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ジャパネット たかた 進化 - Wikipedia
ジャパネット たかた 電子辞書の 進化とは 遺伝現象は、生物において子が親と同じ形質を持つことを証明したが、にもかかわらず長期的視野では生物はその形質を次第に変えてゆくものと考えられている。たとえばヒトは類人猿的動物からいくつかの中間段階を経て現在の姿になったと考えられている。このような変化を進化と言う。 進化によって生物は多様化し、現在に見られる複雑な生き物は初期の単純な生命体から生じたと考える。進化は、チャールズ・ダーウィンなど複数の博物学者が動物や植物の分類学的な洞察から導きだした仮説から始まった。現在の自然科学ではこの説を裏付ける証拠が、形態学、遺伝学、比較発生学、分子生物学などさまざまな分野から提出されており、実証しづらい現象ではあるが、進化はほぼ確実に起こってきたことである、と認められている。 比較解剖学は、主として動物において、体の内部構造を把握し、それをさまざまな種の間で比較しながら、外見だけではわからないような、その構造の意味を説き明かしてきた。 その結果、根本的に全く内部構造の異なる器官が、外見が表面上よく似たものになることがあり、しかもそれが同じ機能を果たすケースがあることを見つけた(脊椎動物の目とイカなど軟体動物の目など)。このような相似器官が見つかったことで、ほとんどの場合において、一つの機能を実現するのには何通りもの解決法があることが示され、生命にとって普遍的な特性がすべて必要であるという説は信じがたくなった。このことはまた、ある特定の機能を果たすためには、本来異なった部位であっても、同じ目的にあわせると、どうしても外見上の類似を生ずるのだろう、と言うこともできる。このように見たとき、この現象を収斂という。 さらにまた、同じような内部構造の器官が、まったく異なる機能を実現している例(相同器官)も明らかになった。脊椎動物の四肢は、相同器官の好例である。たとえば脊椎動物の二つの種の前足を比較したとき、基本的に共通の構造が明確に認められ、その構造がそれらの生物種が分岐する前の共通の祖先に存在して、そこからその両者のような外見的違いが派生したことを強く示唆するのである。具体的に見れば、われわれヒトの前足は手と呼ばれ、全体に長く、指は長くてよく曲がり、ものを掴める。イヌの前足は指が短く、全体に丸まり、肉球がある。クジラのそれは見かけ上は指がなく、どう見ても魚のヒレにしか見えない。ところが、それぞれを骨格で比較すれば、肩の骨からつながった骨の配置は、指の形や数に違いがあるとしても、全体としては共通している。それを解釈する方法として、共通の祖先がいて、そこから生活の違いに応じて適応し、その使い方の違いによって変化していったのだと見る訳である。なお、このように共通祖先がさまざまな環境への対応として、多様な姿に変化した現象を適応放散と呼ぶ。 地球上の様々な地域では、ほぼ同じものが見られる場合もあるが、それぞれに異なった生物が見られる。これは生物地理学の分野である。その立場からは、そのような地域ごとの差がどのように生じたのか、という問いかけを生むことになる。興味深いのは、それぞれが全く異なっていることはまれで、大抵は類似しているが異なる、という形が見られることである。また、これを生物個々から見れば、分布の狭いものや広いものがあることがわかる。それらは分類学の材料を提供するものであるが、たとえばクマの仲間はアフリカを除く世界中に分布し、それぞれに様々な種に分かれるが、概して高緯度のものほど体が大きい(ベルクマンの法則)。そのような知見は、生物が分布を拡大しながら、その姿を変えた可能性を示唆する。先に述べた適応放散や収斂もこの分野でより生き生きと観察できる。 さらに、孤島の生物には独特のものが見られる場合があるが、それが全くよそとかけ離れたものであるわけではなく、近い大陸にいるものから大きく変化したものと考えた方が無難である。さらに近隣の島がある場合、島ごとに少しずつ違いが見られる場合がある。ウォーレスはスンダ列島の生物に、ダーウィンはガラパゴス諸島の生物に重大な示唆を受けたようである。 島と大陸にみられる近縁種を説明するとき、ウォーレスが陸橋などによる大陸との接続を強調していたのに対して、ダーウィンは偶発的な移住を強調し、大陸接続説を嫌っていた。ダーウィンが他界する一年前(1880年)に出版された『島の生物』でも、接続説と移住説について激しく論争している[2]。 結局、ウォーレスのフィールドであるスンダ列島は氷河期にユーラシア大陸やサフル大陸(オーストラリア大陸+ニューギニア島)と接続した歴史を持つ大陸島であり、ダーウィンのフィールドであるガラパゴス諸島は大陸と接続したことのない海洋島だったので、それぞれ自分のフィールドにおいては自説が正しかったことになる。 進化の直接的な証拠に最も近いのは、化石記録によるものであろう。西洋では、化石は当初は古生物の遺物とは考えられず、岩石中に自然の、あるいは超自然の働きで生じるものと見なされた。生物と見なされた後、その研究には、比較解剖学もかなりの役割を演じている。調べるにつれ、現在生息していない生物であることがわかると、その解釈が問題になった。 地学研究の立場からは、化石は距離の離れた地域間での年代比較の唯一の手がかりとなった。時代によって違う化石が出るという知識から、同じ化石が出れば、同じ時代に属するという判断ができる(地層同定の法則)。いわゆる示準化石であるが、当時は地質年代を知る唯一の手がかりであった。信頼できる年代判定は、放射性同位体が利用できるまでは不可能であった。 それはともかく、時代によって出る化石が異なることを説明するには、神の創造が何度も行われたと仮定するよりも、生物が時間経過のなかで変化した、つまり進化があった、と考える方が合理的である。具体的に、進化の実在を示すと見られる化石の例をあげる。 進化の過程を、時間による変化を追ってたどれるように見えるものがある。たとえばウマの化石は、現在の大型で指が1本だけしかないものから、犬より小さく、4本指の先祖まで、その間を埋める化石がいろいろと出ている。 現在ははっきりと区別できる分類群の、中間型と思われる化石もある。有名な始祖鳥は、羽根の跡が残っていなければ、小型恐竜としか思えない骨格でありながら、全身が羽根で覆われ、鳥の特徴を示している(異論はあるが)。 化石は、さまざまな系統が、いつ発達したかを推定するのに重要である。初期の化石による証拠は、生物が硬化した体の部分、たとえば殻・骨・歯などを発達させるより前の時代にはまれであるが、古い時代の微化石や、古い化石化した生痕、それに若干の軟体性の生物化石が存在する。化石化という現象がむしろまれな出来事であり、掘り当てられるためには通常は化石になる生物に硬化した部分があって、しかもその死体が堆積している最中の砂泥のそばになければならない。したがって、化石からは、生物の進化に関するごくわずかな、偏った情報しか得られない。 共通祖先C(化石あるいは仮想されたもの)から分岐した生物Aや生物Bの持つ様々な形質のうちで、共通祖先Cが持っていた形質を原始的(祖先)形質、C→A,あるいはC→Bの進化の過程で獲得した形質を進化的(派生的)形質ということがある[3]。例えば、オナガルザル科の大臼歯が植物を剪断することに特化した二稜歯であることを進化的(派生的)形質、ヒト上科のY5型大臼歯は原始的(祖先)形質と表現する。これはエジプトのファイユーム盆地で発見された原始狭鼻猿類(狭鼻猿類の共通祖先だと考えられてている)の化石の大臼歯の特徴がヒト上科の方に似ていることを根拠としている[4]。 原始的(祖先)形質を多く保持する生物を原始的、進化的(派生的)形質を多く保持する生物を進化的と表現する場合があり、さらに、前者を下等、後者を高等とする場合がある。例えば、陸上植物を「高等植物」と表現する。しかし、これは陸上植物が藻類に対して派生的形質の多いことを表しているのであって進化の序列を示しているわけではなく、現存する生物がすべて進化の最新の段階にあることには変わりはない。 また、ある生物が原始的か進化的かは注目する形質による相対的なものである。例えば、現生硬骨魚類の鰾と四足動物の肺は、どちらもデボン紀の条鰭類であるパレオニスクス類などの原始的な肺から進化したと考えられている[5]。この場合、鰾と肺のどちらが原始的かをいうことはできない。鰾は浮力調節に、肺は空気呼吸に、各々特化しており、どちらも祖先生物の形質を保持していないからである。 化石生物の形質を多く保持している現生生物のことを生きている化石と呼ぶ場合がある。生きている化石は化石からはわからない情報のよりどころとして重視される。例えば、現生のシーラカンスLatimeria chalumnaeは化石種の再現に重要な情報を与えてくれる。しかし、「生きている化石は進化が止まった生物である」という認識は誤りである。化石種のシーラカンスは120種にも多様化しているし、現生種と化石種の形態的な違いも進化の結果である[6]。 科学者は、地球が約46億歳だと推測している。地表が冷えた後比較的早い段階に、単細胞生物は現れたと考えられている。10億年の内に、細胞呼吸の発展に必要な条件を提供して、酸素の光合成が発生し、地球の大気を急進的に変えた。次の20億年の間に基礎的な細胞のプロセスが全て発展した。その時に恐らく最初のウイルスが姿を現した。今から10億年前に単純な多細胞の植物・動物が海に現れた。最初の動物の出現のすぐ後の、カンブリア紀の爆発と呼ばれる期間は、現代の全動物の体制(門)のほとんどが見つかっている。約5億年前に、植物と菌類は地上に進出し、すぐに節足動物や他の動物が続いて、地上の生態系の発展につながった。[要出典] すべての生物が共通の祖先を持つとする説の一つの証拠として、誰も生物の自然発生という現象を確認できなかったことにある。これは、生命の起源は非生命から生じるとしてもそれは非常に稀な現象であるか、あるいは現在の地球の環境とはかけ離れた何らかの条件のそろった環境がその発生には必要であることを示している。 多くの生物学者は、現在の地球上の生命はある一つの生命から分岐したものであると考えている。その根拠には多くのものがあるが、その一つは、現在の生物は共通の遺伝コードを用いているというものである。大部分の科学者は、現存する全ての生物が共通の祖先を共有すること、その祖先が最も基本的な細胞のプロセスをすでに発達させていたということを意味する、と解釈するが、生物の3つのドメイン(古細菌、真正細菌、真核生物)の関係、ウイルスの起点、生命の起源に関しては科学的な合意がない。 複数の起源を持つとする説もあるが、遺伝コードを中心とする共通点の重要さや、共通点の多さから見て、共通の祖先から派生したとされる説が強く支持されている。この共通祖先という概念は生物進化を逆行することによって生まれた『全生物の祖先型生命』である。一方、生命の起源から共通祖先までの原始生命体の進化は化学進化説の範疇である。この最も初期の生物の歴史をはっきりさせようとする試みは、一般に高分子(特にRNA)や複合的システムの振る舞いに注目しておこなわれる。 生物の初期発生に関する情報には、地質学および惑星学の分野からの情報が含まれる。これらの科学からは、地球の歴史や、生物によってもたらされた変化に関する情報が得られる。初期の地球に関する直接的な情報のほとんどは、長い時間の間の地学的現象によって破壊されてしまっている。 また、新陳代謝のプロセスは化石には残らないので、基礎的な細胞内でのプロセスについての進化の研究は、大部分が現存する生物の比較によってなされてきた。いくつもの系統が、それぞれ異なる進化の段階で分岐したので、ある代謝過程がいつ現れたかを、共通の祖先からの子孫を比較することによって決定することが可能であると考えられている。しかし、上述の遺伝コードに加え細胞構造など一部の特性は、現存する全ての生物に共通しているため、進化の最初期に起きたと思われるこれらの発展を比較生物学によって完全にはっきりさせることはできない。 進化の実体とは、繁殖集団(メンデル集団)内の遺伝子頻度の変化である。その原因は突然変異(突然変異説)と自然選択(自然選択説)や遺伝的浮動(中立進化説)であると考えられている。その結果、形態に関係する遺伝子頻度が変化すれば、集団中の個体の形態が変化し、形態的種の形成として観測される。同様に、生殖的隔離に関係する遺伝子が変化すれば、生物学的種の形成(種分化)として観測される。 生態学的種や行動種の形成は、集団中の遺伝子頻度の変化の結果である(ただし、文化の継承が行われないと仮定する)。つまり、これらの種の形成は、進化に付随して起こる多様化現象の一つの側面である。かつては種を進化の単位とみなし、種分化を進化の本質とみなす考えもあったが、現在では主流ではない。 突然変異と自然選択のどちらがより進化を支配しているのかやそれらの重みについて、明らかではない。例えば、主竜類と鳥類は分子生物学的な共通点以外に中間の形質のある化石資料が見つかる。一方でカメ目における甲羅の獲得や側頭窓の消失、脊椎動物の始祖とみなされるナメクジウオ以前の進化における脳や脊椎・視力の獲得過程、ヤツメウナギには無い顎を魚類がどのように獲得したか、などは脊椎動物の進化を理解する上で非常に重要である。分子生物学的な研究により、これらの特徴の発生を促す遺伝子が特定されつつある一方で、これらの重要な形質は進化系統上突然現れており、中間的性質を持つ生物が現生種の中にも化石資料の中にも認められていない。[7] [8][9] [10] [11] [12] [13] 現在、進化を説明する理論として最も支持されているのは進化の総合説と呼ばれるもので、ダーウィンとウォーレスの自然選択説と、メンデルの遺伝子の理論、ド・フリースの突然変異説、集団遺伝学の理論や木村資生の中立進化説、エルンスト・マイアらの生態学を統合したものである。この総合説によれば、突然変異によって生じた遺伝子の変異は方向性のある自然選択と、遺伝的浮動や生態的イベント(地理的隔離など)のようなランダムな出来事によって集団中に固定し、新しい形質の出現や種分化などの進化現象を引き起こすと考えられる。また、種分化による各集団の遺伝的隔離はそれらの遺伝子プールの多様性の拡大をもたらす。 生物が変化するとき、どこかの時点で新しい形質が出現しなければならない。これまでに遺伝学者が、どのようにして新たな形質が現れるのか、またどのようにしてその形質が後の世代に残っていくのか研究してきた。ダーウィンの時代には、まだ遺伝に関する詳細な解明はなされていなかった。しかし現在では、子孫に伝わるような形質の根拠は、遺伝子と呼ばれる、粒子性をもつ、不変の実体にたどり着く。そしてその遺伝子とは、実際はDNAに書込まれた情報であることも現在では分かっている。DNAの変化は突然変異をもたらす。その影響は形質(表現形)の変化となって現れる。また、個々のDNAの突然変異については、それによる形質(表現形)の変化はほとんどなかったとしても、それらの組み換えによって新たな形質が発生することもある。組み換えは、有性生殖の場合は対応する性の細胞の融合によって、バクテリアの場合は接合と形質転換などの遺伝物質の移動によって起きる。 DNA配列上には現れないが通常のDNA複製に影響を与えるような遺伝性の変化についても、研究が進められている。この変化は遺伝情報の変化を一切伴わなかったり、変化そのものが可逆であったりする。このような変化は、エピジェネティクな遺伝と呼ばれ、対応する現象としては、DNAのメチル化反応、プリオン、structural inheritance などがある。このような機構が環境からの刺激に対する応答として、それに適応するような変化をもたらしうるのかどうかについては研究が継続されている。ダーウィンの確立した進化の枠組みでは、環境からの刺激と遺伝するような変化の発生の間の関係について言及することは避けられていたが、もしこのようなことが実際に起きているとすれば、ダーウィンの進化の枠組みから外れたものとなるだろう。 上記のようなメカニズムに加えて、新たな遺伝的形質が物理・化学的な性質である自己組織化からもたらされるものもあると考えられている。ここで言う自己組織化というのは、ゲノム中には直接コードされていないようなものである一方、様々の生体システムに広く存在するだろうと常に期待されるようなものである。 スチュアート・カウフマンはこの観点に基づいて、自然選択はシステムの特別なクラスのみを選択し、その中には「order for free(自由への秩序)」を得るシステムが偶然に含まれていると説明した。ここで言う「order for free」とは、生物の進化の過程に普遍的に存在するとされた仮定の法則である。この説を補強し得るいくつかのメカニズム(遺伝子制御ネットワーク、自己触媒集合、RNAの配列-構造解析)が、進化に適用可能な実際的な理論の一部として慎重に組み入れられてきた。しかし、カウフマンの描くシステムの全体像にはいまだ議論の余地が残されている。 集団内で起きる形質の固定と消失は、集団内である特徴が多く見られるようになる一方で、別のある特徴が見られなくなっていくという状況を意味する。形質の固定と消失に対しては、2つのプロセスが寄与していると一般的に考えられている。 自然選択はまた、生物が長い時間を越えて生き残っていくのに役立つ仕組みを提供している。環境は常に変化し続けているので、後続の世代が適応を続けることで、生存と繁殖することが可能になる。さもなければ、その生物が適応していた生態学的地位が消滅するのにあわせて、その種も絶滅することになるだろう。それゆえに生物は種として進化することで、長い時間のなかを生き延びることができるのである。進化論において自然選択が中心的役割を果たすことになったのは、野外での生態学の研究によってもたらされたものである。 遺伝的浮動とは、集団内における選択圧とは無関係な遺伝子の頻度の変化のことである。親の世代の遺伝子の分布を維持するのに十分な数の子孫を作れないような、そういった小規模な交配集団においては、この現象は特に重要である。このような世代間での遺伝子頻度の変動は、ときには集団内からのそれら遺伝子の消失を招く。 このため、集団が2つに分離されたとき、最初のこれら集団の遺伝子頻度は同じであるが、やがて遺伝子頻度のランダムな変動、すなわち「浮動」によりこれらの集団は異なる遺伝子のセットを持った集団へと変化していく(つまり、片方の集団からある遺伝子は消失してしまったが、もう片方の集団には残っているような状態)。火山の噴火や隕石の衝突といった、ごくまれにしか起きないような現象は、平時の選択圧とは違った方法で遺伝子頻度を変化させることで、遺伝的浮動に影響を与えてきたかもしれない。 現在の総合説では、進化とは集団中の遺伝子頻度の変化であり、それが積み重なって種分化が起きるとみる。したがって、遺伝子頻度の変化を追うことが重視される。しかし、進化の説明において、個体群内の遺伝子頻度の変化やそれによる形質の変化を「小進化」と呼び、新しい「種」や「属」が生じたり絶滅したりするプロセスを「大進化」と呼んで区別する場合がある。これは小進化のプロセスでは、新しい「種」の形成などの大規模な進化を説明できないと考える人がいるからである[14]。 小進化は、数世代の間に現れるような個体群内の遺伝子頻度の小規模変化のことである。これらの変化は、自然選択以外にも、突然変異、遺伝的浮動などのいくつものプロセスが原因で生じうるものである。 大進化とは、長期間にわたる遺伝子頻度の大規模な変化であり、通常その結果、種分化や新種への進化をもたらす。小進化の過程が観測可能であるのに対して、大進化は化石記録や、現存している生物の形質、遺伝子の情報(DNA)から推論するしかないと考えられていたため、小進化のプロセスでは大進化を説明できないと考える人がいた。 地層中の化石の出現パターンを調べると、基本的な形態はあまり変化しないで安定な状態にあり、新しい形態をもつ化石は、ある地層に突如として現れ、その後長い年月の間、形態はふたたび安定して、あまり変化しないという傾向がある。古生物学者のエルドリッジとグールドは、このような現象を断続平衡現象と呼んだ。基本的な形態の変化をもたらすような進化を大進化と呼び、小進化の過程では説明できないと考える人もいる。特に、体制が異なるほどの上位分類群の分化が、自然選択説で説明できるかどうかについては、疑問視する声も存在する。 断続平衡説を提唱した頃(1970年代始め)のグールドは化石の形態が急激に変わるようにみえるのは、新しい種ができるときにのみ生物は急速に形態が変わり、その変化がすんでしまうと後は形態的安定が保たれるからだと考えていた。しかし、化石記録にみられる種とは形態的種であり、生物学的種や遺伝子交流集団と一致しているとみなす根拠はなく、断続平衡説は種分化の理論として適切なものとはいいがたい。形態の長期的安定化自体は重要な進化現象である可能性があるが、これは種が変化しないというよりも、特定の形態が長期間変化しないということある。実際、「形態的には区別できないが生殖的に隔離された集団(同胞種)」は広く見つかっており[24][25][26]、ウスグロショウジョウバエの同胞種Drosophila pseudoobscuraとD. persimilisでは、種分化を促進する同系交配を支配する遺伝子の一つが同定されている[27]。つまり、形態が変化しなくても種は形成される可能性があるということである。 形態の長期的安定化現象について、メイナード・スミスなどの集団遺伝学者は安定化選択説で、グールドらは発生的制約説で、エルンスト・マイヤーは「個体群サイズが大きいことによる進化の停滞」で説明した[28]。 化石記録が利用できる生物群は、実際には動物界と植物界だけである。植物界の各門の分化は、古生代のシルル紀から中生代にかけてゆっくりと起こっており、その経過は比較的はっきりしているし、そこに見られる形態の変化は適応的に見える。 しかし、動物界の場合、すべての動物門が古生代カンブリア紀の初頭にはすでに出現している可能性が指摘され、カンブリア爆発と呼ばれている。もちろん、アンドリュー・パーカーが言うように多くの門が同時期に一斉に硬組織を獲得した結果、化石記録として出現するようになっただけもしれない。しかし、動物門の進化がいつどのような形で起きたのかについて分かっていないのも事実である。 進化という概念は、日常生活でも頻繁に使用されるためか、誤った形で理解されている事が多い。よく見られるものは、次の三点である。ひとつは進化が目的を持っておこなわれている、という誤解。もうひとつは人間という種が進化の最終ゴールである、また、だから人間になれなかった他の生物よりもわれわれは立派な存在である、といったタイプの誤解。そして最後のひとつは、進化と進歩を混同している誤解。この三つである[29]。 テレビ番組などでは、(進化仮説の用不用説を引用して)「高いところの葉っぱを食べるために、キリンは首が長くなりました」とか、「これは生き残るための戦略だったのです」といった表現のしかたがごく一般的である。このような表現においては、比喩としての進化の自律性ばかりが強調され、そもそも偶然性・予測不可能性なしには存在し得ない自然の本質というものがすっぽりと見落とされてしまっている。いっぽう、たとえば以下のように表現すれば、ことの経緯をより正確に表現できるであろう。 もっとも、適応は結果的に合目的に近い形で構造や行動を発達させる可能性もある。したがって、たとえば「太陽が東から昇り」と書く人は未だに天動説を信じている、というわけではないのと同様に、「?のために進化した」という言い回しを使う場合はあり得る。また、自然選択説も万能ではない可能性もある。 従って、1.適応できなかった種は、淘汰される(自然選択説)、2.合目的に近い形で構造や行動を発達させることで適応する(獲得形質の遺伝性)、といった現象を総合的に考慮して、例えば「?の方向に進化した」などが、より適切な表現となる。 人間中心主義にしばしば援用される誤用であるが、進化はハシゴのような一本道ではなく、木の枝のように多方に伸びていくもので、人間はその枝の一部である。(系統樹を参照)個々の種はそれぞれ異なった環境に適応してきたのであり、現在ある種もすべてそれなりに模索した結果といえるのである。また適応の過程に終わりというものはない。 一方で現在では雑種が進化の上で重要な役割を果たすことが知られている[要出典]ので、単純な枝分かれでなく網状に絡み合ったイメージの方が適切であると考えられている 。 進化(英:evolution)とは狭義には「時間の経過に伴う生物集団中における遺伝子頻度の変化」であって、進歩(英:progress)という概念とはまったく別のものである。地中で生活するモグラの目が退化していることも進化の結果であり、クジラの手足が退化していることも進化の結果である。また人間に尻尾がないのも進化の結果である。 一般的な用語としては、退化が進化の対義語であると位置づけられることがあるが、科学的には退化は進化の一側面であり、対義語ではない。詳しくは退化の項を参照されたい。 ヒトはサルから進化したのではなく、サル(類人猿)との共通祖先から分化した。その共通祖先はサルに似ていた、或いは現生種とは異なるサルであると考えられるが、それはヒトの方が強い選択圧を受け、形質が大きく変わったのに対し、他のサルは生息環境が安定していて強い選択圧を受けなかった、あるいは、ヒトとは異なる方向への淘汰圧を受けたからである。全ての(サルに似た)共通祖先が一斉に人間に変化したと言うイメージは誤りである。また、ヒト以外の現生のサルも、ヒトが進化する期間にそれぞれ進化しており、ヒトの先祖と思われるサルは現生には存在しない。サルからヒトになったのではなく、ある種のサルが進化によってチンパンジーというサルやヒトというサルに分化したのであって、現時点でもヒトはサルである。
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