、蔵野はダウンタウンから折檻を受けなければならない。しかし対戦相手があまりにもイケメンなため当然蔵野には一票も入らない事がほとんどであった。そのため蔵野から泣きが入り、「浜田さんとやらしてくれ!」と提案。結果はほぼ五分五分であった。 楽屋でたたずむ浜田にいきなり松本が「選挙出〜や〜」と言った事から発展したコーナー。松本がブレーンとなり浜田を候補として祭り上げ、ハゲヅラに省エネスーツ、「ウッシャッシャッシャッシャ」と嗤う「浜田まさとし候補」が誕生した。選挙カーで街に出て本格的な街頭演説も行い、「ツッコミのある街づくり」を有権者に訴えた。そして「ガンバッテアナタ」しか言わない外人の奥さんと共に一ヶ月に渡る選挙活動を行った結果、浜田候補は4404票を獲得。しかしこの結果に松本は「何やそれ!何日もやって4千ナンボって!やめさせてもらうわ!」と捨てゼリフを残し、企画は終了した。ちなみに無効票も何票かあり、何故か松本に86票が入り、中にはガッツ石松の名前もあったらしい。 松本扮する博士が開発したメカライオンで動物と戦う企画。1000万円という破格の費用を投じて製作されたメカライオンだが、わずか2回で打ち切りとなり松本やスタッフを大後悔させた企画。 1996年の200回スペシャルにて、ダウンタウンが故郷・尼崎を訪れたロケ。また江守徹・石立鉄男によるダウンタウン結成までの再現ドラマも放送された。高層マンションが建ち並び小綺麗になった尼崎の姿は青春時代の面影が失われつつあり、二人は「空が狭なった」と少し寂しげだった。 最末期、女性レギュラーメンバーが番組を卒業した後、新レギュラーオーディションと題し笑福亭鶴瓶(第1回)、ガッツ石松(第2回)、八代亜紀(第3回)という面々をごっつメンバーが全くの新人として扱ってオーディションするという企画。受験者は功成り名遂げた一流芸能人ばかりなのだが、コーナー内ではド新人扱いなので受験者が必死に芸を見せたり体を張ってもごっつメンバー側の反応が極薄だったり、鶴瓶に至っては、松本から「つるへ君」「鶴光君」などと呼ばれ極めて失礼に扱われ、「尼崎のドブの中から生まれた人間が、なにぬかしとんねん」「おまえらなぁ、だいたい長者番付にのんのが(載るのが)おかしいねん。なんでのんねん」「うちの息子なぁ、家(息子の部屋)入ったら、おまえの「読め!」ゆう本とか「松本」とか、おまえ、見とってんどっ! ゆうことは、まわりまわっておまえとこ払ろとるんやないかいっ!!」と反撃するが相手にされず、「仁鶴に言うぞ! 仁鶴に!」「仁鶴兄さん、吉本の裏番長と呼ばれてるでしょ?」と、兄弟子で吉本興業所属の笑福亭仁鶴にカメラ越しに助けを求めたが、それもダウンタウンからは軽く流されてしまう。のちに、「ガキの使いやあらへんで!!」で同じ趣旨の企画を鶴瓶の弟子の笑福亭笑瓶で行った。この番組ではホテルで開かれたが、ガキの使いでは体育館を舞台に巨大風船やパイ投げマシーン、カートなどを使った大規模なものになっていた。 「火曜ワイドスペシャル」時代から使用されていた曲。OP映像はアニメと実写を使い、提供バックではアニメで無数の松本と浜田が出てくるが、ナポレオンの格好の松本、はげている浜田等が混ざっている遊び心もあった。最終回ではこの曲がエンディングテーマとなった。 構成:松本人志、浜田雅功、廣岡豊、清水東、鈴木しゅんじ、藤沢めぐみ、和泉光晴、かわら長介、倉本美津留、小笠原英樹、内村宏幸(中期まで)、乙川恒樹、三木聡、高須光聖、松井洋介、福原太、長谷川朝二、植竹英次、柏田眞志、小山協子、木村祐一、岩崎夏海、三浦亜矢 協力:ヒットユニオン、TOWER RECORDS、シュラトン・グランデ・トーキョー・ベイ・ホテル&タワーズ、佐藤動物プロ 3年B組金八先生 白岩久弥(当時ワイズビジョン、現在は映画監督・吉本興業コンテンツ系番組やDVDのオーガナイザーとして活動) 第一弾 ノーマルダウンタウン・何太郎くんとお兄さん・アキラファイヤー、メグッペファイヤー、オジンガーZの7種類。 第二弾 カスタムひかる(服の色が赤、青、黒)、極キラー・おかんとマー君・トラゴロウとイマダ君の8種類。いずれも発売元はタカラ。他に景品用としてTシャツ、キャップ、腕時計等もあった 『ダウンタウンのごっつええ感じ コント傑作集』HISTORY1〜10、『幻のコント傑作集 HISTORY0』の計11巻が放送期間中に発売された。発売元はポニーキャニオン。 シングル『エキセントリック少年ボウイ』(1997年9月25日発売)、アルバム『ダウンタウンのごっつえぇ感じ 音楽全集』(1997年12月15日発売)がある。発売元はイーストウェストジャパン。 『THE VERY BEST OF ダウンタウンのごっつええ感じ』(全5巻、各3枚組)が2003年6〜12月に発売。1000本を超える作品からダウンタウンの2人が自ら厳選した傑作コント等を収録。大ヒットを記録した。発売元はR and C。 このほか番組放映当時に、コントに登場したキャラクターのシールがおまけに付いた激辛カレー味のスナック菓子、コントキャラクターを辞典式に掲載した番組公式本(コラムや松本が語るキャラのその後が書かれている)などが発売されていた。 4時ですよーだ - ダウンタウンのゆーたもん勝ち! - 夢で逢えたら - 全員出席!笑うんだってば - ダウンタウンの素 - 夕焼けの松ちゃん浜ちゃん - 夢の中から - ダウンタウンのごっつええ感じ - 摩訶不思議 ダウンタウンの…!? - 生生生生ダウンタウン - ダウンタウン汁 - 発明将軍ダウンタウン - かざあなダウンタウン - ダウンタウン・セブン - WORLD DOWNTOWN - 考えるヒト トミーズ - ハイヒール - 内場勝則(吉本新喜劇座長) - 杉本美樹 - 山田幸伸 - 前田政二 - 濱根隆 吉本興業 - ウッチャンナンチャン(内村光良・南原清隆) - 今田耕司 - 東野幸治 - YOU - 130R(ほんこん・板尾創路) - ココリコ(遠藤章造・田中直樹) - 山崎邦正 - 木村祐一 - 吉田ヒロ - 高須光聖 - 倉本美津留 - 松本隆博 - 小川菜摘 - 菅賢治 - 斉藤敏豪 カテゴリ: フジテレビのバラエティ番組 | ダウンタウンのごっつええ感じ | 1990年代のテレビ番組
[ ジャパネットたかたcm ソング の 感じ参考サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%81%94%E3%81%A3%E3%81%A4%E3%81%88%E3%81%88%E6%84%9F%E3%81%98
ジャパネットたかた ダウンタウンのごっつええ感じ - Wikipedia
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